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突然なにかがおわるということ。

駅のちかくにあった、カジュアルな洋服屋さんの

お店が気がつくともう終わっていた。

いつもいつも贔屓にしていたわけじゃ

ないけれど、

しばらく来ない通りではこんなふうに

突然終わるものなんだなぁって思うと

少しだけからっぽな気持ちにもなる。

最近は終わるんだな、あ、終わったんだって

思ってからしばらく経っても、なにも

始まらない場所が増えているそんな気がする。

ずっと更地のままだったりして。

しばらく更地だとこの前はなんだったか

なんて思い出すのはもはや時間の問題だ。

なじんだ風景がまたひとつどこかへと消えて

しまうことは、すこしだけ記憶とか、

かすかな思い出もいっしょに、どこか遠くへ

しまわれていってしまう。

そうな気持ちにもなる。

そういえば、あの店の一階は昔、お花屋さんで。

重たいガラスの扉を開けて入ってゆくと、

整然と大きくて深いバケツに切り花が

並んでいた。

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あの濁りのない空気がもたらす冷たさは、

ほかのお花屋さんではあまりないぐらい、

印象的だった。

切り花はいちど死んでいるのに、そこにいのちを

ふきこまれたものたちの、なんていうのか

凛として立っている佇まいそのもののような

気がした。

なじんでいたものや場所は、いつかかたちを

変えてしまうものだし、

いつまでもいつまでもっていうわけには

いかないのが常だけれど。

そういう街の変化をずいぶんと、目にして

きたような気がする。

いまある姿だけが、その場所だと思いがち

だけれど。

そのひとつ前、またひとつ前といくつもの姿が

そこに重なっているものなのかもしれない。

それは好きな人を見ているときに、ずっと

おじいさんやおばあさんやそのまた

おじいさんっていうふうに遡るのと似て。

ひとも、いくつもの血がかさなりあうようにして

できあがっていることにいまさらながら

気づかされる。

DNAっていうものはそう思うととても

情緒的なものなんだなって。

渋滞があんまりひどいので、ゆっくりと

歩いて帰ることにした。

家に帰る途中で、前を歩く男の人の

Tシャツにちいさなトンボがくっついて

いっしょにゆれていた。

とんぼのまえの姿のヤゴからはちょっと

想像がつかない。

知らない人のTシャツといっしょに運ばれて

ゆく不思議。

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糸よりも細い節のあたりは碧色で、羽根は

うそのように透きとおりながら、そこにいた。

蜻蛉の むかしむかしに 立ち止まる午後
透きとおる 羽根をみている しづかしづかに



 

   

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