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共感って、ひとりの人がいてくれたら、もうそれでいい。

ほんとうのことを言うのはちょっと

こわいから。

みんなほんとうのことよりちょっと

ずらしてほんとうのふりして

言ってみたりする。

それはある意味、世の中を生きる術の

ように言われるけれど。

そういう一面もあるしわたしも時々

やっているとは思う。

でも

時々、自分の中でもここは線を引いて

おきたいとか。

ここはこの線の付近にいても安全かも

しれないとか、いろいろ考えることが

ある。

どっぷりと何かに浸かるのが怖いって

いうか。

去年の3月ぐらいの新聞でみつけた言葉。

音楽家の大友良英さんがTwitterで呟いた

言葉がそこに記されていた。

「感動で一つになるって、心底嫌な言葉だなあ。
そこから外れたひとのことは感情に入って無さ
そうだし」

と。

この言葉を目で追いながら、うんうんそうだねって

頷いていた。

ちょっとすかっとしたかもしれない。

共感するということにフォーカスすることに

ぜんぜん異論はないけれど。

共感が悪いんじゃなくて。

みんな同じ方向を向いていることがすこし

いや、かなりこわいだけだ。

学校時代もそれで失敗したんだろう。

みんな同じ方向を向いていられることが

上手な人たちがあの場所には適している。

もちろん一つにならなければいけない時も

あるけれど。

危険を回避するときなど、そういう時は一つに

なる側のひとになるけど。

彼はこのあと続けてこういう。

「そもそも一つにならなくてもそれぞれが生きて
生ける世界のほうが、いいと思うんだけどなあ。」

こういうことだって思った。

これってどんなことにも言えるかもしれない。

じぶんだけが好きなものが誰かと共有できなく

ても気にしないでいられる社会のほうが

だんぜんいい。

ほとんどわたしはそんなふうにあまり誰とも

いまでいうシェアをしないまま生きて来たから。

ちょっとこの音楽家の言葉に励まされていた。

何故励まされるかというと、正直に言います。

noteをはじめてからどこかで、共感してほしいと

思って書いているじぶんに気づいて、それって

うわなんかやだなぁ。

もっとじぶんでいなよ! って想ったりした

ことがあったからだ。

また違う場所では大友さんの考える<美しい>とは、

どういうことかという問いかけられたときの

語り口もすんなりと心にはいってきてくれた。

『美しい』とは、極めて個人的な感想であって、
普遍性や他者への説得力をもたせようとすると、
『なぜ美しいと思わないの?』と乱暴なものに
なる。


でもあれです。

共感しますってコメント欄で言われるのは

すごくうれしい。

それは、そのひとりの人が自分の書く拙い

ものに真正面から対峙してくれて何かを感じ

取ってくれた証だから。

それはひとりとひとりの間でなされる

熱交換のようなものだから。

それだけで十分だ、今日記事書いてよかったなって

コメントを頂くといつも思う。

だって、こんな孤島にひとりみたいなわたしの

書いた記事に共感してくれるひとがひとりでも

いたことが奇跡に近いのだから。

今日はちょっとかなり本音で喋ってみました。

今日もお忙しい中ここまで読んで頂いて

ありがとうございます。

あれをみて ともに見上げる あのひとつ星
一瞬を わかちあう時 よるとそらときみと






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