映画『イノセント・ガーデン』。獣のような少女になりたかったのか。
眠るとあまりよくない夢をみそうなとき、映画をついつい見てしまう。
この間、夜更かしながらでもみたかったのは、
パク・チャヌク監督の『イノセント・ガーデン』。
はじまりのシーンから、何かがもうすでに起こってしまった後のことを
描いている。
不穏な感じが伝わってきて、胸騒ぎがする。
普通の女の子のファッションのようにみえて、どこかなにかがちがうのは、彼女がママのブラウスにパパのベルトを締め、靴は叔父の贈り物
のぶかぶかしたものを身に着けているから。
私の耳はとても鋭く、私の目は遠く離れた小さな物も見逃さない。
インディアという名の彼女がしずかに踊るように語る。
と告げる。
野生の知性みたいなものを携えているインディア。
たえずなにかに、違和を感じているから息苦しくて。
誰にでも経験したことのあるような、思春期と呼ばれる
ころの出来事かもしれないけれど。
インディアが持っているのは、あまりにも無垢な野性性
だったことで。
観ているこっち側では、共感を越えて、ただただ息を
ころして見守るしかなくなってしまう。
むかしみたテレビ「野生の王国」みたいだなって思う。
獣たちのひたむきさを内包した少女がすこしまぶしい。
すべてのシーンを見終えた後。はじまりのことばをもう
いちど、目でなぞる。
おわりに辿りつっくと、はじまりに戻ってゆく。
そして私もどこか解放された気分になって、風通しの
よさを感じながらも、
というさいごの言葉に立ち止まりたくなる。
おとなになってしまうと、そんな日々はそんなに多くないことを
知っているわたしは、みえないくさびをどこかに打たれたような
そんな思いに駆られていた。
そして、獣のような少女になりたかったんだなって、今知って
ほんの少しおろおろしている。
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊