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描くことは考えること、そんな思いで日本画の画材を主に使って制作、展示しながら子供や大人…

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描くことは考えること、そんな思いで日本画の画材を主に使って制作、展示しながら子供や大人の絵の教室、ワークショップなどをやっています。ここでは絵を描いていくうえで思ったこと感じたこと、自分の辿ってきた絵などの制作についてなどを書いていこうと思っています。

最近の記事

言葉の行く末

爆笑、爆死、爆誕など、使われ始め頃は「爆」がつくことにすごい事のような表現として生まれたのだろうけど、多くの人が当たり前のように使うことによって、いつしかそのニュアンスは普通に「笑」「死」「誕」などと変わらないような感じになってきたように思う。これらの言葉は今となってはもうあまり使われなくなってきた言葉かもしれないが、ほかにも同様の言葉が他にも色々とあるように思われる。 また、天才、芸術、神。そんな言葉も使われ始めた頃とニュアンスがちょっと異なってきているように思う。これらの

    • サービスと表現

      最近、日常で使うお店やらいろいろなものを見ているとサービスやらいろいろなものの過剰さを感じる。どこかに入ったら、すぐに対応してくれたり、しっかり説明してくれたりそんなことを感じることが多い。それはそれでとても良いことではあると思うが、いまひとつ、本当にそれを喜ぶだけで良いのだろうかという気持ちが私にはたえずつきまとってくる。 サービスを受けるのが当たり前になってしまうと、そのサービスがないと不満を感じたり嫌悪したりする。でもサービスってなんなのだろうかと考えると奉仕やら尽くす

      • ところ変われば

        いろいろなところで展示をしていると同じ作品を展示しても反応が違ったりするものだなと最近感じている。ギャラリーのカラーが違ったり、場所が違ったり、その会場によって見てに来てくれる人の傾向が違ったりする。単純に言えることではないかもしれないけど、その地域の風土などそこの人たちが育った場所などによって好みや求めるものが違って来たりするのかもしれないということに改めて気がつかされた。そこで育った人ではないとわからない感覚というのもあるのかもしれない。それが実感できるのは、その地域でし

        • クロニクロ

          今回のグループ展で出品した絵は、黒地に黒で描いている。なんでそんなことをすることになったかというと東日本の震災のちょと後の年にフォーレの「レクイエム」を合唱団で歌う機会があったのだけど、その合唱の練習の時に「天上にさす光のような響き」というイメージの響きを求められた。その時にふと思った、そんな響きがそんな光が絵で表せたらどんなに素晴らしいことかと。 そんな思いで、2013年ごろから、ここのところ黒地に白で描いている絵がスタートした。「天上にさす光」というと虹のような分光器や

        言葉の行く末

          展示が始まった

          昨日から横浜市民ギャラリーでグループ展が始まった。展覧会は一人のものでも人数の多いグループ展であっても自分が描いたものを制作している部屋以外のところでみることができる良い機会だ。大きさ作品は広いアトリエがある人は別だけど、そうではない人はほとんど離れてみることができず全体像がどうなっているのかみることが叶わないケースもあったりする。展示された会場で初めて全体を見ることができたという話はよく聞く話だ。 そんな大きな作品でなくても、展示会場で見ることは展示した瞬間はわからないこ

          展示が始まった

          教室について

          私は子供の絵の教室をやっているのだけど、そこでのカリキュラムは楽しんでもらうのが第一で、楽しみながらいろんなものに興味を持ってもらったり考えたりしてもらう機会になり、最終的には自分自身見たり考えたり作ったりができるようになってもらえるようなきっかけになったらというのが根底にある。その上でいろんな素材を体験してもらったり見方考え方などを知ってもらえたらいいなと思うような内容となるように組んでいる。 絵が上手くなるということは、目や頭を養えれば、自然とついてくると考えているので

          教室について

          行間を読む

          前に別のところにも書いたのだけど、ネットやいろいろなところに書かれているコメントなどを見ていると、そのコメントの元となる投稿に書かれている言葉のみを見て、言葉の出ている背景などを見ないコメントが多いように思う。それは、シェアやリンクなど本人が言っているわけではない投稿という意味もあるのだろうけど、シェアやリンクなどをしている場合には、本当のところを知ろうと思ったら、ソースやその背景を確認しないと元々の意味を理解できないと思う。同じことをいうにしても、どんな考えでどんな気持ちが

          行間を読む

          ここで書くのは

          日々の生活の中でいろいろと思うことや思いついたことなどは沢山あるのだけど、年のせいか日々に追われているせいか次第に消えて行くものやことが多くなってしまうように思われた。そんな中で日々の思ったこと考えたことが、あとあとで見たり整理したりしやすくなるよにまとめる場が欲しく思ったので、そんな場所として使えたらと思った。それだけなら自分の日記やメモの中にでも書けばいいのかもしれないが、ここに私が書いたところで見る人はほとんどいないと思われるので、日記やメモよりも整理しやすいここを選ん

          ここで書くのは

          論理と情緒

          描くことを始めて最初は目の前のものなどの再現を目指すところがある。それが描くための目も手も養え、その成果がわかりやすいこともあるように思われる。そしてある程度再現できるようになると今度は、その再現と目の前のものとの違いなどや差異の良さを見出し、そこに情緒の影響があることを感じるようになり、制作する上であえて情緒を入れる面白さを感じるようになるのではなかろうか。情緒を意識して入れていると今度は情緒に対して疑問を感じ、情緒が生まれる背景など論理を知るようになり、その論理が制作する

          論理と情緒

          制作しながら思うこと

          今、久々に出すあてがあるので、ちょっと大きめ(80号2枚サイズ)の描いている。私の場合、ここ数年ずっとパネルに直接という形で描いているので剥がすに剥がせないこともあり、どんどんかさんでいく。描いている仕事場がワークショップや教室の準備をする場だったり、描いたものの収納場所だったりするのでだいぶ部屋が狭くなってきた。そのため、絵を寝かせて書けるスペースがどんどん小さくなってきた。 前ほどは気軽に大きいものは描いたらまずいことも実感。 大きいのを描くときには、描く方法やら保管場所

          制作しながら思うこと

          黒という色

          黒のイメージはあまり良くないことが多い。黒=暗いとか闇とか使われかたも、白星に対して黒星とか暗黒とか黒塗りとか。でも黒は色の一つの種類であって黒そのもの自体は闇ではないし、暗いというわけでもない。そしてそんな黒という色の範疇のなかでもいろいろな黒がある。絵具の名前でいうと油彩ではアイボリーブラック、ランプブラック、ピーチブラック、ブルーブラックなどがある。そして透明水彩絵の具でもアイボリーブラックやランプブラックなどがある。油彩、水彩いずれの絵具もメーカーによって色が微妙に違

          黒という色

          白と黒

          とあるきっかけで白と黒のみで絵を制作するようになってから8年くらいになる。それまではいろいろな色を使っていたのだけど、とある目的があって目的を表すのに一番効率的な色使いに思われたからだ。白と黒は色として使いたかったわけではなく、というよりも何かに射す光というのではなく、光のみを表そうと思ったときに色味を伴わせたくなかったからだ。目標の光はそんな光だった。最初はそれまでほとんど使ってこなかったこともあって、目標に近づけたくて思いつくこと考えられることを夢中で試していた。そのため

          白と黒

          いま描くということ

          黒の中に何が見えるか、白黒の表現になってからここ数年ずっとやってきたことなのだけど繰り返すうちに同じことをやっているのだけどその意味が変わって来る。 それは周りの変化、自分の変化いろいろなことやものが関係しているのだろうと思う。もともと黒を使うことは重要ではなかったが、表したいものを端的に表すのに適するものだと考えたので使い始めただけのこと。白についても同じことが言える。 コロナ、世界、日本いろいろ四角い矩形の向こうに見えるということが現実を自分にとっての現実から遠いものにし

          いま描くということ

          初めて描いた記憶

          初めて見た。見えたという記憶はなんとなくだけどはっきりあるのだが何かを描いた幼い記憶は見えた記憶よりもあまりに薄く曖昧となってしまっている。記憶を辿ってたどり着けるのは何歳の頃だったか覚えていないのだけど家にあった山の図鑑?を見てそれを写したくてスケッチブックだか画用紙?だかに鉛筆の線の強弱と鉛筆の濃淡でその本の中で2番目に好きだったエベレストを描いた。小学校の2年生くらいの時に年賀状になんとなく描いた置物のようなシルエットに色をつけたウサギの全身像。小学校の低学年の頃、写生

          初めて描いた記憶

          初めて見た記憶

          見るということと描くということはつながりがある。見えるから描くというつながりもあれば見えないから見えるように描くということもある。ただ見えるという視覚的なところから視野であったり視点であったり様々は見えることの周りのことが描くことに密接に関係しているよう思う。そんなこんなで記憶というのは年とともに次第に薄れていくこともあったりするので、今は実感としての初めて見たは薄れてしまったが、代わりにはっきり覚えていたときに言葉として残っていた初めて見た記憶について書いておこうと思う。

          初めて見た記憶

          子供のころ

          私は都会とは無縁の場所で育ちいま現在は高層ビルが並ぶ近くで生活している。子供の頃育った場所は野や山、川などが身近にあり、隣の家よりもそちらの方が近い感じのところで生活していた時期もあったりしたこともあって、人の中よりも一人で山や川に行きそこで見つかる様々なものを眺めるのが好きだった。季節になるとその季節のその場の状況とそこにその季節にあるものを見ては思いを巡らし、季節をつかんで行ったところがあった、身近で体験したものは全て自分にとっての真実であると思っていた。そしてつい最近ま

          子供のころ