行間を読む

前に別のところにも書いたのだけど、ネットやいろいろなところに書かれているコメントなどを見ていると、そのコメントの元となる投稿に書かれている言葉のみを見て、言葉の出ている背景などを見ないコメントが多いように思う。それは、シェアやリンクなど本人が言っているわけではない投稿という意味もあるのだろうけど、シェアやリンクなどをしている場合には、本当のところを知ろうと思ったら、ソースやその背景を確認しないと元々の意味を理解できないと思う。同じことをいうにしても、どんな考えでどんな気持ちが根底にあってどんな関係の人に対してその言葉を発しているかで言い方や声の響きなどや表情などが変わってきたりすることがあるのだけど、ネット上での文字のみの投稿の場合は、そんな声の響きや発する時の表情などは見て取ることができないので、そんなニュアンスは見えてこない。表面的なところだけを捉えたいのであれば考えたりたどったりする必要なないのかもしれないが、そう出ないのならそこで発せられた言葉の背景などについても考えて捉えることが必要なように思う。言葉は同じ言語を使う人であれば伝わりやすい便利なものでもあるけれども、同時にお互いの理解がなければすれ違ってしまうものでもある。同じように絵につていも同じことが言えるように思う。特に具体的なものが書いてある写実や、あるいは言葉に置き換えやすい激しさなどエネルギー感や色彩の調和など綺麗なバランスなどは本質的な内容と関係なく見て取れるところがあ流のでわかった気になりやすかったりするが、その本当のところを隠してしまうことになりやすい。絵も文章も背景を知り考えや気持ちに触れてそのものを慮るような行間に潜むものこそ大切なのではないかと私は思う。

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