サービスと表現

最近、日常で使うお店やらいろいろなものを見ているとサービスやらいろいろなものの過剰さを感じる。どこかに入ったら、すぐに対応してくれたり、しっかり説明してくれたりそんなことを感じることが多い。それはそれでとても良いことではあると思うが、いまひとつ、本当にそれを喜ぶだけで良いのだろうかという気持ちが私にはたえずつきまとってくる。
サービスを受けるのが当たり前になってしまうと、そのサービスがないと不満を感じたり嫌悪したりする。でもサービスってなんなのだろうかと考えると奉仕やら尽くすこと、あるいはもてなすことだったり、用役だったり役務だったりする。それはその言葉を使う立場などによっても意味合いは違ってくるだろう。
あるのが当たり前になってしまうと、それはサービスとは言わないという側面が大きくなるのではないだろうか、受ける側だけでなく、与える側、双方の立場を考えて想像するような考える力を奪ってしまうところもあるのではないだろうか。
絵画などについてもそれは言えることのように思う。サービスにしても絵画にしてもイメージすること、考えることが、描く側にも見る側にも必要なように思う。人は自分だけでなく、自分の他にも人はいるし、自分の考えの及ぶこと意外にも考えはあるのだということを忘れてはならいないように思う。そんな人の考えや表現を思いやることは今の時代にとても必要なことのように私は思う。表現として美は綺麗だけでも成り立つと思うけど、芸術という言葉を使うのであれば、ただ綺麗なだけ、ただ激しいだではなく、そこに考えさせられるような何かがなくてはいけないように思った。

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