論理と情緒

描くことを始めて最初は目の前のものなどの再現を目指すところがある。それが描くための目も手も養え、その成果がわかりやすいこともあるように思われる。そしてある程度再現できるようになると今度は、その再現と目の前のものとの違いなどや差異の良さを見出し、そこに情緒の影響があることを感じるようになり、制作する上であえて情緒を入れる面白さを感じるようになるのではなかろうか。情緒を意識して入れていると今度は情緒に対して疑問を感じ、情緒が生まれる背景など論理を知るようになり、その論理が制作するために重きをおくようになったりする。それが極度に進むとそれぞれの再現のみ情緒のみ論理のみという形に行き着くものもあったりする。

これらの再現、情緒、論理の順番は、その人その人の考え方や興味や好みによるところもあると思うので、必ずしもみんながみんな同じということではないだろう。私の場合の絵を描く上で大切に思うことはそんな順番で進み。一通り体験するとそのどれか一つでは物足りなく思うところを感じるようになった。それぞれ一辺倒ではわかったということで終わってしまい、自分の理想とするところの要素の一つのいつまでも見ていられる絵、また見たいと思える絵には程遠いところとなってしまう。私にとっていつまでも見ていたいと思われるものは絵に限らず、なんだかわからないが惹きつけられるところがある。「わからない」という要素が必要で、わかってしまったら「なるほど」で終わってしまう。そんな隠し味的なものがないと飽きてしまう。ある本を読んだら子供の成長とは複雑になることだと書いてあったけど絵にも同じようなことが言えるのかもしれない。

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