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コーヒー牛乳とチョコレート 第一話

あらすじ
同じ高校の定時制に通う胡桃と、全日制に通う黎人。幼馴染の二人が様々な日常の謎へと挑んでいく。
「ライラックライブラリー」
ライラックの歌という小説を、図書室で頻繁に借りる謎の生徒。どうしてそこまでライラックの歌に拘るのだろうか?
「怪人蜥蜴人間陽炎橋高校に現る」
夜の学校で胡桃が目撃した怪人の影。その正体へと黎人が迫る。
「サマータイムアベニュー」
夏休み。胡桃は友人から、ファミレスで何かを観察する不思議なお客さんの話を聞く。彼は何者なのだろうか?
「コーヒー牛乳とチョコレート」
文化祭。黎人は謎解きスタンプラリーというイベントに胡桃と一緒に挑戦するが、次第に二人の間に亀裂が入っていく。

五月の謎 ライラックライブラリー


「本当に五月? 全日制は体育とか大変そう」

 お店の外に出ると、高い位置から太陽が激しく自己主張していた。流石は陽キャのトップに君臨する太陽様。まだ五月だというのに夏顔負けの存在感だ。
 体の火照りを感じながら、私は店先のボードを営業中から準備中へと切り替えた。陽炎橋かげろうばし市のオフィス街の近くで営業する「比古ひこさん食堂」。ここは私のお母さん、比古ひこしずかが経営する食堂で、娘の私も日中はお店を手伝っている。今年でオープン十年目。ありがたいことに平日はオフィス街に務める会社員の方々を中心に、週末は家族連れや陽炎橋市にやってくる観光客の方々で賑わっています。

 午後二時。十一時半からのランチタイムが終了し、最後のお客様も帰られたので、お昼の営業はこれで終了だ。五時からは夜の営業が始まるけど、私の勤務はお昼の営業で終了。私は定時制高校に通う高校生なので、夜は勉学に励まないといけない。ホールの仕事はこの後出勤してくるアルバイトの大学生、阿刀あとう麻希まきちゃんに引継ぎだ。

「ボード切り替えてきたよ」
「お疲れ様、胡桃くるみ。直ぐに出来るから、食べたら時間までゆっくりしてきなよ」

 お店に戻ると、厨房ではお母さんが、私にちょっと遅めのお昼ご飯を作ってくれていた。お母さんは今年で四十歳になるけど、寝起きでも一気に目が覚めるような美貌の持ち主だ。雰囲気やファッションも若々しくて、二十代後半に見られることも珍しくない。たまの休日に二人で出かけたりすると、娘の私と姉妹に間違えられることもあるほどだ。常連のお姉さま方によく若さの秘訣を聞かれているけど、その度にお母さんは「私はそういう生き物なの」と冗談めかして微笑む。

 実際、普段から何か特別なケアをしている様子はないので、お母さんは本当に「そういう生き物」なんだと思う。だけどお母さんはそうでも、娘の私も「そういう生き物」なのだろうか? 十年先、二十年先、お母さんだけは今と変わらない容姿のまま、私だけがどんどん外見が老けていったら、流石に凹んでしまうかもしれない……一方的に脳内で、未来の自分とお母さんの容姿の対比に危機感を覚える程度には、今日もこの世界は平和だ。

「お待たせ。まかない中華丼よ」
「今日も美味しそう。流石お母さん」

 余った食材を炒め、比古さん食堂秘伝の中華餡をからめたお母さん特製の中華丼。一見重そうだけど、酸味が効いていて暑い日でも意外にあっさりと食べれちゃう。私はもちろん、アルバイトの皆さんにも好評のまかないメニューだ。

「学校にはもう慣れた?」

 一緒に昼食を食べながら、お母さんが私に聞いてきた。夜はお互いに疲れて早く寝てしまうので、食事時は貴重な親子のコミュニケーションの時間だ。

「仕事と勉強の両立にもだんだん慣れて来たし、仲の良い友達も出来た。学校生活は順風満帆でございます」
「この前ご飯を食べに来てくれた二人。楠見くすみくんと汀良てらさんだっけ。美味しそうに食べてくれてこっちまで嬉しくなっちゃった。サービスしてあげるから、また連れてきなさい」
「うん。二人にも伝えておく」

 定時制の同級生の楠見くすみ玲央れおくんと汀良てら風花ふうか。入学直後、名簿順で席が近かった風花とよく話すようになり、風花と中学の同級生だという楠見くんとも自然と親しくなった。四月、五月と徐々に人間関係が形成されていく中、私達は仲の良い三人組として定着しつつある。

 先週、平日に偶然全員の都合がつく日があったので、お母さんへの紹介も兼ねて比古さん食堂でお昼を食べ、そこで距離がグッと縮まった気がする。定時制には知り合いがいなかったこともあって、人間関係が少し不安だったけど、風花と楠見くんと出会えたおかげで上手くやっていけそうだと確信出来た。

「仲が良いといえば、最近レイちゃんとは?」
「学校ではまったく。黎人れいとって塾通いで放課後はさっさと下校しちゃうから。私の登校時間と微妙にすれ違っちゃうんだよね。もしかしたら黎人とは、お母さんの方が顔を合わせてるかも」
「お店を手伝ってくれることは本当に助かってるし、胡桃の決断は尊重してるけど、レイちゃんと時間を奪っちゃった気がして、そこは申し訳なく思ってる」
「大袈裟だよ。連絡は頻繁に取り合ってるし、そもそもご近所なんだしいつでも会えるって」
「幼馴染だからって油断してると、どこぞの馬の骨に横からレイちゃん持ってかれちゃうよ」
「どこぞの馬の骨って、お母さんはどの目線で語っているのさ。そもそも私と黎人は別に付き合ってるとかそういうのじゃ……」

 幼馴染の猪口いぐち黎人れいとの話になると、お母さんは私に対してまるで遠慮しない。私のお母さんと、黎人のお母さんの真白ましろさんは中学時代からの親友だ。黎人と私は誕生日も二週間しか離れておらず(私の方が少し早い)母親のお腹の中にいた頃から出会っていた私達は、生まれる前から幼馴染だったと言っても過言ではないだろう。そんな黎人は私にとって特別な存在には違いないけど、一緒に過ごした時間が長すぎて、それは恋愛感情というよりも家族、兄弟に近い絆……だと思う。

「それじゃあ困るの。黎人ちゃんを娘婿むすめむこにするのが私の将来の楽しみなんだから」
「はっ? 真顔で何を言っているのうちの母親は」

 思わずスプーンを落としかけると、お母さんが小悪魔な少女のように微笑んだ。この表情がこれ程似合う四十歳を、私はお母さん以外には知らない。

「今のは流石に冗談。だけどさ胡桃、想像してみて。レイちゃんが笑顔で彼女が出来ましたって紹介してきたら、何だか胃の辺りがムカムカしてこない?」

 体の丈夫さには自信があるから、今のところは胃がムカムカした経験はないけど、ぼんやりと私が想像した光景の中で、黎人は顔に靄《もや》のかかった制服姿の女の子と手を繋いでいて……。

「二人が繋いだ手を、手刀でぶった切っちゃうかも」
「あれ? 何だか私が思った以上に想像が膨らんでる? わ、我が娘ながらなかなか過激派ね」

 今度はお母さんの方がスプーンを落としかけていたけど、お母さんの言いたいことは理解出来た。黎人の恋路を素直に応援出来ないと思っているということは、私は自覚している以上に、黎人に重い感情を持っているのかもしれない。

「噂をすれば黎人からだ」

 仕事中は切っていたスマホの電源を入れ直すと、黎人からメッセージが届いていた。学校の昼休み中に送ってきたらしい。この時間、私が仕事中なのは黎人も当然承知しているし、後で確認してもらう前提で送ってきたのだろう。

『今日、定時の授業前に少し会えない? 話があるんだ』

 幼馴染だというのに、普段よりもどこか固い印象の文面。これはひょっとして、そういうことなの? 普段ならいちいちテンション上がったりはしないのだけど、タイミングがタイミングだけに、私はちょっとだけ自意識過剰になっていた。

 ※※※

 午後五時を回った頃。陽炎橋高校近くの公園に到着すると、見通しの良いベンチで黎人がこちらへ手招きしていた。私はもう見慣れているけど、端正な顔立ちの黎人は存在感があって、その仕草もドラマのワンシーンのようだ。本人は無自覚みたいだけど、公園に居合わせた中学生や、子供連れのママさんといった女性達の視線は自然と黎人に引き寄せられている。

「授業前にごめんね胡桃」
「大丈夫。時間には余裕あるから」

 公園から学校までは徒歩三分程度。ベンチからも校舎が見えている。ホームルームが始まる五時五十五分までに到着すれば大丈夫。黎人も今日は塾が休みらしくて、バスの時間は気にしなくてもよいそうだ。

「ジュース買っておいた。呼び出しちゃったお詫び」
「ありがとう。こうして学校前と学校後に会うの、何だか新鮮だね」

 自分のお茶と、私の分に炭酸飲料を買っておいてくれたらしい。全日制で制服のブレザー姿の黎人と、定時制で私服のパーカーとデニム姿の私が、肩を並べて飲み物をすする。同じ制服姿で放課後を過ごすのもエモいけど、お互いの空き時間が交差する時間帯に一緒に過ごすのも特別感があって、これはこれでエモいのではないだろうか。

「本題に入ろうか。胡桃に大事な話があるんだ」
「どうしたの? 改まって」

 あくまでも平静を装う。夕方の公園というある種の王道シチュエーション。ひょっとしたら本当に……。

「僕と」

 固唾を飲んで次の言葉を待つ。もう、黎人の声以外は何も聞こえない。本当は遊具ではしゃぐ子供達の活気やら、午後五時を過ぎて交通量が増えてきた車の走行音やらが聞こえてそれなりに賑やかだけど、こういうのは気持ちの問題だ。だからあえてもう一度強調しておこう。黎人の声以外は何も聞こえない。

「前にみたいに、僕と一緒に謎を解かないか? 青春にはミステリーが不可欠だよ」

 ははは。子供達の活気も、行き交う車の走行音も、私をおちょくるみたいに頭上で騒ぐカラスの鳴き声も、いつもよりも鮮明に聞こえるよ。お母さんに変なことを吹き込まれたのと、黎人からの呼び出しのタイミングで勝手に盛り上がってしまったけど、今までそんな素振りは無かったのに、突然ラブコメが訪れることなんてないよね。薄々感づいていましたとも。

 黎人は小さい頃からミステリーが好きで、小学生の頃には私を巻き込んで少年探偵団を結成し、日々謎を求めて校内を駆けまわっていた。中学生になってからは読書の魅力に気づき、日々ミステリー小説を持ち歩き愛読。私を巻き込んでミステリー研究会の結成にまで至った。最初は振り回されているような気もしたけど、だんだんと黎人と一緒に謎を求めて駈け廻る日々を楽しく思えるようになってきて、あの頃はへとへとになりながらも、毎日がとても充実していたと思う。

 高校に入学してからは、同じ学校とはいえ通っている時間帯が違うから、一緒に過ごす時間は減ったし、黎人は進学を見据えて塾通いを始めたので、部活動にも所属していない。ミステリーに対する熱量が少し落ち着いたのかなと思っていたけど、黎人はやはりブレない。

 環境が変わって一カ月以上が経ち、私はお店の手伝いをしながら夜に学校で勉強する生活に慣れてきた。思えばそれは黎人も同じで、新たな環境に適応し、自分らしさを楽しむ余裕が生まれた、ということなのかもしれない。

「黎人のミステリー愛が健在なのは分かったけど、具体的には何をするの?」
「胡桃はお店の仕事があるし、僕も放課後は塾通い。前みたいに二人でガッツリ活動をするのは難しそうだから、もっと緩く活動出来たらなと思っている。こうして時々時間を合わせながら、何か些細な日常の謎を解いていくぐらいが丁度いいかな」

 目を輝かせて語る黎人は何だか、幼い少年のように無邪気で可愛らしい。何だか懐かしいな。私とミステリーを繋ぎ合わせるのは、いつだって黎人のこの笑顔だった。私は黎人ほどミステリーに対する情熱はないけど、黎人と謎を追う日々が失われてしまったことには少し物足りなさを覚えていた。そんな私をもう一度誘ってくれたことは、絆を再確認出来たようで素直に嬉しい。方向性が違うだけで、私にとっては確かにロマンチックなお誘いだった。

「話しは分かった。そういうことなら、私も黎人に協力してあげる」
「ありがとう胡桃。君はやっぱり僕の最高の相棒だ」

 相棒か。嬉しい言葉なのは間違いないけど、やっぱり私達の関係性は恋愛方面には近づけていないようだ。

「だけど、日常の謎と言われてもいまいちピンと来ないな」
「話を持ちかけた以上、最初は僕から謎を提供させてもらうよ。真相を確かめるために、是非とも胡桃の力を借りたい出来事があってね」
「どういうこと?」
「ヒントはたぶん、夜に隠されている」

 語り部としての立場を楽しむように満面の笑みを浮かべると、黎人は事の経緯を私に説明し始めた。

 発端は今日の昼休み。黎人が同級生の女子生徒、あずま花凛かりんさんから不思議な出来事について相談されたことだった。東さんは図書委員会に所属していて、一階の図書室で毎週火曜日、昼休みと放課後に、本の貸し出しや返却された本を棚に戻す作業を行っているそうだ。

 そんな東さん。二週間前の昼休みに、前日までに返却された本の整理を行っている最中、さか武道たけみちという作家の長編小説「ライラックの歌」が強く印象に残ったという。その理由は、この本が図書室に二冊置かれていることと、直近の貸し出しの履歴が奇妙だったからだそうだ。

 「ライラックの歌」は毎週月曜日の放課後、返却と同時に、残るもう一冊が同じ生徒によって借りられていく。貸出期限が一週間なので、読み切れずにもう一冊を借りることによって、貸出期間を事実上延長したと考えれば辻褄は合うが、東さんが何よりも疑問だったのは、貸し出しカードに残されていた借りた生徒の記入だった。

 その生徒には学年など所属の記入がなく、ただ「夜生井好」と名前らしきものが記入されていただけ。加えて記録によると、近年「ライラックの歌」を借りた生徒は夜生井好ただ一人。本自体もかなり古く、三十二年前に出版された、年季の入った初版本であるそうだ。

 こういった経緯から東さんは、誰も借りることの無かった古い本を読み進める、学年不明の女子生徒の存在に興味を持ち、ミステリー好きを公言している黎人に相談という形でこの話題を提供したそうだ。明後日、金曜日には委員会の集まりがあるので、月曜日を担当している生徒に話を聞けば真相は簡単に分かるそうだが、それまでに黎人が推理をまとめ、答え合わせが出来たら面白そうだねと、二人の間で話しが盛り上がったそうだ……もしかしたら東さんは私のライバルに成り得る存在なのかもしれない……失礼、ちょっとだけ私情が。

 とにかく、私と黎人はこの二日間で、近年誰も興味を示さなかった「ライラックの歌」を借りる、学年不明の女子生徒、夜生井好の謎を解き明かさなくてはならない。これは事件でも何でもないし、謎を解く必要があるのかも分からない。だけど、明確な時間制限があると燃えてくるから不思議だ。長年、黎人のミステリー好きに付き合わされてきた影響か、少なからず私もその熱にあてられているようだ。

 そして黎人の読み通りならばヒントは夜、すなわち定時制に隠されている。

「おはようございます。引白ひきしろ先生」
「おはよう。比古さん」

 公園で黎人と別れたその足で、私は陽炎橋高校に登校した。生徒玄関で靴を履き替えていると、廊下を副担任の引白ひきしろのどか先生が通りかかったので挨拶を交わす。ちなみに入学してから知ったことだけど、夜間に勉強する定時制でも、登校時の挨拶は基本的に「おはようございます」だ。

 引白先生は現在二十八歳で担当教科は国語。明るく親しみやすい人柄で、晴れやかな笑顔が素敵だ。入学してから一カ月と少しなので他の先生のことはまだあまり知らないけど、副担任が引城先生で良かったなと思っている。

「先生、一つ聞いてもいい? 図書室って定時制の生徒でも使えますか?」

 黎人が私にお願いしたことその一を、私は引白先生に質問した。

「借りたい本でもあるの?」
「まあ、そんな感じです」
「同じ陽炎橋高校の生徒だから、もちろん定時制の生徒も図書室を使えるし、本の貸し出しも可能だよ。あまり知られていないから、定時制の利用者はほとんどいないけどね」

 実際、私も先生に聞くまでそのことを知らなかったし、そもそも定時制の生徒で図書室を利用する発想を持った人は少ないかもしれない。いずれにせよ、定時制の生徒でも図書室を利用可能かつ、利用者自体が非常に少ないということも判明した。これで謎の一つは解けたといっても問題ないだろう。

「教えてくれてありがとうございます。先生」

 先生にお礼を言うと、私は教室へと向かう。まだ午後五時台なので、校内は部活や委員会活動に励む全日制の生徒達の活気で溢れていた。
 定時制の教室は全日制と共有で、私達一年生の教室は日中は一年A組の教室と利用されている。ちなみに黎人の教室は二つ離れたC組で、定時制では三年生が利用している。

「おはよう、胡桃。今日は少し遅めだね」
「近くの公園で幼馴染と話してて」

 ギリギリに登校してくる生徒も多いから、教室にはまだ人の姿はまばらだけど、その中には友達の汀良風花もいた。普段は私の方が早いけど、今日は黎人と会っていたので風花の方が先に到着したようだ。

 風花は柔らかなショートボブの髪と大きな目が特徴的だ。自分の魅力をよく分かっており、仕草の一つ一つが可愛らしい。それでいて、それを嫌味に感じさせない無垢な少女のようなな魅力を合わせ持っているのだからもはや無敵だ。デニムジャケットを主役にしたガーリーなファッションも、印象付けに一役買っている。

「噂の幼馴染くん、確か猪口くんだっけ? 登校前に全日制の男子とデートとは青春してますな~」
「茶化さないの。これがデートを満喫してきた乙女の顔に見える?」
「うーん。どちらかというと、聞き込みを終えて辟易としている刑事の顔かな」
「だいたい正解。そういう風花はFBIの分析官か何か?」
「まさか、ファミレスで働いてたらこれぐらい余裕だって」

 実は影から全てを見ていたのではと疑いたくなる。風花は顔色を読むのが上手くて勘も鋭い。本人はファミレスで仕事をしているからだと言うが、仕事を始めてから一カ月と少しでその領域に達する辺り、風花のそれは天性の才能なのではないだろうか?

「それで、胡桃はどうして刑事の顔に?」
「実はかくかくしかじかで」

 別に隠すようなことではないし、風花に聞きたい話もあったので、私は事の経緯を風花に聞かせた。

「なるほど。ミステリー好きの猪口くんか。噂以上に面白い男の子みたいだね。それに付き合う胡桃も一途ですな」
「……返す言葉もございません。それで、風花はこの名前の生徒に心当たりは?」
 
 正確な読みが分からないので、私はノートの端に「生井好」と書いて風花に見せた。私に覚えがない時点で、一年生でないことは確定だ。

「うーん。他の学年のことはあまり知らないからな」

 全日制と違い、定時制では部活動の期間が限られていたり、生徒会以外には委員会活動が存在しなかったりと、他の学年の生徒と交流する機会はあまり多くない。ましてや私達は入学してからまだ日が浅いので、他の学年の生徒の氏名までは把握出来ていなかった。

「あっ! おはよう玲央。突然だけど生井好さんって生徒のこと知ってる?」
「ビックリした。本当に突然だな」

 教室に入ってきた楠見玲央くんが入ってきた瞬間、風花が背中で話題を振った。風花の位置から扉は死角だし、教室に入る際に楠見くんは一言も発していなかったけど、気配だけで到着を察したのだろうか? 二人の付き合いは長いそうだけど、楠見くんの方はビックリしている辺り、これは風花専用の特技なのだろう。

「それで、一体何の話?」

 楠見くんは一度自分の席に鞄を置くと、誰も座っていない私の一つ後ろの席に腰を下ろした。楠見くんは黒髪短髪で顔の掘りが深い。身長も高いので同い年なのに大人びて見える。無地のシャツにデニムというシンプルな格好もその印象に一役買っている。
 日中は市内にある書店で働いており、私も時々利用している。入学以来、仕事中の楠見くんと顔を合わせる機会も増えた。

 楠見くんとは風花を通じて親しくなったけど、自由奔放な風花とそれに振り回される真面目な楠見くんという構図は、楠見くんには申し訳ないけど、見ていて親近感を覚える。現在進行形で幼馴染に振り回されている今日は、特に感情移入出来た。

「実はこれには、深くて浅い理由があって」

 本日二度目の状況説明。頷きを介しながら真っ直ぐと私を見据える楠見くんの眼差しは「比古も大変なんだな」と同情が見え隠れてしている。振り回される側の人間にシンパシーを感じているのは楠見くんも同じようだ。

「事情はだいたい理解した。生井ういこのみさんなら、二年生に在籍してるよ」
「楠見くん。知り合いなの?」
「俺の働いてる書店のお客さん。何度か接客したことがあって、学校でも顔を合わせたから、『同じ定時制の生徒だったんですね』みたいな感じで親しくなって。それ以来、顔を合わせたら世間話をする程度には交流があるかな。生井さんって話し上手で楽しい人だから、ついつい話し込んじゃうんだよな」
「あれ、玲央ってもしかしてその生井って人といい感じ?」

 声を低くしてやきもちを焼く風花と、ゾクリとしたのか背筋を正す楠見くん。分かりやすい二人だ。

「生井さんとはそういうのじゃなくて、年の功というか、親戚のおばさんと話してるような安心感があって」
「年の功?」
「親戚のおばさん?」

 私と風花の疑問が連続する。生井好さんのことを一方的に、同年代の少女としてイメージしていた。

「生井さんは五十六歳。人生の先輩として、よく相談にのってくれるんだ」


続き


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