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コーヒー牛乳とチョコレート 第二話

 翌日。私は再び登校前に公園で黎人と落ち合っていた。デートなら嬉しかったんだけど、目的はもちろん捜査の進捗状況を確認するためだ。夜、家に帰ってからメッセージで多少はやり取りはしたけど、話し合いはやっぱり、直接会った方が捗る。

「黎人の予想通り、本を借りていたのは定時制の生徒だったよ。名前は生井ういこのみさんで、年齢は五十六歳。図書室を利用している定時制の生徒はほとんどいないことも先生に確認済み。これも推理の補強になるよね」
「僕の予想と矛盾しない。東さんから話を聞いた時、随分と珍しい苗字だなと思ってたんだ。やはりそういう名字は存在せず、夜とは夜間部を示す言葉だったようだね」

 最初にその可能性に思い至ったのは黎人で、私はそれを裏付けるために、定時制の生徒でも図書室を利用出来るのかどうか。その名前に該当する生徒が定時制に在籍しているかどうかを確認しただけだ。

 陽炎橋高校の図書室で本を借りる際は、借りた生徒の学年と氏名を、貸し出しカードに記入する。貸出カードの記入欄は簡素な作りで、横長の一つの枠の中に、借りる生徒が学年、組、氏名をまとめて記入する仕様になっているそうだ。それ故に図書委員の東さんも、学年や組の記入がない夜生井好に疑問を抱くことになった。夜間に学校に通う私達は陽炎橋高校定時制課夜間部の生徒。うちの高校の定時制は夜間部しかないけど、他にも昼間部の定時制が設けられている学校も存在する。所属を表す表記として、夜間部の私達を「夜」とすることはあり得る。

「それでも、学年の記載だけで夜としか表記されていないのは違和感があったけど、胡桃の情報のおかげで補完された。最初は『夜間部二年』といったように丁寧に表記していたのかもしれないけど、定時制の生徒で図書室を利用していたのが事実上、生井好さんだけだったのなら、夜間部の生井さんが借りたということだけが分かればさほど問題はないから、徐々に簡略化されていったのだろう。正確なところは明日、東さんに月曜担当の図書委員に確認してもらうけど、この読みは当たらずも遠からずだと思う」

 黎人はメモ帳に私と共有した情報やそれに基づく推理を綴っていく。昔から黎人はスマホではなく直筆でメモや記録を取る。本人曰く、その方が見返した時に感情ごと思い出せるので、推理が活き活きとする、とのことだ。

「私から提供出来る情報はこんなところかな。黎人の方でも何か調べて来たんでしょう?」

 昨日、黎人は塾がお休みで放課後はフリーだった。大のミステリー好きが情報収集を私にだけ任せて、一人で遊び歩いていたはずがない。

「僕は『ライラックの歌』の著者である酒武道氏について調べてみた。そうしたら興味深い事実が判明したよ。酒武道はペンネームで本名はさか健道けんどう。彼は僕らの通う陽炎橋高校の卒業生だ」
「それじゃあ、図書室に『ライラックの歌』が置いてあるのって」
「卒業生である小説家の作品だからね。初版本だったし、本人から母校に寄贈されたものなのかもしれない。それなら二冊と多めに置かれている理由にも納得出来る」
「坂さんのご年齢は?」

 初版本が出たのが三十二年前。だとすると坂健道さんも相応の年齢ということになる。もしかしたらそこにもヒントがあるかもしれない。

「胡桃もやっぱりそこが気になったか。坂さんは三十八年前に陽炎橋高校を卒業している。ご健在なら五十六歳になっている計算だ」
「ご健在ならってことは。坂さんはもう……」
「ああ。坂さんは三十年前、二十六歳の時に病気で亡くなられている」

 三十年も前とはいえ、学校の先輩が二十六歳の若さで亡くなったという事実には胸が痛む。これからも小説家として活躍していく未来に、きっと天望を抱いていたと思う。運命はあまりにも残酷だ。

「坂さんと生井好さんは同い年だ。二人が同級生や友人関係にあった可能性は十分に考えられる。そんな生井さんが当時の知人のデビュー作を図書室で発見し、懐かしく思い本を熱心に読み込んでいる。先の名前の謎と合わせて、東さんの疑問の答えには十分だろう」

 黎人はあきらかにまとめに入っているけど、私は正直、まだ釈然としていない部分がある。

「ねえ、黎人。本当にこれで全て解決なの?」
「おっと、全てとは言っていないよ。僕は東さんの疑問の答えには十分だと言っただけだ。限られた時間の中で、東さんの疑問に対する答えは出したし、これが正解だという自信もある。東さんの疑問に答えるという点においては僕たちの調査は終わったけど、個人的にやり切ったとまでは思っていない」

 黎人が愉快そうに口角を釣り上げた。そうだよね。黎人の探求心がこの程度で満たされるはずがないよ。私でさえも抱いている疑問を、黎人が疑問に思わないはずがない。

「どうして態々、学校の図書室で毎回本を借りていくのかだよね?」

 黎人は私の言葉に無言で頷いた。
 生井さんが酒武道の知人で、当時を懐かしんで何度も本を手に取っている。だけど、どうして学校の図書室でそれを繰り返すのか? もちろん、普段通っている学校の図書室を利用するというのは理に適っているけど、地元出身の作家の作品とあれば、きっと図書館にも置いているはずだし、もっと言えば書籍を購入して、返却期限に追われずにゆっくりと自分のペースで楽しむことだって出来る。実際、楠見くんは何度も書店で生井さんを接客している。それなのに生井さんはどうして図書室で本を借りることに拘るのだろうか? そのことが私はずっと気になっている。

 謎を追いかけるこの感覚をしばらく忘れかけていた。確かにいつだって最初に行動するのは黎人で、私は振り回されてばかり。その構図は今でも変わりないけど、結局は一緒に行動している内に、私までも真実を知りたくなってしまい、最後まで突っ走ってしまう。どうやらミステリーに憑りつかれているのは黎人だけではないらしい。

 金曜日の夜には黎人からメッセージで、放課後に図書委員会の集まりに参加した東花凛さんとの答え合わせについて知らされた。

 当事者の図書委員に東さんが確認したところ、貸し出しカードに記入のあった夜生井好の正体はやはり、定時制の生徒の生井好さんだった。定時制の生徒で図書館を利用しているは実質、生井さん一人だけ。司書の先生や特定の曜日の図書委員とはすっかり顔馴染みとなり、最初は事細かに所属を記入していたものが簡略化されていき、現在は夜間部を示す夜の一文字で表現されている。実際は夜と名前の間は少し空いていたようだけど、所属は例えば1年C組のように、数字や英語の組み合わせだという先入観を持っていた東さんは、夜も含めて名前であると誤認してしまったようだ。何も偉そうなことを言えた立場ではないけど、一年生でまだ図書委員としての歴の浅い東さんがそう思ってしまうのは仕方がないことなのかもしれない。

 生井さんが毎回、酒武道の「ライラックの歌」を借りていく理由の一端についても、当事者の図書委員から証言が得られた。結論から言うと私と黎人の読みは当たっていて、生井さんと酒武道――坂健道さんは、中学生時代の同級生だったそうだ。生井さんは家庭の事情で高校には進学しなかったそうだが、数十年越しに定時制という形で陽炎橋高校に入学し、図書室で偶然見つけた、今は亡き同級生の残した小説に懐かしさを覚え、頻繁に本を借りるようになったという。

 名前の謎が解け、頻繁に「ライラックの歌」を借りる理由も、著書本人の知人であったということなら十分に納得がいく。黎人の伝えた推理と、図書委員から聞かされた真実がほぼ一致していたことに驚きながらも、東さんはその結果に満足してくれたそうだ。東さんが知りたがった範囲の答え合わせが出来たことで、この依頼(というと大袈裟だけど)は無事に達成されたといってもよいだろう。ここから先の調査は私と黎人の、極めて個人的な延長戦だ。

 ※※※

「ごめん。ちょっと遅れちゃったかな?」

 土曜日の午後二時四十五分。比古さん食堂でのランチタイムの勤務を終えた私は、黎人との待ち合わせ場所である陽炎橋市立図書館を訪れていた。週末は大学生の阿刀麻希ちゃんや中条なかじょう萌衣もえさんが積極的にシフトに入ってくれるので、ランチタイムの後はお休みを貰える日も多い。

「僕も今着いたところだよ。ごめんね仕事終わりに」
「気にしないで。今日は私も色々と調べる予定だったし」

 黎人は私に貴重な休みを使わせて申し訳ないのかもしれないけど、仮に黎人から誘われなくても、私は自主的に調査に時間を使っていたと思う。唯一、一人の時と二人の時とで明確な違いがあるとすれば、今の私はファッションに気を遣っていることだろうか。前に風花と一緒に駅ビルで購入した、白いフリルブラウスとデニムのショートパンツを着て、今日は普段よりもちょっとだけ背伸びしてみた。

 目的は何であれ、週末に黎人とお出かけするんだもの。普段とは違う私を演出したい。黎人は優しいから自分も今着いたところだと言ってくれたけど、私はやっぱり少し遅れていたと思う。普段は着ていた楽な私服が多くて、本気でコーディネートを組んだのは久しぶりだったから。

 隣を歩く黎人はパーカーにチノパンというシンプルなコーデだ。それぐらいシンプルな方が、黎人本人の魅力が引き立っているような気がする。かっこいいよ黎人!

「検索機を使ってみようか」

 陽炎橋市立図書館は二階建てで、県内の図書館でもかなり大きな部類だ。休日の閉館時間は午後五時で残り二時間ほど。時間が限られているので、検索機で場所を確認することにした。著者名で検索。打ち込んだキーワードは「酒武道」だ。

「酒武道って、こういう字だったんだ」

 思えばこれまでは、黎人から口頭で名前を伝えられただけだったので、漢字表記を目にしたのは初めてだった。初見だと「たけみち」ではなく「ぶどう」と読んでしまいそうだ。検索してみると、地元出身の作家である酒武道には文芸の本棚ではなく、専用のコーナーが設けられていた。これなら適当にブラブラしても見つけられたかもしれない。

「図書館でも『ライラックの歌』は取り扱っているようだね」
「うん。その気になれば秋さんは図書館でも『ライラックの歌』を借りられる」

 専用コーナーでは酒健道のデビュー作にして代表作。「ライラックの歌」が表紙を向けて私たちを出迎えていた。これを見て思いついたことが一つ。

「何だかちょっと借りづらいかも」

 列記とした図書館蔵書の書籍で、もちろん借りることだって出来るのだけど、展示品のように大仰に置かれているので、これを借りてしまうことは何だか展示に穴を空けてしまうようで、ちょっとした罪悪感を覚えそうだ。
 年末年始や蔵書点検の時期を除けば、図書館は基本的に年中開館しているし、貸出期間も学校の図書室が一週間なのに対して、市立図書館は倍の二週間。こういった面で学校の図書室よりも使い勝手が良いのではと思ったけど、もしも生井さんも私と同じような感覚を抱いたなら、普段通っている学校の図書室で済ませようと思ってしまうこともあるかもしれない。

「図書館では借りづらいから、学校の図書室で借りてるのかな?」
「その可能性もあるけど、もしかしたらもっと明確な理由があるのかもしれないよ」

 そう言って黎人は「ライラックの歌」を手に取ってパラパラとページを最後まで送った。

「少し新しいと思ったら、初版本じゃないのか」

 黎人の眼光が鋭くなる。謎に対面した際の臨戦態勢の目つきだ。何度も重版されているヒット作だったことが伺えるが、それが今回の謎にどう関わってくるのだろうか?

「すみません。少し聞きたいことがあるんですか」

 黎人は「ライラックの歌」を片手に、話を聞けそうな司書の方を探し始めた。近くに若い司書さんもいたけど、黎人は少し館内を回って、あえてベテランの女性の司書さんに声をかけた。私は黙って黎人の背中を追うばかりだったけど、一体黎人は何が気になったのだろう?

「酒武道さん著のこの本は、どうして第五刷りなんですか?」

 ※※※

 図書館で一通り調べものを終えた私と黎人はその足で、同級生の楠見くんが務める書店を訪れていた。私と黎人がそれぞれ買いたい本があったのと、楠見くんには昨日学校で一つ頼み事をしたので、その確認もしておきたかった。

「こんにちは、楠見くん」
「いらっしゃい。比古と……そちらさんは?」

 店内に制服のエプロン姿の楠見くんの背中を見つけて声をかける。明日書店に寄るとは伝えていたので、楠見くんは声だけで直ぐに私と分かったようだけど、その隣に初対面の黎人がいたので若干、テンションの調整に戸惑っている。そういえばいつものノリで話しかけちゃったけど、二人は初対面だったね。

「紹介するね。彼は幼馴染の猪口黎人」
「猪口黎人、全日制の一年です。よろしく楠見くん」
「名前は比古から何度か。定時制一年の楠見玲央です。こちらこそよろしく」

 黎人はあまり人見知りしないタイプだし、楠見くんも普段から接客をこなしているだけあって人当りが良い。自己紹介をしたことで場の空気は一気に和んだ。

「楠見くん。昨日お願いしてた件なんだけど」
「確認済み。こっちだよ」

 楠見くんに案内されてきたのは、文庫本を著者名の順に並べた棚だった。さ行の棚には、酒武道の作品のほぼ全てが置かれていた。その中にはもちろん「ライラックの歌」のタイトルもある。

「地元出身の作家というのもあって、品揃えは豊富だよ。比古の言ってた『ライラックの歌』は陳列してある分以外に在庫もあるし、もちろん取り寄せにも対応してる」

 私と黎人はお互いの顔を見合わせて頷き合う。この書店は「ライラックの歌」を含めて酒武道の作品の品揃えが豊富だ。それは当然、お店の常連で楠見くんと顔見知りの生井さんも把握しているはずだ。行きつけのお店でいつでも「ライラックの歌」を買えるのに買わない? いや、買わないのではない。同級生の出版した作品だし、すでに所有しているから、新たに買い求める必要がないと考えた方が自然か。だけどそれだとより謎が深まる。自宅に本があるのなら、態々学校の図書室で本を借りる必要なんてない。

「楠見くん。『ライラックの歌』の取り扱いは文庫本だけなのかい?」

 思考を巡らせる私の横で、黎人が気兼ねなく楠見くんに尋ねた。

「比古から頼まれたついでに調べたんだけど、単行本はもう出版されてなくて、今流通しているのは文庫版だけ。初版が三十二年前だし、単行本を拝むなら、図書館みたいな公共施設か、古本ぐらいじゃないかな」
「なるほど。今流通しているのは文庫本なのか」

 黎人は合点がいった様子で微笑を浮かべた。図書館でベテランの司書さんから証言を得た時と同じ表情だ。黎人の中で、一つの確信に向けて点と線が繋がっていっているのを感じる。

「せっかくだから、一冊買っていこうかな」
「それじゃあ、私も」

 謎解きに役立てるつもりなのだろう。黎人は文庫本の「ライラックの歌」を一冊手に取った。何の気なしに私も「ライラックの歌」を手に取り一冊買っていくことにした。黎人はどうか分からないけど、私はこの数日間、謎を追っていく中で、純粋に本の内容にも興味が湧いていた。

「他にも買いたい本があるからちょっと待ってて」

 元々買い物をする予定だったので、黎人は別の棚で、お目当ての小説を探し始めた。

「本当に仲良しなんだな」

 楠見くんは初対面の黎人には遠慮して、同級生の私にだけ小声で語りかけてきた。

「別に幼馴染で付き合いが長いだけだよ」
「本当にそれだけ?」
「何だか楠見くん。風花みたいな物言いだね」

 追及されるとは想定外だった。恋バナとかが大好きな風花ならばともかく、普段は受動的で、一歩引いた位置から物事を見ている印象の楠見くんにしては珍しい。

「ごめん。確かに今のはデリカシーに欠けてた。ただ、幼馴染だからって同じ日にお揃いで恋愛小説買っていくものかなと、ちょっと思って。本当ごめん」

 思わぬ指摘に、耳まで一気に熱くなる。楠見くんには生井さんについて聞いたりはしたけど、生井さんと「ライラックの歌」の繋がりなど、細かい事情まで話していない。今回も「ライラックの歌」という本を書店で取り扱っているかを確認してもらっただけ。楠見くん目線から見れば、休日に仲良く書店を訪れて、事前に在庫を確認した本を、しかも恋愛小説をお揃いで買っていこうとしている同級生の図となる。客観的に見れば、誤解するなという方が無茶な話かもしれない。だけど、私と黎人はそんなじゃなくて。いや、そうはなりたいんだけど今は難しくて……ああもう! 思考が乱れる!

「ワ、ワタシモナニカカッテイコウカナ」

 我ながら役者には向いていない。今の私はぎこちなくその場を取り繕うので精一杯だった。すまぬ楠見くん。全てに決着がついたら弁明させてもらうから!

 ※※※

『――ワインのボトルから注いだ最後の一杯を、僕は思い出を流し込むように飲み干した。この一杯と共に、君とはお別れだ』

 日曜日の午後十時。自室で「ライラックの歌」を読み終えた私は、文庫本を静かに閉じた。一度読みだしたら手が止まらず、週末の二日間で一気に読了してしまった。

 中学生時代に出会った男女の人生を、十二歳から二十五歳まで描いた長編ラブストーリー。三十二年前の作品なので時代を感じる部分はあるけど、とても読みやすい文体で、繊細に描かれた十代の少年少女の複雑な心情描写には現役の高校生である私も共感できる部分が多く、どんどん物語に引き込まれていった。

 出版当時の酒武道先生のご年齢は二十代前半。もしかしたら構想時にはまだ十代だったかもしれない。思春期の感性をまだ体が覚えていて、それでいて大人として社会へと羽ばたいていくような時期。そういった絶妙な時期だからこそ生まれた傑作なのかもしれない。

 主人公の五福ごふく大一ひろかずと、ヒロインの萩生はぎお牡丹ぼたんの出会いの時期。甘酸っぱい青春時代を描いた中学、高校編。別々の道を歩み徐々に心が離れていく大学、社会人編。大きく分けて二つの物語で構成されている。物語は大一の一人称で描かれており、彼に感情移入して見入ってしまう。

 それぞれ遠く離れた大学と専門学校へと進学することとなり、お互いの夢のためにと関係を解消したものの、ずっと牡丹のことを忘れられず、新たな恋へと一歩踏み出そうとする大一が、相手の女性から別の女性と見ているようだと本心を見透かされる描写などがあまりにも痛々しく、大一はワインを飲むことで自分を誤魔化し続ける。

 最後は牡丹への思いを振り切り、大一が逃避の象徴だったワインを飲み干し、ボトルを処分するところで物語は幕を下ろす。ビターなエンドで、大一と牡丹が結ばれなかったことに胸は痛むけど、恋愛小説でリアリティを追及するというのは、こういうことなのかもしれないとも思う。少なくともハッピーエンドで終わっていたら、ここまで強く感情を揺さぶられることはなかったかもしれない。バブル期の終焉を感じさせる当時の時代背景も相まって、物悲しくもとても印象深いラストだった。

 読み終わった後、スマホで「ライラックの歌」や酒武道に関する情報を調べてみた。作品の映像化というテーマでインタビューを受けた際、生前の酒武道氏は、極めて個人的な物語なので、映像という形になるのは恥ずかしいと応えていたという小話。出身校や出身地に図書館に書籍が寄贈された話題なども拾えた。

「もしかして、黎人が気にしてたのって」

 最も私の関心が向いたのは、小説のレビューサイトに寄せられている書き込みだった。作品に関しては軒並み高評価、好意的な意見が大勢だけど、いくつか気になる内容が見つかった。

『どうして初版本とはお酒の種類が違うんだろう?』
『物語に直接影響しないとはいえ、お酒は大事な小道具の一つ。何か意味があるのかな?』

 第五刷りとそれ以前では、作中で五福大一が好むお酒の種類が違うらしい。私が読んだ文庫本を含め、現在流通している「ライラックの歌」は全て、登場するお酒がワインになっていると見て間違いないだろう。作品に違いが存在しているのだとすれば、生井好さんが高校の図書館でのみ「ライラックの歌」を借りていたことにも理由が生まれる。この閃きを大事にしたい。私は勢いそのままに黎人に電話をかけた。

「黎人。今大丈夫?」
『大丈夫だよ。ちょうど「ライラックの歌」を読み終えたとこ』

 凄い。私と黎人の動きはシンクロしている。やっぱり私達って運命の……って、今はそれどころじゃなかった。

「私も読み終わって、色々と気付いたことがあるの。黎人が何に対して疑問を抱いたのかも、たぶん気づけた」
「僕も本編を読んで理解が深まったよ。お互いに意見を出し合ってみようか」

 時間が経つのも忘れて、私達はお互いの推理を補完していくことに没頭した。
 今になって思えば、日付を跨いで黎人と電話をし続けたのなんてこれが初めてのことだったけど、この時は内容に熱中するあまり、そのことをあまり意識はしていなかった。どうしてその瞬間にドキドキ出来なかったのかと後悔したのは、目覚ましのアラームで目覚めた直後のことだった。


第三話 

第一話


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