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コーヒー牛乳とチョコレート 第十二話
「楠見くん。胡桃はいる?」
陽炎祭二日目。昨日と同じ要領で、午前中に遊技場の仕事を終わらせ、その足で胡桃が担当する中庭の焼き鳥の屋台に向かったのだけど、そこに胡桃の姿は無かった。胡桃の所在を、数少ない顔馴染みの楠見くんに尋ねる。
「さっきまでいたけど、午前の仕事が終わったらさっさと切り上げたよ。昨日も一緒だったし、てっきり猪口と一緒だと思っていたけど」
面と向かって謝らせてももらえないなんて……胡桃はそんなに僕と顔を合わせたくなかったのか。
「何かあった? 比古も何だか今日は落ち着かない様子だったけど」
「……ちょっと、喧嘩をね」
「なるほど。そういう時もあるよな」
友達だからと報告する内容でもないし、胡桃も楠見くんにまでは事情を話していないのだろう。楠見くん自身、どこまで踏み込んでいいものか迷っているようで、反応は当たり障りない。今の僕にはその方がありがたかった。
「ありがちな言葉かもだけど、時間が解決してくれる部分もあるんじゃないか? お互いに頭が冷えればまた話せるって」
そう言って、楠見くんは励ますように僕の肩に触れた。
時間が解決してくれる。昨日、玄さんも同じことを言っていた。僕は解決を焦り過ぎなのだろうか? 確かに胡桃が僕と距離を置こうとしている時に無理に会おうとすれば、それは余計に状況を拗らせるだけなのかもしれない。仲直りして一緒に陽炎祭を回りたかったけど、陽炎祭は来年も再来年もあるし、今日という一日よりも、今後も胡桃と仲良くしていくことの方が重要だ。焦らず、今はお互いに頭を冷やすべき時間なのかもしれない。
「ごめん。急に顔出して、悩み相談までしちゃって」
「気にするなって。何かあれば俺も協力するから」
「ありがとう。楠見くん」
楠見くんとはその場で別れて、僕は学食で昼食をとることにした。
屋台の焼きそばをすするけど、胡桃のことで頭がいっぱいで、あまり味を感じない。作ってくれた人には申し訳ないけど、今の僕にとって食事は、ただお腹を満たす作業となっている。
「僕一人でもやるか」
昼食を終えると、昨日ヴァンパイア先輩から渡された、三つ目の謎が入った封筒を取り出した。今日は胡桃とは会えそうにない。だったら僕一人で謎解きスタンプラリーを完遂しよう。今はとにかく、何かをして気を紛らわせたかった。
己の流儀に則り、今この瞬間まで封筒は一度たりとも開封していない。封に使われているシールは今回は一枚目と同じような無地の赤いシールだったので、追加情報は存在しないようだ。
「ここに来て暗号か」
封筒には一枚の問題用紙が入っていた。
『次の言葉が示す部室に迎え。
10 74 16 91 15 68
ヒント
1=H 2=He
11=Na 12=Mg
※法則が分かった時点で、参考資料の検索を認める』
ヴァンパイア数に続き、再び謎の数字が並んでいる。ただし今回はヒントつきで、一部の数字に対応する文字が記載されていた。今回はヴァンパイア数のように数字の共通点を見つけるというよりも、法則に従って特定のメッセージを見つけ出す、暗号としての側面が強そうだ。
そして最後の意味深な注意書き。参考資料というのは恐らく、暗号解読に必要な、対応する数字や文字を記した暗号表の類だと考えるのが妥当だろう。本来なら暗号表も問題文に同封されて然るべきだが、そうではなく参考資料の検索を認めると、あくまでも暗号表も自分で見つけろと強いてくる。一見すると不親切に思えるが、僕にはこれ自体も大きなヒントのように思えた。検索を認める、即ち誰も検索することが出来る。ということは、今回の謎のために用意された暗号表というわけではなく、既存の何らかの資料が、暗号表の役割を果たすと考えるべきだろう。だとすれば、この参考資料の正体を突き止めることが出来れば、謎の解明は一気に進むことになりそうだ。
まずは数字とそれに対応する文字の法則を突き止めなければ始まらない。1はHとローマ字一文字なのに、他の数字は大文字と小文字の組み合わせだ。日本語に変換すれば2は「へ」、11は「な」と読むことも出来るが、他がそれに当てはまらない以上、全てを日本語に変換することは難しそうだ。
さらに奇妙なことに、「1=H」と「2=He」はそれぞれ紙の左右の端に書かれて間が空いているのに、二列程度下がって「11=Na」と「12=Mg」は左側に隣り合って並んでいる。まさか銅先輩に限って、問題製作時に位置を間違えた、などということはないだろうし、この配置にもきっと何か意味があるのだろう。
手帳を開き、ヒントの位置に習って、数字に対応する文字を書いてみる。「H」を左上、「He」を右上、ヒントに沿うなら一列目はこれで終わり。ヒントには無いが、後の三行目の「Na」、「Mg」を考えれば、その間の3から10に対応する文字が二列目に相当すると考えるのが自然か。解読する数字の一つは10だ。11が三列目の先頭に来るということは、10は二列目の最後。「He」の真下にやってくると考えられる。
「この並び、どこか既視感があるような」
最初の列が「H」と「He」。そして三列目の始まりが「Na」、「Mg」。この並びに覚えた既視感は、雑学とか個人的な知識の範囲ではない。授業で習うような、僕たち学生には比較的身近な……。
「そうか。スイヘーリーベーか」
暗記のための歌も印象深い、僕たち学生にとっては身近な記号の数々。ヒントと照らし合わせた結果、これらの数字が表しているのは、元素周期表に記載されている番号と元素記号だ。
1は「H」で水素。2は「Ha」でヘリウム。11は「Na」でナトリウム。12は「Mg」でマグネシウム。だとすれば問題文に記載された数字も全て、元素記号を表していると考えて間違いないだろう。有名どころだと、10が「Ne」でネオン、15が「P」でリンであることは分かるけど、74番や91番となると流石に自信はない。ここは問題文の配慮に甘えて、周期表を検索して参考にさせてもらうことにしよう。
「これならいけそうだ」
スマホで検索した周期表と照らし合わせることで、全ての番号がどの元素記号と対応しているのかを把握することが出来た。
10はネオンで「Ne」。
74はタングステンで「W」。
16は硫黄で「S」。
91はプロトアクチニウムで「Pa」。
15はリンで「P」。
68はエルビウムで「Er」となる。
これらの元素記号を並べると生まれる言葉は、「Newspaper」。
「答えは新聞。ということは」
校内のフロアマップを確認してみると、二階の空き教室では新聞部による展示が行われていることが分かった。目的地は新聞部と見て間違いないだろう。
「最後の謎だけあって、なかなか歯ごたえがありましたよ先輩」
学生にとっては馴染み深い元素周期表をそのまま暗号表に利用するとは、銅先輩もなかなかトリッキーなことを考えるものだ。
「……思ったよりも早く終わったな」
時刻は間もなく午後一時になろうかというところ。後は新聞部に顔を出して最後のスタンプを押してもらえば謎解きスタンプラリーはクリア。時間的にもかなりの余裕があることになる。この時間を使って、胡桃と文化祭を回ることが出来ないことが残念だ。
「失礼します。こちらでスタンプラリーは受け付けていますでしょうか?」
二階の空き教室を利用した新聞部では、部が過去に発表した記事のバックナンバーをまとめた冊子を配布するイベントが行われていた。それ以外の活動としては、準備期間中に取材した各クラス、各部活の陽炎祭本番への軌跡を収めた「陽炎祭特別号」と題した新聞が、入口正面を始め、校内の様々な場所へと掲示され、来場者の目を楽しませている。
「まさか本当にクリア者が現れるとは。新聞部の瀬尾だ。私がここの担当だよ」
入室した僕が声をかけると、一人で冊子の在庫整理をしていた男子生徒が物腰柔らかく応対していた。記者っぽく、首から身分証明書をぶら下げており、「新聞部副部長・瀬尾新平」と記載されている。
「一年の猪口くんだろう? 君の話は一夏から聞いているよ。謎解きスタンプラリーを制覇する者がいるとすれば、それは君だろうとね」
「銅先輩とは付き合いが長いんですか?」
銅先輩のことをドーナツと愛称で呼ぶ先輩方も多い中、瀬尾先輩は名前の一夏で呼び捨てにしている。これまでの先輩方よりも距離が近い印象だ。
「小学生の頃から知ってる。おまけに今や、ミス研の部長と新聞部の副部長だからね。何かにつけて協力を要請され、困り果てているよ」
そう言って苦笑しているけど、本気で迷惑だと思っていたら、銅先輩の企画に協力、しかも最後のスタンプ担当などという役どころを引き受けたりはしないだろう。ミステリーと記者というのも一つの王道の組み合わせだし、銅先輩と瀬尾先輩は良いコンビなのかもしれない。
「さてと、ここまで辿りついた君にはスタンプを授与しなくてはね」
「これで最後ですよね」
「昨日までならね」
不敵な笑みを浮かべる瀬尾先輩の手にはスタンプ、そして一枚の封筒が握られている。
「どういう意味ですか?」
「本来は三つの謎を解いた時点でクリア。このまま一夏が待機する、ミス研の部室に向かってもらう流れだったんけど、今朝になって急遽、一夏から企画の変更を受けてね。君にはエクストラステージに挑戦してもらうことになった。一夏いわく、すでに君以外の挑戦者は脱落しているそうでね。せっかくならと、君に最後の挑戦をしたいそうだ」
「昨日の今日でエクストラステージを仕込んでくるなんて。相変わらず柔軟な人ですね」
「その結果、私みたいな人間が振り回されることになるんだけどね。ひとまずこれで、正規の謎解きスタンプラリーは見事クリアだ。このまま是非ともエクストラステージのクリアを目指してくれたまえ」
「ありがとうございます」
激励の言葉と共に、枠が全て埋まったスタンプカードと、新たな謎が入った封筒を僕は受け取った。
※※※
『コーヒー牛乳に会いに行きなさい。最後のスタンプはそこに。
追伸。私が即興で考えた謎につき、初心に返らせてもらった。クオリティはご容赦を』
廊下で封筒を開封すると、四つ目のスタンプに使えということだろうか。追加でもう一枚のスタンプカード(枠は三つ)と、銅先輩の手書きらしき謎が一枚入っていた。印刷ではなく手書きだったり、追伸でクオリティに言及したり、瀬尾先輩が言っていたように、本当に今朝になって急遽追加された謎のようだ。
三つの謎を解いたのが僕だけで、その結果迎えたエクストラステージというのは光栄だけど、それにしては追伸が気になる。時間が無かったのは事実だろうけど、銅先輩がクオリティに自信がない謎で、僕に挑戦してくるような真似をするだろうか? ひょっとしたらこれ自体も何かのヒントなのかもしれない。それを念頭に置いて、このメッセージについて考えてみよう。
キーワードは「コーヒー牛乳」。会いにいくという表現や、これまでも誰かしら銅先輩の関係者がスタンプを管理していたことから、特定の誰かを示していると考えるのが妥当か。
「やっぱり追伸が気になるな」
意味をストレートに捉えるのは危険な気がする。相手はあの銅先輩だ。深読みするぐらいで丁度いい。
「私が即興で考えた」。これは恐らく文字通りの意味だろう。短時間で考えた。故に謎としてそこまで複雑ではない。
「初心に返らせてもらった」。追伸の中で、正直この言葉だけが浮いているように感じられた。これは恐らく謎の方向性を表している。
「クオリティにはご容赦を」。やはり銅先輩が謎のクオリティに言及するのは違和感がある。これもヒントだとすると、それが意味するところは。
この追伸は僕に対してのみ向けられたもので、銅先輩はフェアな人。つまり僕はこの追伸を咀嚼することができるはずだ。
『どうして私はドーナツと呼ばれているでしょうか?』
初対面の僕に銅先輩が最初に仕掛けてきたのは、自身のあだ名に関する問題。出会いと名前。二重の意味でこれは初心だ。クオリティに対する言及も完成度というよりも、過去に似たような謎を経験している、言うなれば二番煎じという意味ではないのか? 同じような方向性で考えていけば、今回も正解に辿り着くことが出来るかもしれない。
『ペンネームを読み替えたら、葡萄酒と読むことも出来るなって』
この方向で考えていたら、五カ月前の胡桃のことを思い出していた。胡桃は酒武道のペンネームと葡萄酒の関連性に気付き、そこから生井好さんの名前がウイスキーと読めることにも……。
「まてよ、胡桃?」
人生で何度も呼んできた幼馴染の名前が僕の心に引っ掛かる。胡桃との距離感からではない。純粋にその名前の響きが今の僕には意味深に聞こえる。
「胡桃……ミルク……牛乳」
だとすれば残るは。
「比古……コーヒー」
閃く時はいつだって一瞬だ。
コーヒー牛乳が示す人物は僕の幼馴染、比古胡桃以外には考えられない。
どうして謎解きの答えが比古胡桃なのか。
どうして銅先輩が急遽こんな謎を用意したのか。
疑問は尽きないけどそんなものは後回しだ。
胡桃に会いにいける。今はそのことが嬉しくて仕方がない。
※※※
「無理言ってすみませんでした」
「構わないよ。主催する謎解きスタンプラリーが原因で、探偵くんの人間関係に悪影響を与えてしまっては、私も寝覚めが悪いからね」
ミステリー研究会の部室で、俺はスマホを確認する銅先輩に深々と頭を下げた。直前には、企画に協力してくれた新聞部の瀬尾先輩から、黎人がスタンプを押しにきて、エクストラステージへの挑戦が始まったと、銅先輩のスマホにメッセージが届いていた。
「それにしても、司くんもなかなかお節介な男のようだね」
「俺のお節介に乗ってくれたドーナツ先輩も同類でしょう。マジで感謝してます!」
どうして急遽追加された謎解きの答えが胡桃ちゃんだったのか。
事の発端は昨晩、俺が黎人に連絡した時に、仲直りが上手くいっていないと聞かされたからだ。
本来は二人が仲良しなことは誰の目にも明らかだし、時間が経てば間違いなく解決する問題だとは思うけど、黎人と一緒に陽炎祭を楽しみたかっただろう胡桃ちゃんの気持ちは理解出来るし、突然謎解きモードに入ってしまっただけで、本心では胡桃ちゃんとの陽炎祭デートを心待ちにしていた黎人の思いを、俺は親友としてよく知っている。
このままでは駄目だ。そう思うと居ても立っていられなかった。
口では「行く末を見守る」「俺は忙しくて力になれそうにないが、応援してるぜ」等と言いながらも、どうにか陽炎祭の期間中に二人を仲直りさせたいと思った俺は、多忙の合間を縫って行動を開始することにした。
その結果考え付いた解決法は、謎解きで生じた亀裂は謎解きで埋めるしかないのでは? だった。
昨日の経緯を考えれば、胡桃ちゃんがこの計画に乗ってくれるかは賭けだったけど、午前中に定時制の屋台を訪ねたところ、胡桃ちゃんは意外にもあっさりと話に乗ってくれた。昨日の喧嘩別れと、その後の大人げない対応を反省していたようで、彼女自身も和解のきっかけを探していたようだ。とにかく、胡桃ちゃんの賛同を得られたのなら、遠慮なく行動出来る。焼き鳥を焼く胡桃ちゃんの隣で俺は、お節介を焼くことを決めたのであった。
そこから早速、銅先輩の城であるミス研の部室に走った。黎人と胡桃ちゃんの仲直りのために、胡桃ちゃんが答えになるような謎を、新たにスタンプラリーに組み込めないかなと先輩にお願いしたら、二つ返事でオーケーを貰えた。
誠心誠意頼み込むつもりが、良い意味で拍子抜けしたというのが正直な感想だ。前述のように、自分の主催した謎解きスタンプラリーで、一組の幼馴染が仲違いしてしまったことに対する罪悪感ももちろんあっただろう。一方で、限られた時間の中で、時にマッドサイエンティストのような笑みを浮かべながら謎の製作に打ち込む姿は、スリルを楽しんでいるかのようでもあった。先輩も実はノリノリだったのかもしれない。
黎人は午前中はクラス展示の仕事があるので、制限時間はお昼まで。その間に先輩は見事に胡桃ちゃんが答えとなる、黎人専用の問題を完成させてくれた。急ぎ三人目のスタンプ担当だった瀬尾先輩に封筒を託し、現在へと至る。
先輩いわく、こんな即興でも対応してくれるのは、長年の関係値がある瀬尾先輩ぐらいだそうだ。瀬尾先輩にも後でお礼を伝えておこう。
「二人はそろそろ出会えたかな?」
「どうでしょう。どこで黎人を待つかは胡桃ちゃん次第ですから」
午前の仕事が終わって直ぐに、胡桃ちゃんにスタンプを渡し、そこから先は彼女に全て委ねた。俺も先輩も、胡桃ちゃんがどこで黎人を待っているかは知らない。
「出会えるかどうかは二人の絆次第か。まさか私の規格した謎解きスタンプラリーがこんな展開を迎えるとはね。はてさて、チョコレートくんは無事にコーヒー牛乳ちゃんの元へ辿り着くことが出来るのか」
「コーヒー牛乳は胡桃ちゃんですよね。ということは、黎人がチョコレート? 確かにそれっぽい響きも含みますけど、何でまた?」
「謎を考えている時に気付いたんだよ。比古胡桃ちゃんがコーヒー牛乳なら、猪口黎人くんはチョコレートだなと。黎人はそのまま、名字の猪口は猪口とも読めるだろう? お酒を飲む、お猪口のチョコだ」
言われてみれば納得だ。ということは、今回の謎解きは立場が逆でも問題が成立していたかもしれない。
「それにしても、コーヒー牛乳とチョコレートですか。甘々な二人だ」
そんな二人ならきっと、無事に仲直り出来ることだろう。朗報に期待だ。
「そろそろ休憩時間終わりなんで、俺はそろそろ行きますね」
「働くね。次はどこへ?」
「ボードゲーム部の体験会の手伝いに。その後はクイズ研のスタッフやってきます」
俺は俺で、この後も陽炎祭を満喫するとしよう。人気者は辛いぜ。
最終話
第一話
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