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コーヒー牛乳とチョコレート 第九話

 午後の担当のクラスメイトに遊技場を引き継いだ僕は、同じく午後の担当に焼き鳥の仕事を引き継いだ胡桃と合流し、一階にある学食へと足を運んでいた。学食は生徒向けの食事、休憩の場所として解放(学食自体は閉まってて、食事は各自持ち込み)されており、僕たちは胡桃が持参した午前中に余った焼き鳥と、僕が屋台で買って来た焼きそばをおかずにしながら、この後の予定を話し合うことにした。

「先ずはどこに行く?」

 笑顔で焼き鳥を頬張りながら、胡桃がフロアマップに視線を下ろす。屋外で火を扱っていたらかかなり汗をかいたようで、胡桃は一度トイレでシャツを着替えてきたらしい。今は真新しい黒いティーシャツとデニム姿だ。

「最初はやっぱり映画かな。お昼時でゆっくり見れそうだし」

 こうしているとデートの予定を組んでいるみたいで楽しい。明日もお互い、午後からは予定が空いているので、二日間一緒に陽炎祭を楽しむことが出来る。

「そういえば胡桃。実は午前中に、ミステリー研究会の銅先輩から面白いものを預かったんだけど」
「銅先輩って、前に話してくれたあのキャラの濃い人?」
「そうそう。とてもつもなくキャラが濃い人」

 大事なことなのでここは強調しておこう。

「裏企画として、一部の生徒に挑戦状と称して、謎解きスタンプラリーなるイベントを開催しているらしくてね」

 銅先輩から受け取った挑戦状をテーブルに出す。一瞬、胡桃が目を細めたような気がするけど、字が見えにくかったのだろうか? 

「つまり、謎を解きながらスタンプを集めろと?」
「ご名答。展示を見て回るついででいいって先輩も言っていたから、二人で挑戦してみようよ」
「……まあ、ついで程度なら」

 快く胡桃の協力を得られた。流石は僕たちは相棒だ。

「それじゃあ、早速挑戦状を開封するね」

 封筒の真っ赤なシールは簡単に剥がれた。ハサミを使わなくてもよいのは新設設計だ。開封すると二枚の紙と一枚のスタンプカードが入っていて、一枚目は銅先輩がパソコンで作ったイベントの趣旨説明。思えば初めてミステリー研究会の部室に入った時に先輩がパソコンで作業していたのはこれだったのかもしれない。内容は先輩から直接聞いた内容と重複しているので、僕は確認しなくとも大丈夫そうだ。

 そして重要なのはもう一枚。こちらにはスタンプを押してもらえる場所を示した、最初の謎が記されていた。

『ばんどでしね。※暴言ではありません』

 短く、そう書かれている。

「問題文ってこれだけ?」
「これだけみたいだね」
「流石に少なすぎない?」
「少ないけど、僕の知る限り銅先輩は謎解きに対してフェアな人だ。出題にはこれで事足りているんだと思う」

 夏休み前も、自分の名前とニックネームの関係性を、生徒手帳を提示しながら行うことで、初対面の僕でも真実に辿り着けるに配慮してくれるぐらいだ。以前から準備してきた企画でそこを疎かにすることはないはずだ。イジワルでもミスでもなく、問題文はこれで全てなのだろう。変わった人だけど、こういうところは信用している。

「ばんどでしね。言葉のままだと『バンドで死ね!』って、強い言葉のように感じちゃうけど、態々暴言じゃないって注意書きしてるぐらいだし、たぶん違うよね?」

 胡桃は問題文を流し見すると、続けて今度は謎解きスタンプラリーの趣旨を説明する銅先輩の文章に目を通し始めた。胡桃は事前にしっかり説明書を確認するタイプだし、僕は元々銅先輩の知り合いだったから直ぐに受け入れたけど、面識のない胡桃としては、きちんと趣旨から把握したいところだろう。

「バンドという響きだけなら、第二体育館のステージに立つ軽音楽部が真っ先に思い浮かぶけど、デスメタルというわけではないしそもそも、決まった時間にステージに立つ軽音楽部がスタンプラリーの対象なら、銅先輩の趣旨とはズレる」
「説明にもある、スタンプの場所が正解ならば、どの時間帯でもスタンプを押してもらえるようになっている。という部分だね」
「その通り。ライブ中のバンドにスタンプを押してもらうわけにはいかない。かといってバンドの待機場所を僕らは把握していないし、フロアマップに記載もない。どの時間帯でもスタンプを押してもらえるという前提と矛盾する」

 銅先輩はフェアな人だし、あの人がこんなシンプルな謎を投げかけてくるはずがない。「ばんどでしね」と音楽的な「バンド」は切り離して考えるべきだろう。

「切るところが違うとか? 『ばん、どでしね』とか、『ばん、どで、しね』とか」

 問題用紙と睨み合いながら、胡桃が様々なパターンを口ずさむ。こんな時になんだけど、言い慣れない言葉を発する舌足らず感と、表情のギャップが何だか可愛らしい。それにしても、文節を区切ると途端に外国語っぽくなる言葉だな。

「うーん……あとは、『ばんど、でしね』とか?」

 あれ? どこかで聞いたことがある響きだ。

「胡桃。今のもう一回」
「えっと。『ばんど、でしね』」
「それだよ胡桃! この文章の正しい読み方は『バンド・デシネ』だ」
「バンド・デシネ? 耳慣れない言葉だけど、外国語?」
「確かフランス語だったかな。翻訳された海外ミステリーを読んだ時に、そのままの名称で登場したから印象に残っていた。界隈に詳しい人もこの名称は知っているかもしれない」

 バンド・デシネが示す場所も陽炎祭には確かに存在している。バンドという言葉で軽音楽部に誘導しながらも、その言葉を知ってさえいれば一瞬で気付くことが出来る。スタンプラリー最初の謎とあってこれはジャブ。程よい塩梅といったところか。

「もうすぐ映画の上映時間だし、詳しくは移動しながら説明するよ。目的地も同じ階だしちょうどいい」

 ※※※

 昼食を終えた僕と胡桃は、午後一時から視聴覚室で開始された映研の上映会に参加し、十二分の短編映画「怪人蜥蜴人間陽炎橋高校に現る」を鑑賞した。素人の僕には、映画の神髄は分からないけど、それでも素人ながらに、期待を上回る物が出てきて心が震えたというのが素直な感想だ。

 何代も前の先輩が残した劣化した蜥蜴人間のスーツを、あえてダメージ表現を施すことで傷跡のように表現。異形の怪物としての存在感をより際立てることに成功している。画質はあえて荒めに設定することで、ダメージ表現の粗を隠すと同時に、レトロな雰囲気を演出。懐かしさを覚えるタイトルも、レトロ感を演出する装置として良い味を出している。

 近年、スマホカメラの性能も上がり、素人でも高画質な映像作品を撮影することが可能になってきているが、映画研究会はあえて引き算で流れに逆行し、見事に独自の世界観を表現している。

 シナリオ面も秀逸で、陽炎橋高校の日常の風景を上手く取り入れつつ、その日常を侵食していく蜥蜴人間の恐怖と不気味さが伝わってきた。もちろん強引な展開や、映像の編集ミスなどが気にならないといえば嘘にはなるけど、この大味な感じも自主製作映画の魅力の一つではないかと思う。

 十二分という短い時間の中で、やりたいことは充分に伝わって来たし、時間が経つのを忘れて見入ってしまった。体がこういった感覚を抱いたという事実が何よりも重要だろう。

「上映は以上となります。本日は上映会にお越しくださり、ありがとうございました」

 上映が終わると、映画研究会の部長が謝辞を述べ、僕と胡桃を含め、観客からは温かな拍手が送られた。情熱がちゃんと観客全員に伝わっていたようで何よりだ。

「面白かったね。あの夜目撃した蜥蜴人間の勇士が見られた大満足」
「こうして映像化された作品を見ると、リザードマンを捜索した日々にも感慨深いものがあるよ」
「あっ、まだリザードマンって言ってる」
「ごめん。何だか癖になってて」

 胡桃に指摘されて初めて気が付いた。どうやら僕はまだ心のどこかで、リザードマン呼びを諦めきれていないらしい。

「猪口。今日は来てくれてありがとう」

 来場者が視聴覚室を後にしていく中、座席で感想を言い合っていた僕と胡桃の元へ、映画研究会所属のクラスメイト、尾越おこし守也もりやくんが声をかけてきた。重めの前髪が印象的で、文化祭期間中の映像研究会の勝負服だという、「怪人蜥蜴人間陽炎橋高校に現る」のロゴが入ったオリジナルティーシャツのインパクトが光る。部内の連帯感を生むと同時に、自由時間にこのティーシャツで校内を動き回れば、宣伝効果も期待できそうだ。

「映画良かったよ。後で仲間内にも宣伝しておく」
「そう言ってもらえると、製作者冥利に尽きるよ。来年はもっと良い映画を作らないとな」

 やり切った様子で、尾越くんは少し恥ずかしそうに頬を掻いた。青春を送っているなと、何だか見ているこっちまで嬉しくなってくる。

「君は比古さんだよね。その節は驚かせてしまってごめんね」

 僕と一通りやり取りを交わすと、尾越くんは胡桃の方を向いた。

「むしろ珍しいものが見れてラッキーだったよ。蜥蜴人間に襲われる生徒役って尾越くんだよね? あのシーンの表情、迫真だった」
「実はあの時、ちょっとお腹の調子が悪くてさ。あれはたぶん、リアルに顔が青くなってた結果だと思う」
「いわゆる怪我の巧妙?」
「そういうこと」

 思わぬ裏話に場が笑いに包まれる。演技経験はないはずなのに迫真だなとは思っていたけど、まさか裏でそんなことが起きていたとは。

「次の上映もあるだろうし、僕らもそろそろ失礼するよ」
「この後はどこに?」
「同じ階の漫画研究会にちょっと用事が」

 ※※※

「猪口くん。さっきぶりだね」

 同じ階にある漫画研究会の部室にお邪魔すると、部屋の奥で在庫の整理をしている岩垣さんの姿を見つけた。今は第一体育館では生徒会とクイズ研究会共同のクイズ大会、第二体育館では軽音楽部による演奏会と、大きなイベントが目白押しの時間帯なので、校内の展示は少し人の流れが落ち着いている印象だが、漫画研究会は常に人の出入りがあって賑わっている。在庫の整理をしているあたり、用意していた同人誌もそれなりの数が出たのだろう。明日もあるので、今は在庫の調整中といったところだろうか。

「そっちの子は、猪口くんの幼馴染さんかな?」

 岩垣さん、ずいぶん察しがいいなと思ったけど、そういえば一緒に店番をしている時に、午後は幼馴染と陽炎祭を見て回るって教えたんだっけか。

「定時制一年の比古胡桃です。お邪魔してます」
「私は岩垣麻耶。午前中は猪口くんとクラス展示の店番しててさ、午後に遊びに来なよって誘ってたんだ。これ、無料配布だからよかったら持ってって」
「ありがとう。漫画を手作りするなんてすごいね」
「本当はもっとボリュームを出したいんだけど、予算の都合もあってなかなかね。中身はもちろん自信はありだよ」

 岩垣さんは無料配布の同人誌を奥の段ボールから取り出し、笑顔で胡桃へと手渡した。貴重な明日の分のストックのようだけど、僕のクラスメイトとしての関係値で融通してくれたようだ。その場でパラパラと目を通す胡桃と岩垣さんは、さっそく漫画談義で盛り上がっている。胡桃は普段接客をしているからかまったく人見知りをしない。風雅とはまた違った方向性でコミュ力が高いなと感心させられる。

「岩垣さん一つ聞いていい? 午前中からずっとここに詰めている人はいる?」
「部長の羽里はざと先輩なら、責任者として朝からずっとここを預かっているけど」
「その羽里先輩に用があるんだけど」
「実行委員会に呼ばれて今は離席中。そういえば、誰かが自分を訪ねてきたら待っててもらうようにって……」

 言いかけて、岩垣さんの視線が僕から、その後ろの出入り口の方へと向いた。

「噂をすれば帰ってきた。羽里先輩にお客様ですよ」

 振り返ってみると、漫画研究会のオリジナルティーシャツを着た、ロングヘアと右目の下の泣き黒子が印象的な女子生徒が部室に入ってきたところだった。

「ごめんなさいね、急な呼び出しだったから。お客様というのは君?」
「一年の猪口黎人です」
「漫画研究会部長の羽里はざとてるよ。漫画研究会にご用? それとも別件かしら?」
「後者です。キーワードは『バンド・デシネ』」

 羽里先輩は途端に微笑んだ。この反応。スタンプの番人はこの人で間違いなさそうだ。急な呼び出しは本人にとっても予定外で、本来は持ち場を離れるつもりはなかったのだろう。

「大正解。よくぞ漫画研究会に辿り着いたね。謎解きスタンプを押してしんぜよう」

 スタンプカードを提出すると、羽里先輩はそれを預かって部屋の奥へと消えていった。

「猪口くん。スタンプがどうとか言っていたけど、もしかして午前中のあれ?」

 銅先輩が僕を訪ねてきた時、岩垣さんも隣にいた。一連の流れでだいだい状況は察したらしい。

「銅先輩から受け取った手紙の中に、こんな言葉が入っていてね」

 僕は岩垣さんに、「ばんどでしね」と書かれた紙を見せた。

「なるほど。『バンド・デシネ』か。文化祭でこの言葉と関わりがあるのは、確かにうちぐらいだね」

 流石は漫画研究会所属。一目でその意味に気がついたらしい。
 『バンド・デシネ』とはフランス語。フランスやベルギーなどを中心とした地域の漫画のことで、日本の「漫画」、アメリカの「アメリカンコミック」と並び、「バンド・デシネ」は世界三大コミック産業の一つとして数えられている。「バンド・デシネ」の影響を受けた日本の漫画も多いという。いずれにせよ、陽炎祭の展示の中で最も「ばんどでしね」もとい「バンド・デシネ」と関わりが深い場所は、漫画研究会をおいて他にない。

「猪口くん。スタンプと新しい謎よ」

 韻を踏んでいるせいか、一瞬「謎」を「顔」と聞き間違えそうになったけど、とにかくこれで一つ目の謎はクリアだ。僕はスタンプが押されたカードと、新しい謎が収められた封筒を羽里先輩から受け取った。

「羽里先輩は銅先輩とはどういう? これは裏企画だと聞きましたが」
「ドーナツちゃんとは中学時代からのお友達でね。昔から色々とお世話になってるし、面白そうな試みだったから協力してあげたの」
「お世話に?」
「本人は無自覚だと思うけど、あの子ってキャラが濃いでしょう。一緒にいると創作意欲が刺激されるのよね」
「確かに、現実は小説よりも奇なりというか」

 あの異次元の行動力がなければ、文化祭の裏で独自にこんなスタンプラリーを開催したりはしないだろうと思う。凶悪事件が絡むタイプのミステリーなら、首を突っ込み過ぎて危険な目に遭いそうで心配だ。

「残る謎はあと二つ。頑張ってね」

 スタンプの枠は全部で三つ。少なく感じるけど、参加する生徒も陽炎祭で何かしらの担当を持っていることを考えれば、謎解きに割ける時間は少ない。そう考えると妥当なところだろう。閉場まで後二時間と少し。出来れば今日中にあと一つは謎を解きたいものだ。


 第十話 

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