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コーヒー牛乳とチョコレート 第七話

「一度冷房の利いた建物に入ると、もう出たくなくなるね」

 そう言って、風花の表情はアイスのようにとろけていた。
 一通りテナントのアパレルや雑貨屋で買い物を済ませると、私と風花はミラージュの四階にある休憩スペースで水分補給をしていた。

 眼下には窓越しの大通りの景色が広がっているけど、流石に四階から見下ろすと、髪や服の色以外で個人を識別するのは難しい。十人十色はこの場合は比喩ではなく、個人を識別する記号としての意味を持っているように感じられた。大袈裟かもしれないけど、同じ高さからだと個体に見えていた人通りが、俯瞰するとまるで一つの群体のようだ。今の気分は、ニュース番組の高い位置から街並みを映し出す情報カメラといったところだろうか。

 こうして高い位置から俯瞰すると、地上とはまた違うものが見えてくる。

 風花が勤めるファミレスもよく見えるけど、普段はあまり目にする機会のない緑色の屋根を上から見るのは何だか新鮮だ。ファミレスの右隣にはクリニックの入ったビルが建っていて、左隣は駐車場を挟んで学習塾が居を構える。人通りと同様に、ファミレスも一つの建物ではなく、周囲の建物と合わせて一つの区画のように見えてくるから不思議だ。

「そういえばこの辺りって」

 冷房の利いた屋内で少し頭が冷えたのか、何だか思考が捗る。
 ミラージュに多くの外食チェーン店が入っている影響か、大通り沿いには意外と飲食店が少ない。ファミレス以外だと、全国チェーンのピザ屋と、ローカルチェーンの焼肉屋、個人経営のイタリアンや割烹があるぐらいかな。アパレルや携帯ショップ、各種クリニックに学習塾等々、飲食店以外の店舗や施設が多数派だ。

 ――あれ? もしかしてファミレスって。

 風花の勤めるファミレスは、午前六時から午前零時までの十八時間営業している。眼鏡さんは窓際の席をキープするために、あまり混雑していない時間帯に訪れる。だとすれば、タイミングはおおよそ、朝食時が終わり、お昼時が始まるまでの午前、お昼時が終了し、夕食時が始まるまでの午後。夜から深夜にかけての時間帯は分からないけど、基本的に風花が勤める日中に目撃されているのだから、夜は利用していない可能性が高そうだ。

 眼鏡さんが訪れる時間帯を想像した時、一つの気づきがあった。この時間帯に、大通り沿いでゆっくりと窓の外を眺めるのに最適な場所はファミレスなのである。

 アパレルや携帯ショップなど、飲食店以外の場所でゆっくりと腰を据えて窓の外を眺めることは難しい。

 だけど、多数の飲食店が入るこのミラージュは、飲食店が上の階に集中しているし、窓に面していない店舗が多い。大通り沿いも、ピザ屋はテイクアウトとデリバリーがメイン。焼き肉店やイタリアン、割烹などの飲食店は、うちの比古さん食堂のように、ランチとディナーの営業で合間の時間は準備中。お店が空いている時間帯にノートを取りながらゆっくりと過ごす環境として、ファミレスは最も快適だ。

 だけど同時に一つの疑問が生まれる。ファミレスが眼鏡さんにとって快適だと仮定すると、それは裏を返せば立地ではなく、長時間の滞在にも適した環境面で場所を選択したこと。即ち、ファミレスの窓から見える景色に大きな意味があるわけではないということになってしまう。実際、カフェでも風花と論議したように、向いのミラージュや隣の携帯ショップを監視していたとは思えない。

 だけどだったらどうして、眼鏡さんは態々窓を見ながらノートを取るのだろう? 一度や二度なら気分ということもあり得るけど、頻繁にファミレスを利用し、習慣のようになっているのなら、絶対に何か意味があるはずだ。

「ねえ胡桃ってば」

 風花に肩を触られて、ふと我に返った。自分は探偵じゃないなんて言っておきながら、いざ謎と向き合うと推理に思考が支配されている。きっかけは黎人だけど、私自身もミステリーの沼にはまりつつあることを、いよいよ自覚しなければいけないかもしれない。

「ごめん。眼鏡さんのこと考えてた。何かあった?」
「あの二人。さっきのペアルックのカップルじゃない? 何かあったのかな」

 風花と同じ方向を見下ろすと、用事を済ませて駅の方へと帰っていくのだろうか? 雑踏の中に、見覚えのある赤いペアルックを見つけた。高い位置からでも直ぐに見つけられるあたりは、派手な色とはいえペアルックの破壊力恐るべしだ。

 ただし、地上で見た時とは何やら様子が変わっていて、あんなにラブラブだったのに、今ははぐれない程度ながらも、何だかお互いの距離が離れている。私達が買い物をしている数十分の間に、一体何が起きたのだろうか? もちろん蓋を開けてみれば、恋の熱さも猛暑には勝てず、物理的にくっつきたくなくなった。みたいな単純な理由なのかもしれない。だけど、俯瞰して表情が見えないからこそ、勝手な想像が働いてしまう。この短時間にちょっとした人間ドラマを想像してしまうあたり、人通りというのはそれ自体が一つの絵本なのかもしれない。

「もしかしたらファミレスからなら」

 見知らぬ相手に下世話かもしれないけど、表情が分かればもっと詳しい状況や感情が読み取れたかもしれない。大通り沿いのファミレス、眼鏡さんがいつも座るという窓際の席からなら、通行人の表情もよく見えそうだ。もしかしてこれは、監視ではなく観察? だとすれば一つの推論を導き出せるかもしれない。

 そうか、答えは思った以上にシンプルなんだ。

「風花。もしかしたら眼鏡さんの目的が分かったも」

 風花は呆気に取られた様子で目をパチクリさせていた。私の頭の片隅にはずっと謎のことかがあったけど、ミラージュに来てからは風化は完全に買い物モードだった。今の話も直前に目撃したカップルのあれやこれだし、風花からしたら唐突な流れだったかもしれない。

「真相は本人のみぞ知るところだから、あくまでも推測だけど」
「聞かせて聞かせて! めっちゃ気になるから」

 途端に風花が目を輝かせた。流石に自分が持ってきた謎のことは忘れていなかったようだ。これだけ期待を持たれると、緊張する一方でやりがいも感じる。もしもこれで風花がすっかりこの事を忘れていたら、流石に虚しくなって一人でいじけていたかもしれない。

「結論から言うと眼鏡さんはたぶん、特定の人物や建物を監視していたんじゃなくて、もっとざっくばらんに、窓から見える光景を観察していたんじゃないかな」
「うーん。目的もなく窓の外を眺めていたってこと?」
「眼鏡さんは窓の外、より正確には大通りを行き交う人の流れや表情、そこから見える人間関係なんかを観察してたんだと思う。いわゆる人間観察ってやつ」

 風花は小首をかしげている。まだいまいちピンときていない様子だ。確かにいきなり人間観察などと言われても反応に困ってしまうだろう。ある意味この答えには、何にでも当てはまる禁じ手のような部分がある。風花にも理解してもらうために、ここからは順を追って私の推理を伝えることにしよう。

「眼鏡さんの目的が人間観察だとすれば、全ての行動に説明がつく。眼鏡さんがファミレスの常連となったのは夏休みに入った頃から。この時期は駅に近い大通りも活気が溢れて人出が増えるから、眼鏡さんは人間観察を開始した。ノートを取っていたのも、その記録のようなものなのかも」

「確かに、夏休み期間に入ってから大通りの人出は、目に見えて増えてるね」

「たぶん、眼鏡さん的にはゆっくり大通りの人間観察が出来れば、場所はどこでも良かったんだと思う。だけど、ミラージュ内の飲食店は窓に面していない店舗も多いし、窓際の店舗からだと高さがあって、大通りを行き交う人々を同じ目線では観察することはできない。

 大通り沿いにある他の飲食店も、ゆっくり腰を据えて大通りを観察するには適していない。ピザ屋はテイクアウトとデリバリーメインだし、それ以外の飲食店はランチやディナータイムのみの営業で、込み合うかつ、長時間滞在することは難しい。その点、お店が空いている時間帯のファミレスなら、窓際の絶好の席を確保しつつ、ゆっくり人間観察に集中することが出来る」

「そっか! ファミレスから見える何かが大事だとばかり思っていたけど、ゆっくり観察が出来る環境の方が大切だったんだ」

 風花もだんだんと私の推理にノリノリになってきてくれたようだ。さっきよりも少し早口になって、興味を示してくれている。

「眼鏡さんは夏休み期間に人間観察を開始し、それに適した環境としてファミレスの窓際の席を頻繁に利用するようになった。これが風花の疑問に対する、私なりの結論だよ」
「だけど、そもそも眼鏡さんはどうして人間観察を?」

 無垢な少女のように風花が問い掛けてきた。確かここが最大の謎なのだけど、そこに関しては明確な答えを出しようがない。

「こればかりは眼鏡さん本人にでも聞かないと分からないけど、単なる趣味というよりは、何か必要があってそうしているような印象は受けるかな。例えば何か仕事に役立てるためとか。パッと思い浮かぶのは研究とかかな。曖昧で申し訳ないけど」

 時間帯は異なるけど、週に何度もそうするのだから、例えば何か仕事に役立つデータを取っているとか、そういう可能性が頭に思い浮かんだ。とはいえ、素人の推理で辿り着けるのはたぶんここが限界だろう。

「凄い、凄いよ胡桃。私のつたない説明と数少ない情報だけで、ここまで推理するなんて!」

 風花は興奮気味に目を輝かせて、私の手を握ってきた。

「推理といっても、合ってる保証なんてないし、まったく見当外れなこと言っているかもよ?」
「推理を組み上げるだけでも凄いよ。真相はどうであれ、私は胡桃の推理に説得力を感じてる。長年、猪口くんと謎を追いかけてきたことはあるね」

 風花の満足そうな表情を見れただけで、私も満足できそうな気がした。真相を確かめる術はないけど、私もこの推理には自信を持っている。友達と過ごす夏休みに、思わぬ形で転がり込んで来た謎解きだったけど、夏休みの宿題を片付けられたようで悪い気はしなかった。

「近くだし、この後は玲央の書店に寄っていこうよ」
「そうだね」

 謎解きを終え、スッキリとした気持ちでこの後の予定を過ごせそうだ。楠見くんにも面白いお土産話を聞かせられる。

 ※※※

「いらっしゃい。今日は二人一緒だったのか」
「うん。胡桃とお茶して買い物して、ついでに謎解きもして」

 書店に到着するなり、入って直ぐに制服のエプロン姿の楠見くんを発見。風花が早速声をかけた。

「謎解き? リアル脱出ゲーム的な?」
「ううん。日常の謎的な」

 風花のその一言だけで、楠見くんは納得した様子だった。どうやら私が日常の謎を解くポジションにいることは、楠見くんにとっても共通認識だったようだ。

「それ、何のポスター?」

 仕事中の楠見くんは入口近くのポスターなどを張り出すスペースに、何やら新しいポスターを張り出す作業を行っていたようだ。まだ丸まっていて内容は分からない。

「劇団逃げ水が十一月に行う公演のポスターだよ。うちの書店でもチケットを取り扱う予定だから、その宣伝」

 そう言って楠見くんは、広げたポスターをテキパキと掲示スペースに張っていく。
 劇団逃げ水といえば陽炎橋市に拠点を構える劇団で、コミカルかつ現代人の共感を生むオリジナル脚本の数々に定評がある。比古さん食堂の常連さんにも劇団の関係者がいるので、応援の意味を込めて今後、比古さん食堂でも同じポスターを張り出すことがあるかもしれない。

「あっ、眼鏡さんだ」

 隣の風花の思わぬ反応に私は目を丸くし、まったく状況を説明されていない楠見くんは、一体何のことだと眉根を寄せて困惑している。

「この人が眼鏡さんなの?」
「間違いないよ」

 風花が指で示した先は書店のお客さん――ではなく、劇団逃げ水のポスターのセンターを飾る、主演俳優の染田そめださとるさんだった。ポスター用にメイクやファッションが調整されているが、風花から聞かされた人相と確かに一致している。逃げ水は陽炎橋市内の劇団だし、染田さんが大通りのファミレスを利用していてもおかしくはない。

「そうか。だから人間観察をしていたんだ」

 そのポスターを見て私は全てに納得した。
 逃げ水の十一月公演のタイトルは「人生蜃気楼じんせいしんきろう」。大通りを行き交う人々の人生を追体験することで、主人公の青年が自分自身を見つめ直していく様を、時にシリアスに、時にユーモラスに描いた社会派コメディ――と、あらすじが書かれ、ポスターの中では主演の染田さんが、大勢の人々のシルエットに飲み込まれるように、頭を抱えて苦悩している。

 研究という私の読みはあながち間違っていなかったらしい。眼鏡さんこと染田さんは役者としての役作りのために、大通りを行き交う人々を観察していたようだ。夏休みの時期はそれに最適だった。

「眼鏡さん、役者さんだったんだ。これなら胡桃の言っていたことも納得」
「私も自分の推理に自信が持てたし、何だかスッキリした」
「えっと? 俺の知らないところで何が起きていたんだ?」

 謎が解けて私と風花がスッキリしている中、図らずもファインプレーを見せた楠見くんだけは、この流れに乗り遅れていた。

 サマータイムアベニュー 了

 第八話 

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