見出し画像

コーヒー牛乳とチョコレート 第十一話

『ご来場の皆様へお知らせいたします。陽炎祭一日目は、間もなく終了いたします。どなた様もお忘れ物のないように――』
「嘘っ? もうそんな時間なの?」

 ホラーハウスを出た直後。実行委員会による校内放送が流れた。時刻は午後三時四十五分。閉場までは残り十五分なので、帰宅の準備を促す内容のようだ。生徒である僕たちは翌日の準備という名目で、まだ学校に残ることは出来るけど、展示や模擬店は回れなくなるので、謎解きも一旦ここで中断だ。

「名残惜しいけど、初日でスタンプを二つ集められたなら上々かな」

 謎解きスタンプラリーは全体の三分の二を消化。ヴァンパイア先輩の反応を見るに他の挑戦者はまだここまで到達していないようだし、流れは順調だ。

「……黎人。明日も謎解きの続きをするんだよね?」
「うん。明日もお互い、文化祭の担当は午前中だったよね。今日みたいに食堂に集まって、午後一番で動き出そう」

 校内放送を聞いた直後から、なんだか胡桃の表情が暗い気がする。ホラーハウスは満喫していたけど、どうしたんだろう?

「ねえ黎人。最後の一つなんだし、今からその封筒の謎を解かない? 今日中に推理しておけば、明日の午後一番にスタンプラリーを終わらせて、その後ゆっくり他の展示を回れるよ?」
「それはフェアじゃない。あくまで陽炎祭の中のスタンプラリーなんだから、陽炎祭中に謎を解き明かさないと。明日の自由時間までは封筒は開封しないよ」
「私と一緒に陽炎祭を回るのと、謎解きスタンプラリー。どっちが大事なの?」
「比べることじゃないだろう。二人で一緒に謎解きをするんだから」

 僕たちは最高の相棒だ。だから二人で一緒に謎を解く。これは僕たちにとってかけがえのない時間だったはずだろう? 僕は今日一日、胡桃と一緒に謎解きスタンプラリーが出来て楽しかったの。それなのに……どうして胡桃は、そんな悲しそうな顔をしているの?

「私、黎人から一緒に陽炎祭を回ろうと言ってもらえて嬉しかったんだよ……」
「胡桃。突然どうしたんだよ」
「今日はもう帰るね」
「ま、待ってよ胡桃」
「……一人にして」

 静かな怒りを感じさせるその言葉に、僕はその場から動くことが出来なくなった。普段と違う胡桃の様子に、足が竦んでいたのかもしれない。胡桃は一度もこちらへ振り向くことはなく、足早にその場を後にした。

「さっきまで……あんなに楽しかったのに」

 僕の何がいけなかったのだろう。堪らず、壁に背中を預けて廊下に座り込む。頭を抱えるって、ずっと比喩表現だとばかり思っていたけど、苦難に立たされた時、人って本当に頭を抱えるんだな……出来れば実体験としては知りたくなかった。

「おーい。そこの悩める青少年」

 こんな状況ではむしろ、からかってくる声が心地よく聞こえた。抱えていた頭を上げてみるとそこには、シルクハットを被った司風雅が立っていた。

「何だその格好は?」
「今日最後の仕事が手品部のショーだったんだよ。今の俺はさすらいの手品師さ」
「だったらさすらいの手品師さん。どうか時間を巻き戻してはくれないか? 今日という一日をやり直したい」
「願いを叶えてやりたいのは山々なんだが、今の俺じゃまだ修行不足だな」
「修行を積めば時を操れるとか、陽炎橋高校の手品部凄いな。将来、各国の政府や謎の組織に狙われないように注意しなよ」

 修行を積んだ末、風雅の力が悪用されないことを切に願うばかりである。

「冗談はここまでにして、こんなところで頭抱えてどうした? 今日は胡桃ちゃんと楽しいデートのはずだろ?」
「途中までは上手くいっていたはずなんだ。つい今さっきまで、二人陽炎祭を二人で楽しんでいた……それなのに、明日の予定の話になった途端、胡桃が怒りだして」
「とりあえず、話ぐらいは聞くぜ。聞くだけだけどな」

 そう言ってシルクハットを脱ぐと、風雅は僕の隣に腰を下ろした。話を聞くだけど言うけど、それが僕にとってどれだけ救いになるか。気付けば僕は、ついさっき起こった出来事を風雅に語り聞かせていた。

「なるほど。それで胡桃ちゃんが怒って帰ってしまったと」
「風雅はどう思う?」
「百パーセントお前が悪いな」

 いきなり鈍器で後頭部を一撃されたかのような衝撃だった。

「僕の何がいけなかった?」
「お前さ、ドーナツ先輩の謎解きスタンプラリーに浮かれて、本来の目的を忘れてるって。胡桃ちゃんとの関係を深めるために、勇気を出して陽炎祭に誘ったんだろう? 一緒に楽しく文化祭を見て回るはずが、お前の興味が謎解きの方に集中してたら、胡桃ちゃんが気を悪くするのも無理ないって」

「だけど、胡桃も一緒に謎解きを楽しんでくれたよ?」

「それは、胡桃ちゃんだって長年お前と一緒に謎解きをしているんだし、別に謎解き自体が嫌いなわけじゃないだろう。だけど、文化祭でまでそれをしたいかどうかはまた別問題だろう。胡桃ちゃん優しいから、今日一日ぐらいは謎解きに付き合ってあげようと思ったのかもしれない。だけどさ、話の流れを聞くにお前、明日の貴重な自由時間も謎解きに費やす気なんだろう? せっかく二人で文化祭を楽しもうと思ったら、その大半を謎解きに消費される。胡桃ちゃん視点からすればつまらないだろう?」

 風雅の言葉の数々には思い当たる節が多すぎて、僕は苦笑い一つ浮かべることが出来なかった。困難に陥った時、人間は本当に頭を抱えるし、その表情は虚無になる。

 そうだった。本来は謎解きか関係なく、胡桃と一緒に楽しく陽炎祭を巡る予定だったんだ。それが午前中に飛び込んできた謎解きスタンプラリーという面白い企画を前に、僕の思考は完全にそちらを優先し、胡桃の存在も一緒に陽炎祭を楽しむ意中の女の子ではなく、一緒に謎を解く相棒という認識に切り替わっていた。

 胡桃は優しいから、それでも一緒に謎解きをしてくれたけど、僕はそんな胡桃の気持ちをまるで考えられていなかった。明日だって完全に謎解き優先でスケジュールを組んで……早く謎解きを終わらせたいという、胡桃の感情をまったく読み取れなくて。鈍感だという自覚はあったけど、僕はここまで愚かなのか。言われたら直ぐに気づけることに、自分ではまったく気づけないなんて……僕から胡桃を誘ったはずだったのに。

「胡桃に電話してみる。今すぐ謝らないと」

 その場でスマホで胡桃に電話をかけてみたけど。

『おかけになった電話は――』

 無情にも、誰もが知っている形式的な文言が耳の中へと入ってくる。僕らの生活圏内で、そうそう電波が不通になる場所もないはずだ。

「胡桃。スマホの電源を切ってるみたいだ」
「こいつは本気でご立腹だな」
「どうしよう?」
「前にも言っただろう。俺はただ行く末を見守るだけだ」
「……電話が駄目なら直接会ってくる」
「それがいいな」

 僕らは幼馴染でご近所さんだ。スマホが繋がらなくとも、コミュニケーションは取れる。陽炎祭一日目が終了し、校内は片づけと明日の準備に追われているけど、僕の担当する仕事は午前中に達成されている。申し訳ないけど今日はこれで帰らせてもらうことにしよう。

「それじゃあ僕はこれで」
「ああ、また明日」

 風雅に別れを告げて、僕は足早に学校を後にした。

 ※※※

 結局、今日は胡桃には会えなかった。家に明かりが点いてなかったら食堂にも顔を出したけど、そこにもいなくて、玄さんに確認したら、今日は定時制の友達の家に泊めてもらう言って、家から着替えだけ持って出かけてしまったらしい。汀良さんという女子生徒の家らしいけど、僕の知らない人なのでそちらを訪ねるというわけにもいかない。今の僕は胡桃から徹底的にブロックされているらしい。

 流石は母親。玄さんは僕たちの間に何かがあったことを察したみたいだけど、深くは追及せずにただ、「そんなに深刻にならなくても平気平気。時間が解決してくれるよ」と言って笑ってくれた。確かに胡桃と喧嘩したのなんてこれが初めてじゃないし、いつだって、どちらからと言わずに仲直りを繰り返してきた。確かに今回のことも時間が解決してくれるかもしれないけど、陽炎祭はもう明日しかない。このまま胡桃と喧嘩したまま、初めての高校の文化祭は終わってしまうのだろうか。

「ただいま」

 比古さん食堂で夕食を頂いてから、自宅へと帰宅した。輸入家具のバイヤーとして活躍する母さんは現在、北欧に出張中で、今は家には僕一人だ。母さんの出張が多いのは昔からだし、この生活にも慣れているけど、傷心の時に誰もいない家に帰るというのは寂しいものだ。

「……今日はさっさと寝てしまおう」

 簡単にシャワーだけ浴びて、今日は早々に休むことにした。
 今は胡桃に連絡がつかないけど、明日の陽炎祭は胡桃も登校するはずだから、話せる機会はあるはずだ。お互いに午前中は担当の仕事があるから難しいけど、それが終わったら胡桃に会いにいこう。そしてしっかり謝ろう。

「胡桃?」

 シャワーを浴び、寝支度を終えて自分の部屋に戻ると、机に置いていたスマホの通知が点滅していた。胡桃が折り返してくれたのかと思って即座に画面を開くと、届いていたのは風雅からのメッセージだった。

『あれからどう? 仲直り出来た?』

 そういえば学校を飛び出して以降、風雅にも進捗を説明していなかった。事情を聞かされた風雅としては当然、状況が気になるところだろう。

『会えなかった。今日は家じゃなくて、友達の家に泊まるらしい』
『そうか。思った以上に深刻だな』
『とにかく、明日学校で顔を合わせると思うから、その時に誠心誠意謝る』
『それがいいな。俺は忙しくて力になれそうにないが、成功を祈ってるぜ』

 風雅は最後に、サムズアップのスタンプで僕を応援してくれた。力になれないなんてとんでもない。風雅の励ましに僕は救われている。

「……最後の謎解きか」

 学校から持ち帰ってきたスタンプラリー三つ目の謎。胡桃の言うように、今のうちに内容を把握しておけば、明日は素早く行動することが出来る。そうすれば胡桃との時間も。

「いや。駄目だ」

 封筒に伸ばしかけた手を引っ込めた。右手を左手で抑え込む様はさながら、右腕に闇の力を宿した中二病だ。

 この後に及んでなお、僕はミステリーに対する向き合い方を見直すことは出来そうになかった。謎解きとは何時だって突然訪れるものだ。予習していくのは僕の美学に反する。明日は謎解きもする。迅速にする。そして胡桃を追いかける。それが僕の流儀だ。

 
 第十二話 

 第一話


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?