大雲 牛大郎
短いやつを集めたやつ
4000字以上の短編の集い
僭越ながらY君が書いた演劇の脚本を読ませてもらいました。 この脚本の主人公がY君の投影であるとするならば、君が現在考えていることや誰かに訴えかけたいことを偽りなく脚本に描けていたと思いました。また、世界から主人公に与えられた苦しみの描写から、Y君自身が普段から感じている鬱屈した想いが伝わってきました。 さて僕がY君に聞きたいのは、この脚本に記されているたくさんの言葉は、本当にY君自身の言葉や台詞なのでしょうか、ということです。 僕はこの脚本の中の出来事のほとんどが
目に見えないからこそ願うことが大切なんだ、とあの日彼は言いました。 私と母は二人でアパートで暮らしていました。あの頃、父が病気で亡くなったことで生活が変わり、転校で友達とも別れることになって、私は毎日が悲しくて堪りませんでした。そんな私を元気付けるために、母が親戚から貰ってきたのが柴犬のコタロウでした。 大家さんに内緒で飼っていたのですが、室内でトイレをしちゃうと畳が汚れて引っ越す時にお金がかかるから、絶対に外でするようにコタロウをしつけていました。ある日、二人とも一
世間的に名の通る有名大学の医学部でなければ受験は受けさせないし学費も払わない、と父からずっと言われ続けてきた。僕はその父の言いつけを守れるようにひたむきに勉強をしてきたのだが、どうにも医学部に入学できるような学力は身に付かず、この春三度目の浪人生活が決まった。 「成人になったんだし、これからは実家にお金を入れなさい」と父に言われたことをきっかけに、去年から僕は地元のファミレスでバイトを始めた。だけど昨年の初夏頃から段々と勉強に集中できなくなり、長時間の立ち仕事のせいか帰宅す
人類のみなさまへ。これは私の決意表明です。 敢えて「人類のみなさま」と人類とは違う対場に自分を置いて皆様に語りかけることが、私が人類であることを辞める第一歩です。 私は物心が付いたときから自分が人間の肉体を持って生まれたことに違和感を覚えていました。漠然とではありますが、日々自分のあるべき姿・形はこれではないという想いを持って過ごし、幼い頃に自分の本来の形を探すかのように三角や四角や丸の積み木を熱心に眺めていたのを覚えています。自分自身の肉体に釈然としない想いを抱えてい
私は夜な夜な巡回する。 一日の終わりにいつものようにベッドに寝転がりスマホを操作する。 X、インスタ、フェイスブック、あらゆるSNSに上げられるモラルを逸脱する投稿に罰を与えるのだ。今日はたまたま見つけたカップルYouTuberのカラオケ動画に「楽曲制作者に使用許可の申請をしてますか?」とコメントをする。もちろん運営側に規約違反の通報をした後で。 世の中で一番大事なのは規律だ。それを守らない奴らに私は鉄槌を下す。制裁の通報ボタンを押す度に脳の皺の間からネバネバした液体
世の中に魔法はある。 あると早速断定してしまったが、実際にあるのだからしょうがない。それは魔法〝的〟でもなく、魔法〝のようなもの〟でもなく、正真正銘の魔法なのだから私ははっきりと魔法は現実にあるとここに言い切ってしまうのだ。 文明化が進み、テクノロジーが発展した現代で何を魔法だなどと宣っているのだと思うかもしれないが、今から私がその秘密を明かすので少しばかりの時間でいいから耳を傾けてほしい。 我々は人間、である前にそもそも生き物だ。思考したり誰かとこうやって話をするこ
幸雄は誰かと親密になれなかった。 例えばクラスでたまたま席が隣になったり、同じバイトに勤めていたり等のきっかけがあってその人と話してみる。最初は共通の話題で共に笑ったり愚痴を言い合ったりして愉快になるのだが、しばらく付き合いを続けていると、その人物の嫌な部分が目立って見えてくるようになる。今の発言は本当に面白いと思っての表現なんだろうか、その考えは物事の向き合い方として怠慢なんじゃないだろうかと内なる声が次々に浮かび上がってくる。そのときにその人物とは一旦距離を取り、自分
暇つぶしに昨年話題になった邦画を観始めると、映画の中盤でシゲさんが出演していることに気付いた。 その映画でシゲさんが演じるのはワタリガニの正しい剥き方を主人公にレクチャーする漁師の一人で、画面の隅の方でも異様な存在感を発揮しているその姿は、あの時と変わらず紛れもないシゲさんだった。 「シゲさん、頑張ってるんだ」 映画はそのシーンの後、ワタリガニをコチュジャンベースのタレで漬け込むか、それとも醤油ベースのタレで漬け込むかで民衆の間で言い争いになり、その口論が国を二分する争
老人は今日も絵画を見つめていた。 平日の美術館は閑散としており、午前中は来館者の足音も聞こえることがなく館内は静まりかえっていた。その静寂に包まれて老人はとある絵画と真摯に向き合っていた。 いつ頃からか老人は絵画の前にやって来て、午前早くから閉館まで佇んでいた。早三年程になるだろうか。毎日のように来ては絵画の前で立ち尽くすので、見兼ねた美術館の職員はその絵画の前に長椅子を置いた。次の日から老人は絵画の前の長椅子に座り込み、何も発さず取り憑かれたかのように絵画に眼差しを向
目が覚めてもまだ心の中に昨日の鬱屈した靄を引きずっていることに気づき、清美はそんな自分に腹が立った。一晩眠れば大抵のことは何も気にならなくなる性質なのに。昨日の出来事が自分にとってそれだけ最悪だったんだな、と第三者目線で俯瞰にしてイライラを矮小化しようとしたが、次々と自分に投げかけられた言葉や振る舞いを思い出してしまって上手くいかなかった。 どうして直属の上司でもないアイツにあんなこと言われなきゃいけなんだよ。ただ相手が歳下の女ってだけで横柄な態度取りやがって。絶対家庭で
卒業式が終わってしばらく経っても、多くの卒業生が名残惜しんで校舎前の桜の木の周辺に集まっていた。それぞれが友人や保護者と記念写真を撮影したり高校三年間の思い出話に花を咲かせたりして、それはこの時間を慈しむかのようであった。 親友がお手洗いに行ったタイミングでそこにただ一人残された私はボンヤリと皆の姿を眺めていた。高校生活から解放された喜びと春からの生活に期待を膨らませる皆の表情を見ている内に、なんだかこの光景は生涯で忘れることがないような気がすると感じていた。 そのとき
国道六号線を自転車で北上する。 この道は十一年半の時を経てやっと全線が通行できるようになった。僕はその十一年半という月日に思いを馳せながらペダルを踏み込む。 あの日のことをきっかけに僕たち家族は関東に引っ越した。家族は皆元気でそれはとてもありがたいことだけれど、当時隣町ですごく辛い経験をした人の話を聞いたことがあるから素直に喜ぶことができなかった。その複雑な気持ちの上に道路脇の煤けた看板に書かれた「帰宅困難区域」という文字が重くのしかかる。 僕にあの日のことを語る資格
これは私が旦那の浮気相手を食べちゃうまでの話なんだけど、別に旦那と痴情のもつれを発端に狂った私が浮気相手を殺害しちゃって、ついでに幼い頃から秘めてた食人嗜好を満たしてしまえって話ではないから安心してほしい。私の世界からすれば思い立ってラーメンを作って食べただけ。でもなぜ浮気相手を食べちゃうことになるのかを説明するには、私が中学に入学した時まで遡らなきゃならない。だってこれは世界の対峙についての話なんだから。 中学一年の初日、新しい制服に袖を通し、スカートの折り目を少し握
いつものように家で夫の哲志と晩御飯を食べていると、その日はたまたま会話の流れから私たちの出会いの時の話になった。 「そういえばさ、初めて会ったとき哲志お金持ってなかったよね」 「あのときは会社までの定期券だけしか持ってなかったからね」 「でも、あの駅は会社の最寄り駅じゃなくない?」 「うん、そう」と哲志はさも当然ことのようにあっけらかんと答えた。 私が夫の哲志と初めて会ったのは、とある駅の改札横の駅員室だった。私が乗り越し清算をするために窓口へ行くと、先に駅員と対応してた
深夜の公園の駐車場は誰もおらず閑散として闇に包まれており、まるで自分の心の裡を表しているようだと何気なく思う。自分の人生から離れていった人たちは何をしているだろうか。もう会えなくなった人たちに会えるのならばこれまでの自分の至らなさを謝りたかった。 車の運転席側の窓から外を見ると、駐車場の片隅にビールの缶が数本転がっているのが目に入った。きっと若者が外で飲んで捨てていったんだろう。自分にも何者かになれると思っていた時期があったとその若者の残骸に若き日の自分を重ね合わせた。
そういえばハチ公前で待ち合わせをするなんて大学生以来だ、と美沙希は気付いた。 金曜日夜の渋谷駅前は待ち合わせをする人で賑わっており、改札を抜けてハチ公の近くに歩いていくだけでも一苦労だった。 それこそ美沙希が上京したばかりの頃は待ち合わせの度に「こんな人だかり地元のお祭りでも見たことがない」と驚いていたものだが、あれから六年が経ち社会人になった今では人の多さにはもう何も感じなくなっていた。それよりも周りを見回すと十代の若者や大学生ばかりで、美沙希だけが会社帰りでビジネス