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【掌編】あれから

 国道六号線を自転車で北上する。
 この道は十一年半の時を経てやっと全線が通行できるようになった。僕はその十一年半という月日に思いを馳せながらペダルを踏み込む。
 あの日のことをきっかけに僕たち家族は関東に引っ越した。家族は皆元気でそれはとてもありがたいことだけれど、当時隣町ですごく辛い経験をした人の話を聞いたことがあるから素直に喜ぶことができなかった。その複雑な気持ちの上に道路脇の煤けた看板に書かれた「帰宅困難区域」という文字が重くのしかかる。
 僕にあの日のことを語る資格はあるのだろうか。その言葉を必死に隅々まで探してみるけれど、やっぱり自分には何もない気がして情けない気持ちになる。
 自転車や歩行での全線通行が可能になったというニュースを見て、僕は居ても立ってもいられなくなった。それでここまで趣味のマウンテンバイクを懸命に漕いできたけれど、子供の頃まで住んでいた町に近づけば近づくほどに、これは間違っているから引き返した方がいいと自分を何度も責めるようになっていた。けれどもやっぱり小学生のときまで住んでいた町をもう一度だけ見たくて、今見ないと楽しかった日々のこともひっくるめて全てが無かったことになるような気がして、様々な声が自分の中で彷徨っていた。
 いいんだ。そうやっていろんな気持ちを抱えたまま迷いながら進んでいくしかないんだ。それが僕の十一年半の唯一の結論だった。
 向き合うことは辛くてしんどくて逃げたくなることだけれど、前に進むにはペダルを踏み込むしかない。残酷にも道の先ではもっと辛いことが待っているかもしれない。それでも自分が地球で一番幸せだと確信できて、その煌めきを独り占めしたくなる魔法の夜がやって来ることをただひたすらに信じて自転車を走らせるのだ。
 そんな一夜が多くの人々に訪れることを祈りながら僕はペダルを漕ぐ。この海沿いの道の先に僕の故郷が待っているはずだ。

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