【掌編】栄光あれ
暇つぶしに昨年話題になった邦画を観始めると、映画の中盤でシゲさんが出演していることに気付いた。
その映画でシゲさんが演じるのはワタリガニの正しい剥き方を主人公にレクチャーする漁師の一人で、画面の隅の方でも異様な存在感を発揮しているその姿は、あの時と変わらず紛れもないシゲさんだった。
「シゲさん、頑張ってるんだ」
映画はそのシーンの後、ワタリガニをコチュジャンベースのタレで漬け込むか、それとも醤油ベースのタレで漬け込むかで民衆の間で言い争いになり、その口論が国を二分する争いへと発展し、終盤は手に汗握る大スペクタクル本格アクションへと流れ込むのだが、どうでもよくなった僕は映画そっちのけでシゲさんのことを思い出していた。
僕がシゲさんと会ったのは大学三年の冬頃の事だった。
その当時、僕は大学で演劇サークルに所属しており、活動がない時はサークルのOB経由で紹介されて映画撮影に幾度か参加していた。参加といってもそれは群衆の一人、つまり台詞のないエキストラと呼ばれるもので、ギャラはもちろん貰えるわけもなく米粒程度に少しでも姿が映れば良い方だった。
長い月日が経ってもそれが冬頃の事だと覚えているのは、やはり撮影が過酷だったことと脳裏にシゲさんが強烈に焼き付いたからだと思う。
その時エキストラとして参加した映画は、男女の夏休みの淡い恋愛模様を描いた内容だったのだが、映画の公開スケジュールの都合からか冬の真っ盛りの強風吹き荒ぶ極寒の海水浴場で撮影しなければならなかった。
撮影が始まれば冬であろうが波が荒れまくっていようが、出演者は夏を装い情熱的な砂浜で素敵な恋愛の背景の一部を演じなければならなかった。僕と仲間は海水浴場で遊ぶ若者のエキストラだったのだが、あまりの寒さに唇は段々と紫に染まり、徐々に顔は青ざめていった。僕らが少しでも夏を満喫できていない様子だと監督は撮影を止めて「そこ震えるな! もっと夏を演じろ!」と激高するのだが、頭では何とかしようとしても身体はブルブルと震えあがり、寒そうにする者は一人ずつ撮影から退場させられていくのだった。
そんな過酷な状況の中でも一際輝くエキストラがシゲさんだった。シゲさんはビーチバレーに興じる集団の一人で参加しており、何度撮影が中断して長引こうがそんなことはお構いなしで、再開されれば全身全霊でビーチバレーに取り組むのだった。相手のコートにボールを叩き込むときも、敵の鋭いアタックを拾い上げる時も、シゲさんは砂浜で楽しむ人を全身で表現しており、その姿はもはや夏そのものであった。
「だから寒そうにするなって言ってるだろ! それとそこ!! リベロ、リベロうるさい!!」
シゲさんのアタックしたボールが相手の素の内腿にクリーンヒットし、当てられた相手が寒さと痛さに悶絶してのたうち回っている頃、その日のすべてのシーンを撮り終えて解散となった。
サークル仲間と近くの停留所で「これ、交通費出るわけないよね」とか談笑しながら帰りのバスを待っていると、いつの間にかシゲさんが寒さに震えながら隣に立っていた。
「お、学生さん? 撮影お疲れさま。寒かったねー」
「あ、お疲れ様です。やっぱり寒かったですよね?」
「撮影中は大丈夫なんだけどねー。あ、何か暖かいものでも飲む? 奢るよ」
そこから皆でバスに揺られながら最寄りの電車の駅まで向かう間、僕らはシゲさんと話をした。シゲさんが映画が大好きであること、シゲさんのオススメの映画、シゲさんは僕らぐらいの年齢の頃は映画スターになることに憧れていたが、今は好きな映画の世界に自分の痕跡を少しでも残せれば満足であること、そんなことを話した。シゲさんと話をしたのはバスを待っている間と乗っていた一時間にも満たない短い時間だったのに、今でもこんなに心に残っているのはなんでだろうか。
後日、そのときの映画が公開されて皆で観に行ったのだが僕らは全く映っていなかった。しかしビーチバレーに熱中するシゲさんは異様な存在感を醸し出しながらくっきりと鮮明に映っていた。画面の奥から伝わってくる白熱するビーチバレーの試合模様は、手前のうすっぺらな淡い恋愛模様を喰わんばかりだった。いや、僕は喰っていたと思う。なぜなら映画を観た帰り道、僕と仲間たちの間では映画の感想は一つも口にされることはなかったが、気づくと皆口々に「リベロ、リベロ」と呟いていたからだ。
「ケジャーム......ケジャール......いやケジャン、ケジャンだ。これからはこの料理をケジャンと呼ぼう!!」
「ケジャン! ケジャン! 栄光あれ!」
ケジャンという料理名に血沸き肉躍る民衆の大合唱が聞こえたのか、隣の部屋で熟睡していた一歳半の息子が泣き始めた。
「あー、ごめんね。うるさかったね」
僕は息子をあやしながら、画面を下から上へと流れていくエンドロールをボンヤリと眺めた。しばらく観ていると後半の大御所俳優の名前が登場する前に小さく「シゲさん」と明記されているのを発見する。シゲさん、本名は何て言うんだろう。
「幸せは相対的ではないよねー。ケジャン、ケジャン」
息子が僕の腕の中で揺れながら、まだ食べたことのない料理名を聞いているうちにいつしか笑っていた。さすがに食べるにはまだ早過ぎるねー。
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