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【掌編】桜の下の約束

 卒業式が終わってしばらく経っても、多くの卒業生が名残惜しんで校舎前の桜の木の周辺に集まっていた。それぞれが友人や保護者と記念写真を撮影したり高校三年間の思い出話に花を咲かせたりして、それはこの時間を慈しむかのようであった。
 親友がお手洗いに行ったタイミングでそこにただ一人残された私はボンヤリと皆の姿を眺めていた。高校生活から解放された喜びと春からの生活に期待を膨らませる皆の表情を見ている内に、なんだかこの光景は生涯で忘れることがないような気がすると感じていた。
 そのとき視界の隅に同じクラスの男子の姿が目に入った。杉浦君の顔から笑みが零れていた。私はその笑顔から目が離せなくなる。
 クラスメイトだった杉浦君はずっと無口で誰とも喋ることがなく、休憩時間はいつも机に顔を伏せて寝ていた。杉浦君はいつも影があって明らかに何かに悩んでいるようだったけれど、同じ教室の皆はなんだかそれが触れづらくて、いや触れづらいというよりも皆それぞれがそれぞれのことで夢中だったから、杉浦君の方から何かこちら側に発信することがないのならば別に構うことはないかとやり過ごしていた。
 高校三年生の初め頃、私は杉浦君と隣の席だった時期があった。進路相談の時間に高校卒業後の希望進路を用紙に記入しないといけなくて、なんとなく気になって「杉浦君は大学に行く予定?」って聞いたら、杉浦君は「僕には先のことを考える余裕なんてないから」と呟きながら空虚な目で空欄になったままの用紙を見ていた。私はそんな杉浦君を見ていると、抗うことも許されず自分ではどうすることもできないやりきれなさみたいなものを感じて、返答に困って何も発することができなかった。
 あの会話にも満たないやりとり以降に杉浦君と話すことはなかったから、杉浦君が春から何処で何をするのか私は知らない。
 そんな杉浦君が笑っている。杉浦君の周りには国立大学を目指していたクラスの人たちがいた。その光景を見て私は、もしかして私たちのクラスとただ合わなかっただけなんじゃないだろうかと思った。私はそんな単純なことにも気づかずに、彼が助けを求めないことを言い訳にして放置してきたんじゃないだろうか。いつの間にか私の心は杉浦君に申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
 私は桜を見上げる。春が過ぎれば桜の花びらはすべて散り、来年の春にまたたくさんの人に見上げてもらえるよう厳しい冬や強風を耐え忍ぶ。耐え忍んでいるときが一番苦しいのだけれど、花が咲かない時期は誰にも見上げてもらえない。
「苦しいって言葉にするまで興味を持たずにただ待っている。そんなのって」
 私は言葉に詰まる。今の私にはその先の言葉を見つけることができなかった。でも日々何かを耐え忍んでいる人たちが人生で見つけた幸せ、大きなものはもちろんだけどささやかなものですら奪いたくないし、それを尊重できる人間になりたいと強く思っていた。
 私、誰かの生きづらさを少しでも軽くできるような人になりたい。ううん、なるって約束する。

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