【掌編】老いと孤独について

 深夜の公園の駐車場は誰もおらず閑散として闇に包まれており、まるで自分の心の裡を表しているようだと何気なく思う。自分の人生から離れていった人たちは何をしているだろうか。もう会えなくなった人たちに会えるのならばこれまでの自分の至らなさを謝りたかった。
 車の運転席側の窓から外を見ると、駐車場の片隅にビールの缶が数本転がっているのが目に入った。きっと若者が外で飲んで捨てていったんだろう。自分にも何者かになれると思っていた時期があったとその若者の残骸に若き日の自分を重ね合わせた。
 何者かになれると思い込んでいた若い時期はすぐに過ぎ去り、その後は自分を何かのカテゴリーに当てはめれば生きていくのが楽になるような気がして、ずっと誰かの言葉を欲しがっていた。暇があればいつもスマホで誰かの成功例を検索し続けていた。だけど衝撃を受けるような強い言葉を見つけても、時間が経つと自分の根幹までは揺さぶられていないことに気がつく。どんな言葉もカテゴリーも自分に当てはまることはなく、最後にはいつも焦燥感だけが残っていた。もっと何かを、すべてが変わるような強い言葉を。求めるごとに表現は強くなっていった。
 そうやって時間を無為に過ごしているうちに取り返しのつかない年齢になっていた。周りを見るといつまでも夢物語を語る自分に誰もが愛想を尽かしていなくなっていた。皆が自分から離れていったことに気付いてようやく自分の浅はかさと向き合えるようになった。ハンドルを握りしめて「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も呟くがその謝罪が誰かに届くことはもうなかった。
 もし神様がいるのなら、どうしてこんなに何もできない人間を創ったのかを問い質したい。いや、それは全てを神様のせいにして楽になりたいだけじゃないか。今の自分を形成しているのはこれまでの自分自身の積み重ねだって分かってはいるけれど、自分の薄っぺらさを認めるのが怖いから誰かのせいにしたいだけなんだ。
 神様なんていないんだ。自分の人生には何かが起こることなんてないし、この世界に自分の居場所なんてない。このまま誰にも迷惑がかからない何処かで消えてしまおう。
 そう思いながら車のエンジンをかけた。するとラジオのスイッチが入り音楽が流れてくる。

「神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように」

 なぜかそのフレーズだけ頭から離れなかった。エンジンをかけたタイミングでたまたま耳にしたその歌詞と、さっきまで自分が考えていたことが繋がっているようだった。まるで何かが通り過ぎていく時に何もかも捨ててしまおうとする自分を見かけて励ましてきているみたいだった。その偶然は目では見えない存在が仕組んだように感じられた。
 期待ぐらいしてもいいのかもしれない。いやせめて期待ぐらいさせてほしい。良いことが起こるように願うことすらできないのならば世界には辛さと苦しさだけしか残らない。そんなはずはない。そんなはずでいいわけがない。
 きっとここではないどこかに自分の居場所がある。そしてこんな自分でも誰かの力になれる日が来る。遅くない、まだ生き直せるんだ。そう信じる強い希望を感じながらアクセルを踏み込んだ。

 車が駐車場を去った後、空高くから誰もいない公園に一枚の白い羽が舞い落ちた。

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