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【掌編】ある絵画を巡る話

 老人は今日も絵画を見つめていた。
 平日の美術館は閑散としており、午前中は来館者の足音も聞こえることがなく館内は静まりかえっていた。その静寂に包まれて老人はとある絵画と真摯に向き合っていた。
 いつ頃からか老人は絵画の前にやって来て、午前早くから閉館まで佇んでいた。早三年程になるだろうか。毎日のように来ては絵画の前で立ち尽くすので、見兼ねた美術館の職員はその絵画の前に長椅子を置いた。次の日から老人は絵画の前の長椅子に座り込み、何も発さず取り憑かれたかのように絵画に眼差しを向けるのだった。
 ある日職員がまもなく閉館時間であることを老人に知らせに行くと、老人の目からとめどなく涙が溢れているのを目撃してしまう。この絵画に対して余程の思い入れがあるのだろうか。もしくは老人を釘付けにし虜にする魔力があるのだろうか。気づけば職員も老人と同じように作者不詳のその絵画に視線を送っていた。

 倉庫の重い扉を開けると饐えた匂いが鼻をついた。私が暮らしていた幼い頃からこの扉が開いているのを見たことがなかった。換気するため倉庫の窓を開けると、久々に差し込んだ光の中で大量の埃が宙を舞っていた。
 数年前に飲食業を営む父の会社も見事にコロナ禍の煽りを食らい倒産してしまった。父は仕事を失って糸が切れたかのように突然他界し、一人残された母は父の残した広大な土地の中で寂しく暮らしていた。この春に母も亡くなり、いよいよこのまま放置するわけにもいかず、一人では持て余してしまう莫大な資産と両親の遺品を整理するために私は実家に帰ってきたのだった。
 倉庫に保管された埃を被った大量の品々を見て、私は何処から手をつければいいのかと立ち尽くす。両親が若い頃に背伸びして買ったであろう高級な鞄や腕時計、一旦置かれてそのままになった冷蔵庫や洗濯機などの家電、父が蒐集した芸術品、倉庫には両親の思い出が所狭しと並んでいた。
 棚に無造作に置かれたアルバムが目に入って私はそれを手に取る。表紙の埃を払ってアルバムを開くと、そこには若かりし日の父と母がいた。職場恋愛に発展する前のまだ初々しさが残る二人、付き合って間もない頃を感じさせる遊園地での一枚、凱旋門の写真はおそらく新婚旅行の時の物だろう。どの風景の中でも二人は笑みを浮かべており、共に支え合って生きてきた証がそこにあった。私は思わず涙腺が緩みそうになるのを我慢するため上を向いた。
 すると棚の一番上に新聞紙で梱包された四角形の物体があることに気がついた。倉庫の隅に置かれた脚立を使って、棚の上からその四角形を取り出す。サイズと厚さから察するにおそらく絵画だろう。私は絵を傷つけないように新聞紙を端から慎重に剥がしていった。
 現れたのは女性が描かれた絵画だった。高級そうな紫のドレスを艶やかに着飾り、両手は臍のあたりで上品に重ね合わせられ、その微笑みはすべてを優しく包み込むようだった。これはおそらく母の若い頃を描いた肖像画だろう。
 一体誰がこの絵を描いたのだろうか。父が著名な画家に依頼して描かせた作品かもしれないと思い、私は美術商に連絡してみることにした。

 老人は、絵画を見て思案する職員に肖像画を買取りたい旨を伝えたかったが、涙と嗚咽を止めることができずに声をかけられなかった。この絵を引き取れるのなら幾らでも支払う。
 老人はこの女性を描いた人物を知っていた。それは老人の父だった。父の趣味は絵を描くことだった。老人がまだ学生だった頃、母の不在時にリビングでスマホの写真を確認しながらこの絵を描く父の姿を盗み見していたのだ。
 母ではない女性を描く父を不思議に思った若き日の老人は、隙を見計らって描きかけの女性をカメラに収めた。後日その写真で画像検索をすると、とある飲食店に勤める女性のブログが見つかり、それを発見した息子の全身に衝撃が走った。
 まさか人生の晩年に再会できるとは思ってもいなかった。老人はこの絵を誰かに見られたくなくて朝から晩まで独り占めにした。この絵に近づいてきた者を執拗に睨みつけて遠退けた。できることならすぐに引き取って二度と人目に触れさせたくなかった。流れる涙は感動からではなく、情けなさと恥ずかしさから流れる涙だった。
 老人は恥ずかしさのあまり言えなかったのだ。
「これは父がガチ恋したキャバ嬢の退店祝いに描いて贈った恥ずかしい絵なので引き取らせてください」と。
 肖像画の女性が苦悩する老人と芸術について熟考する職員に無価値な微笑みを返していた。

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