【掌編】成長と変化について

 そういえばハチ公前で待ち合わせをするなんて大学生以来だ、と美沙希は気付いた。
 金曜日夜の渋谷駅前は待ち合わせをする人で賑わっており、改札を抜けてハチ公の近くに歩いていくだけでも一苦労だった。
 それこそ美沙希が上京したばかりの頃は待ち合わせの度に「こんな人だかり地元のお祭りでも見たことがない」と驚いていたものだが、あれから六年が経ち社会人になった今では人の多さにはもう何も感じなくなっていた。それよりも周りを見回すと十代の若者や大学生ばかりで、美沙希だけが会社帰りでビジネススーツを着ており、そのことで周囲から浮いてるような居心地の悪さを感じていた。「だからもう渋谷には来なくなっていたんだった」
 大学四年生の終わり頃に漠然と感じていたこの街に受け入れてもらえなくなった疎外感を思い出して「こんなところじゃなくてもいいのに」と美沙希は待ち合わせ相手に無性に腹が立ってきた。
 智子と最後に会ったのは大学一年生のときだった。地元の高校が同じで大学進学をきっかけに一緒に上京してきた友人だった。智子とは大学は別でも初めの頃は週末に予定を合わせて遊んだりしていたのだが、一年生の秋頃から智子の友人関係がおかしくなってきたのを美沙希は感じた。決定的だったのは智子が「鶴と亀」のロゴが大きく入ったペットボトルの水を美沙希に勧めてきたときだ。この水を毎日飲めば成功者になれる上に百二十歳まで必ず生きられる、とオシャレなカフェで人目を憚らず力説する友人の姿を見て、美沙希は智子に会うのはもうやめようと決心した。それからは連絡がしつこく来ても無視していたしSNSもブロックした。一時期は地元に帰省して友人たちと集まると必ず「智子、都会に染まり過ぎてマジウケる」とか話のタネにしていたが、それにももう飽きるといつしか話題に上がることも失くなっていた。

「ハチ公前に着いたよー」と美沙希がメッセージを送信すると、すぐ既読になって智子から「分かりやすいように犬に跨って待ってて!」と返信が来る。
 その文面を見て美沙希は口元が少し緩んだ。知らない番号からメッセージが届いてそれが智子だと分かったときは驚いたし不安だったが、久々に会いたくなったのは事実だし私たちもう社会人になったんだから大丈夫だよね、と美沙希は自分に言い聞かせた。今日は六年前の上京したばかりのすべてが楽しすぎて輝いてた頃の智子と再会するんだ。
 美沙希はその頃を思い出すため耳にイヤホンを入れて六年前に夢中で聴いていたアイドルの楽曲を探して再生ボタンを押す。
 かつて何度も聴いた前奏を耳にした瞬間に胸に熱いものが流れてくるのを美沙希は感じた。なんだ今聴いても変わらず最高に良い曲なんじゃん。しかし当時推していたアイドルの歌声が聴こえた途端に慌てて停止ボタンを押した。せっかく忘れてたのに嫌なことを思い出させるなよ。
 美沙希はそのアイドルのことを十代の半ばから夢中になって応援していた。推しているアイドルのグッズが発売されると金欠になる程大量に購入した。落ち込むような出来事があっても推しの笑顔を見て何度も励まされてきたし、突然卒業発表したときも初めは理解できなかったが推しの幸せのためならと自分を納得させることができた。美沙希が許せなかったのはそのアイドルがグループを卒業した後わずか三ヵ月で結婚したことだった。交際三ヵ月のスピード婚なんて絶対に嘘。在籍してた頃から付き合ってたってことじゃん! SNSに怒りに任せて「許せない! 許せない!」と何度も書き殴った日々を思い出して少し嫌な気分になる。
 そのとき駅前の大型モニターから最近ハマッている曲が聴こえてきて、美沙希は急いでそちらへ注意を向けた。
 モニターには「大人気アニメ、六年の時を経て待望の続編決定! 主題歌はあの国民的アイドルユニット!」と大きく映し出され、アニメの登場人物が活躍する場面に合わせて今イチオシのアイドルユニットの楽曲が流れていた。
「やっぱり私の嫌な気持ちを救ってくれるのは彼らなんだ」と美沙希はそのタイミングの良さに運命みたいなものを感じて浮かれ立った。
 子供の頃は大人になればアニメだって観なくなるし、ゲームだって興味がなくなると思ってた。だけど二十代の半ばになってもアニメは何本もチェックし切れないほど観ているし、推しのアイドルのスマホゲームだって課金してまでとことんやる。だって課金の量が推しへの愛情表現だから。SNSを見れば三十歳でも四十歳でもそんな人当たり前にいるし、むしろなんでやめなきゃいけないのってイライラする。頼まれたってやめてやるもんか。

「美沙希、久しぶりー。全然変わってないからすぐに分かったよー」
 スマホでアニメの初回放送日を調べていると友人の懐かしい声が聞こえてきた。美沙希は思わず顔を上げるがその表情は上手く笑うことが出来ずに中途半端に固まってしまった。
 なぜなら美沙希は目が離せなくなっていたからだ。それは六年前と何も変わらない智子の顔からではなく、その頭に被ったキャップの前方に大きく刺繍された「鶴と亀」のロゴマークからだった。
「あ、これ? 被ってると苦しみが無くなるんだー」
 美沙希は智子の話を曖昧に返事しながら、少しずつ変わっているようで本質は何も変わってないんだと思っていた。そして自分が変わらなくてもいい言い訳と開き直る理由を探しながら生きていることに気付いた。

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