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哲学(独学) ストア派哲学が好きです。文章にまとまりが無いのと話が散漫ぎみですが文章を…

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哲学(独学) ストア派哲学が好きです。文章にまとまりが無いのと話が散漫ぎみですが文章を書くのは好きなので一生懸命書いてます。過去から学んだ事や気づいた事をつらつらと書いてます。自分語り強めですがよろしくお願いします。失敗は自己成長の一環だと感じてます。

最近の記事

正直者

自分の事が分からなかったのですが少しずつ分かる様になってきました。 でも、感じたのがそれを気づかせてくれるのはどんな時も人だという事です。 だから人の存在には感謝してます。 大人になると分かる様になってくるのか?病み過ぎてて頭が上手く機能してなかったのか? 考える事が好きなのでもしかしたら頭が上手く機能してなかった可能性があります。 今は、閃いたり、ある物事とある物事が繋がると嬉しくなります。 相変わらず自分の世界が強めなんですけど。笑 過去には人を「愚民」と思ってた時

    • 変人

      私は、哲学が好きです。 最初から哲学を好きだった訳ではありません。 私は人間関係や環境が合わなくて苦労する事が多々ありました。 幼少期から不安が強かった(心療内科の先生に診断されました)らしくそれを気づかないまま長年放置してしまいました。 学生時代から虐められる事が多かったのと他人と上手く人間関係が気づけないのもあり不思議とネガティブな世界に居る事に変な安心感がありました。 不安な事ばかり起きるならそう考えるしかありませんでした。 病んでると視野が狭くなります。 後に自

      • 偏見

        私は、花を栽培してる方の元でお手伝いをしてます。 無償でお手伝いをしてるのですが凄く楽しいです。 小さなガーデンなのと高齢夫婦な事もあり、手伝う頻度も少ないのですが手伝ってと言われると喜んで飛んで行きます。 自然なものは美しいです。 花にハチが止まってると「自然を大切にしたい」「ありがとう」って気持ちになります。 栽培してる方が「ハチが年々減ってきてる」と言ってました。 これは深刻な状況と捉えなくてはなりません。 虫も何かの役割を果たす為にそこに居ると思ってます。 何に対

        • 私は、花を育ててます。 花を育てようと思ったキッカケは、お手伝いで花瓶に適当に野花を活けてほしいと言われて私は、真面目に野花を遠くまで探しに行きました。 散策してると野花でも綺麗な花がたくさんありました。 私は、花瓶を華やかにしたいと思いました。 なので遠くまで野花を探しに行きました。 その時に小さな事でも本気でやったらおもしろそうだな…と自分の中で思いました。 そしたら色んな人から花瓶に活けた花を褒められました。 あの時の嬉しかった気持ちを彼に何回も言った気がします。

          感情

          過去から感じる事がたくさんある気がします。 あの時の私って実は、辛かったけど…我慢しちゃったんだな…とか過去に言われた事が後に何かをキッカケにその事と繋がったりするとか何度も同じ事で悩んだり、考えたりする原因は過去にあるとか過去には気づけなかった事が今では分かる様になる気がします。 今は、気づけるということはその考えられる要素が元々備わってるんだと思います。でも、うつ病になると脳内が低下する気がします。 そう感じた時が… 本が読めなくなる(1ページ読むのもしんどい) 餃

          婚活

          婚活をしてた時に意識してたことを話します。 正直…苦戦しました。 もしかしたら一生独身かもしれないとも覚悟しました。 INFJの恋愛傾向に凄く共感しました。 私は、マッチングアプリを活用してました。 参考動画でも否定する様にそんなことをするよりも結婚相談所に行って下さいと言います。 結婚相談所は、お金にある程度余裕が無いと厳しいと思います。 冷静に考えるとお金を払って結婚相手を見つけるってなんか違和感を感じます。 ビジネスにも感じます。 私は、お金を払わなくても良い出会い

          不安

          不安の思い込みに囚われてた時の話をします。 当時は、「無理だ。出来ない。」と挑戦してもいないのに諦める癖がありました。私は、失敗を恐れて行動が出来ない人間です。 過去には、嫌な思いをする方が多くて怖くてなかなか行動することが出来ませんでした。 もしかしたらその辛かった中には良いこともあったかもしれません。 でも、ネガティブな思考だと良いことがあったとしても悪い思考になってしまう時があります。 全てが嫌な思いだけでは無いと思います。 そうなってしまう原因のひとつに不安が強い

          読書

          本は素敵だな…と感じた時の話をします。 私は、よく色んな人に「本を読んだ方が良いよ」と言われてました。 だから何度か小説を読んでみました。 本と言ったら小説かな?と思ったので。 何度読んでみても長続きしませんでした。 だからだんだん本を読むのは苦手だな…と思う様になりました。 当時、ネガティブ全開だったので本を読む気力もありませんでした。 自分にはどんな本が向いてるのとかも分からなかったので考えると余計にしんどくなる時もありました。 分かったことがあります。 病んでると

          少数派

          きっと最小限が良いのかもと思った時の話です。 私は、ものに溢れる生活が嫌でした。 親が片付けが苦手でものが捨てられない人でした。 親と何度対立したか分かりません。 それでもやはり嫌で親と何度も対立しました。 次第に自分のものを捨てる様になりました。 必要なのか分からなくなってくる時もありました。とりあえずものが捨てたくなる衝動に駆られ自分のものを捨てました。 捨てると部屋が綺麗になるので心が少しスカッとしました。 自分の部屋が無かった(母親の話によると8畳の半分が私の陣地

          少数派

          洞察力

          不登校になった友達が学校に来てくれた時の話をします。 学生時代は、何故か友達と友達を取り合いをしてました。 当時は、分からなかったけど…3人で行動するのが多分、苦手でした。 ある日、別の友達の部活で仲良くなった友達を正直に可愛くないと言ってしまい、喧嘩になり、そこから省かれ孤立しました。 だからグループで何かをするみたいなのが凄く嫌でした。 そして…もうひとりの友達もだんだん学校に来なくなりました。 もうひとりの子が性格がキツくてその子には当たりも違う感じがしました。

          洞察力

          希死念慮

          ※重い話をします。 命を大切にしようと思った時の話をします。 私は、希死念慮の経験があります。 世間的には、親から貰った命を大切にしなよと言われるかもしれません。 そう考えてしまう人の中には、親と分かり合えなくて苦労してる人も居るかもしれません。私がそうでした。 それは望む人の意思でも無いし、本当に苦しくて息をするのも辛かったらその言葉は逆効果になる時もあります。 本当に追い詰められると物事は良い方には捉えられなくなります。 苦しい時の「頑張ろう」も「頑張ってるよ」も辛かっ

          希死念慮

          人は鏡なんだな…と感じた時の話をします。 友達とご飯を食べに行った時に隣の親子が容赦無く、怒号を撒き散らしてて私は、HSP気質ということもあり、体調が悪くなってしまいました。 きっと鏡なのだと思います。 自分が過去にしたことが必ず返ってきたのだと思います。 そう感じたのがおばあちゃんが介護されてる時におじいちゃんが怒鳴っていたのを思い出しました。やがておじいちゃんが介護される様になってお父さんに怒鳴られていました。気づかないと永遠に続いてしまうのです。 人間だけでは無い

          言葉

          彼に「noteとか書いてみたら?」と言われたのがnoteを始めるキッカケでした。過去にもブログを書いていたことがあり、書くことは好きな方だと思います。 彼にも「言葉にするよりも文章の方が向いてるんじゃないの?」と言われました。 確かに思ったことを話して満足してまう時もあるので人と上手く意思疎通出来ない時があります。話が噛み合わない時もあります。 言葉をまとめて話すことが苦手です。 よく「話が噛み合ってない。」と色んな人から言われて会話するのが少し自信が無くなった時もありました

          対価

          気持ちが動いた時の話です。 私のお父さんは脱サラして農業をしています。 お父さんは働きながらおじいちゃんと一緒に農業の手伝いをしてました。 今は、おじいちゃんの後を継ぎ農家をしています。 学生時代は、お父さんも深夜に働いていたこともあり、あまり関わりがありませんでした。 自分がうつ病になり、働けなくなり、引きこもってた時にお父さんの仕事を手伝ったことがあります。 もみふりという仕事です。二人で作業をした時は、最初の方は、時間もかかって日が暮れそうになるまで作業した時もあ

          転職

          転職した時の話をします。 一般就労で働くのが怖くて支援を利用しました。 支援センターに通って色んな種類の勉強をしました。 その時に手先が器用と評価してもらいこれなら嫌々ながら働かなくて良いかもしれないと思い支援の人に紹介してもらいました。 最初の印象がすごく良くてみんなが優しくてその場で泣き崩れてしまいました。 自分でもここで働きたいと思って障害者雇用で転職することにしました。 兎に角、最初の方は、上司が良い人でした。 でも、辞める時には上司と話せなくなってました。 私は、

          心臓

          辛い時に味方になってくれた時の話です。 過去の話に入ります。 私は、過去に会社員として9年勤務してた時がありました。 高校の情報の先生に「社会に出たらギャップを感じる時もあるかもしれないけど頑張ってください。」と言われたことを思い出しました。 あまりにもギャップが酷すぎました。 同期と上手く馴染めず、省かれてたので孤立してました。 集まりとか大っ嫌いでしたから会社の行事を欠勤したりもしてました。 職場には一人でも気の許せる同期では無くても、話せる人の存在は必要だと思いました