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ハードボイルド書店員日記【99】

「あの本、面白かったよ!」

休日。用があったので職場が入っている商業施設へ来た。馴染みのうどん屋で昼を食べ、寒気を覚えるほどクーラーが熱く稼動するカフェでひと息つく。声を掛けられた。中学生くらいの小柄な男の子。トレイの上にオレンジジュース。ピンクのマスクの下で笑顔が引きつっている。邪魔じゃないかと気にしている。痙攣しそうな一重まぶたを見て記憶が蘇る。

「ああ、この前の」「やっぱり本屋の店員さんだよね!」「よくわかったな。ワイシャツ着てなくてエプロンもしてないのに」「家近いの?」「満員電車に乗らずに通えるのがここで働く理由だ」「あはは」冗談だと思っただろう。冗談だ。半分ぐらい。

「ここ座っていい?」「どうぞ」隣に腰を下ろす。「もう読んだとは早いな」「本当に面白くて! それを言おうと思ってお店行ったら、今日は店員さんお休みだって」「なるほど」「ちゃんと持ってきたんだよ」背中のリュックを下ろし、中から単行本を取り出す。マスクと同じ色の表紙。石川宏千花(ひろちか)「拝啓パンクスノットデッドさま」だ。

「すごく共感できた。ウチもお金ないし、あと弟の朝ごはんはいつもぼくが用意してるから」「そうか」「高校入ったらぼくもバイトするんだ。スマホと本を買うお金ぐらい自分でどうにかしないと」さすがに掛け持ちは厳しいけどね、と目尻に皺を寄せる。主人公の高校生が中華料理店と百円ショップでアルバイトをしているのだ。「店員さん、高校生の頃バイトしてた?」「いや」「まあほとんどの家はそうだよね」おまえの家は違うのか。言い掛けて飲み込んだ。

「……友達がしてた」アイスコーヒーを飲み干してつぶやく。「バイト?」「喫茶店でハンバーグを作ってたらしい。家庭科の調理実習の時にさらっと自慢された」「『いつもやってる』って? いるよねそういうやつ」「貯めたカネで布袋寅泰モデルのエレキギターを買い、髪を立てて学園祭で演奏してた」「カッコいい!」一拍置いて目を覗き込んでくる。「その話を自分のエピソードにしない店員さんも」「何だそれ」「うらやましかったでしょ?」「ああ」「わかるよ。ぼくもうらやましい同級生がいるから。イケメンでスポーツ万能で勉強もできて」ジュースを一気に吸い上げ、そして頷く。「でもぼくはそいつじゃない。そいつになる気もない。ぼくはぼくだ」同意を求めるようにまた見つめてきた。あえて流す。自分が自分でいることに誰かの承認など必要ない。

「ところで、何でこれを勧めてくれたの?」「鼻歌」「え?」「児童書売り場で鼻歌を歌ってただろう。施設のBGMに合わせて」「そうだっけ?」「その時流れてたのが、ザ・スミスの『心に茨(いばら)を持つ少年』だったんだ。おまえ、途中から英語で歌ってたな」”and if they dont believe me now, will they ever believe me?"と口ずさんだ。「いまは誰も信じてくれないけどいつかは信じてくれるのかな?」と。

「はずっ!」大きく仰け反る。こぼす前に飲み終えてくれ。「店員さん、音痴だね」「ばれたか」「大丈夫。下手でもいいんだよ。この本に書いてあった」「179ページだな。『パンクはさ、うまくなくていいの』『かっこよければ下手でもいいのがパンクだから』」「え、何で覚えてるの?」「たまたま。でもあの歌を知ってる十代がいるとは意外だった」「スミスじゃないと……その、上手く眠れないんだよ」ぷいと横を向いた。

「でもさ、おかげでやる気が出たよ!」身を乗り出してきた。「いまブログで小説を書いてるんだ。パンクみたいなのがあってもいいよね。下手でもカッコ良くて面白いやつ」「町田康、知ってるか?」「誰?」「元・パンクロッカーの芥川賞作家」「え、読みたい!」「デビュー作の『くっすん大黒』がいいかな。文春文庫。でも中学生には」「もしかしてエロい?」「チャアミイが少し」「チャーミー?」エロいというか下品なのだ。

「音楽の話、出てくる?」「ジミヘンの『パープルヘイズ』とか」「カッコいいよね!」「イントロ、わかるか?」「あれでしょ。でっでっでっでっでっでっでっで、ででででーででででー」「『くっすん大黒』では『コッケコッケコッケコッケ、コカカカーカコカカー』だ」「ずいぶん間抜けだね」「しかも歌い出しが『ふぬへーほっはっへぇ』」ジュースを盛大に噴き出した。「いやいや違うでしょ! ”Purple haze all my brain"がどうしてそんな」涙目がしばらく続いた。

翌日。出社してまず文春文庫のコーナーを見た。長期間棚差しになっていた「くっすん大黒」が消えている。俺も小説を書いてると話したらどんな顔をするかな。拝啓心に茨を持つ少年さま。今度来たらブログのURL教えてくれ。ふたりともいつか本を出せるって信じてるぞ。

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