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「名作」の再読プロセス

感服しました。こういう解釈もできるなと。

「風の歌を聴け」は、ジャズ喫茶を経営していた29歳の村上春樹が原稿用紙に万年筆で綴ったデビュー作です。「職業としての小説家」によると夜遅く、店の仕事を終えてから台所のテーブルに向かって書いたとか。

夏目漱石「坊っちゃん」や太宰治「人間失格」に負けないぐらい、何度も何度も読みました。英訳版も持っています。なのに↑みたいな掘り下げ方をしたことは一度もありませんでした。

己の浅さに愕然としたのは事実です。でも思い直して「だからこそ名作なのだ」と受け取りました。実際、映画やアニメやプロレスにおいても、優れた作品は何度触れても新鮮な気持ちで味わえますから。毎回予期せぬ発見に出会えますから。

むしろ初回ですべてわかってお腹いっぱいになってしまう方が味気ない。頭の回転が速くて一度で十分な人もいるでしょうけど、何だか逆の意味で時間を粗末にしている気がします。

そして作り手の考える「名作の定義」が、必ずしも読者の考えるそれと一致するとは限りません。少なくとも「風の~」は春樹さんが考えているよりもはるかに味わい深い逸品です。決して長くないし深遠な何かが描かれているわけでもない。でもページ数と重厚な主題がマスターピースの必須要素ではないのもたしか。まさに「坊っちゃん」や「人間失格」が証明しています。

あと改めて「他の人の感想に触れるのも読書のひとつ」と学びました。本は基本的にひとりで読むもの。でも自分だけでわかろう学び取ろうと意地を張るよりは、愛書家の方々の声に耳を傾けた方が断然面白いし有意義なのです。

まずは自力で読み解く。次に他の人の解釈に触れて己の感想と併せ、時をかけて熟成させ、自家薬籠中のものとした後に再読する。これが名作を読む際の最も滋養の高い(効率の良い、ではない)プロセスではないでしょうか?

「風の歌を聴け」また堪能します。

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