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ハードボイルド書店員日記【123】

「芥川賞の本、どこかにまとまってる?」

出勤時に雪がちらついていた金曜。ずっと室内で動いているから寒さは感じない。客足は疎ら。平日の午前中は元々こんなものだ。

品出しを終え、入り口横のフェア台を整理する。文芸書のエリアに芥川賞と直木賞の受賞作、そして本屋大賞のノミネート作が並んでいる。声を掛けられた。黒いトレンチコートを着た年配の男性。「こちらに」目の前に二作とも積まれている。「あ、そうか」コートと同色のマスク越しに苦笑する。「ごめん。探してるのは受賞した本じゃなくて候補作なんだ」「文芸書の棚にございます」まだ残念そうに首を傾げている。「家の近所の本屋ではここにあったんだよね、お店の一等地に」

歩きながら話す。「ちなみにお探しのものは」「『開墾地』ってやつ」「グレゴリー・ケズナジャットさんの」男性の足が止まる。「よく覚えてるね」「読んだばかりなので」「どうだった?」未読の人に話せることは限られている。「日本語を大事に使っている印象を受けました」「アメリカ人?」「著者も主人公ラッセルもサウスカロライナの生まれで母国語は英語です。一方、彼の父親は出身がイランで英語とアラビア語を」口を噤んだ。

芥川賞と直木賞の候補作が面陳されているコーナーへ案内する。若いカップルが立ち読みをしていた。近くのキャンパスに通っている大学生だろう。男の方が「開墾地」を手に取って「うすっ!」とのけぞる。

「これで税別1300円はどうよ」裏表紙をポンポン叩く。白いニット帽を被った女が「コスパ的に?」と笑う。彼らがYou Tuberの棚へ移るまで、我々は暗渠の水を口に含み続けた。

「コスパねえ」男性が背中を叩かれていた「開墾地」を優しくなでる。「どう思う?」「本の価格の妥当性を紙の量だけで測るのはフェアではありません」内心驚く。頭の中ではもう少しオブラートに包んでいた。「だよね。ご飯の特盛が売りの定食屋じゃないんだから」「それはそれで嬉しいですけど」「たまに行くよ」「私もです」話しつつページを丁寧に捲っている。

「面白いね。母国語じゃないから、より言葉や表現を慎重に選んでいる」「そういう作品に興味がおありでしたら」ハヤカワ文庫の棚へ案内し、アゴタ・クリストフ「悪童日記」を手渡す。「ハンガリー人の著者がスイスへ亡命後、母国語ではないフランス語で書いたものです」「へえ」「42ページに興味深い一節が」記憶の泥水から名言を掬い上げる。

「ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない」
「たとえば、『おばあちゃんは魔女に似ている』と書くことは禁じられている。しかし、『人びとはおばあちゃんを<魔女>と呼ぶ』と書くことは許されている」

「なるほどね」小さく頷いている。「曖昧で誤解を招く書き方をしない。不慣れな言語を使って創作するうえで、著者が自分に課したルールかな」同意見だ。「『開墾地』の文章も同じかもしれないね。日本語で書くのは不便だけど、だからこそ表現する対象から距離を取れるし、よりシンプルで正鵠を射た描写ができる」「そう思います」ただ、と続ける。「母語に対して覚えるある種の違和感は外国語の中にもあるみたいです」根拠として80ページを開いた。こんなことが書かれている。

「ときには向こうの言葉の行間にも、母語に潜んでいたのと同じ不愉快なものが聞こえるような気がした」
「トウゼンとかジョウシキとか、ワガクニハとかで始まる発言を耳にするたびに、ラッセルがかつて怯えていた不条理な要求が一瞬だけよぎった」

二冊とも買ってくれた。「楽しかったよ」「こちらこそ」「待ち合わせをしてるんだけど、相手の電車が雪でだいぶ遅れちゃってね。でもそのおかげでずっと気になっていた小説を買えたし、斬新な一冊に出会えた」「書店員冥利に尽きます」本心だ。

「ところで『開墾地』って二作目だっけ?」「はい。デビュー作は京都文学賞を受賞した『鴨川ランナー』です」「ここにある?」「申し訳ございません。現時点で版元品切れです」「もし芥川賞を獲ってたら」「重版したでしょうね」PCで検索し、某密林にはありそうと伝える。笑って首を振った。「せっかくだから、ここで買える日が来るのを気長に待つよ」さらにこう続けた。「本はどこで買っても同じっていうけどさ、だからこそ特別なお店で買って特別なものにしたいよね」

ただただ頭を下げた。時に言葉は呪いと化す。開墾地に生い茂る葛のように纏わりつく。だがこの世の正体を錯覚させる何かをくれるのもまた言葉の力なのだ。

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