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ハードボイルド書店員日記【162】

「ポイント、セルフでは付けられないの?」

昼まで三人体制の祝日。さらに遅番で来るはずのバイトが「頭が痛い」との理由で突休(とつやす)になった。一日中レジカウンターを抜けられなくなった店長はいつもよりも声が大きい。「お待ちのお客様どうぞ!!!どうぞ!!!」若いカップルが露骨に眉をひそめ、列から離れた。

スカジャンを着た体格のいい中年男性が、私の入っている中央のレジへ来た。金髪に棘を含む眼差し。セルフレジで単行本を一冊購入し、カバーも自力でかけてくれたようだ。「どちらのポイントでしょうか?」「これ」館の発行しているクレジットカードが出てきた。「こちらでお付け致します」「セルフでできないの?」「専用の端末へ通す必要がございまして。申し訳ございません」「だったら、そういう掲示を出してよ」セルフレジの横にその旨が印字されたPOPを置いている。館からもらったものだ。文字が小さくて地味なデザインだからしばしばスルーされる。一度店長に訴えたが「それしかくれないから」と返された。

「二回並ばせないようにしてよ」「申し訳ございません」「あとさ」右の親指をくいっと横へ向ける。「あの人、もう少し静かに接客できないの? うるさくて金額とか全然聞こえない」相変わらず端のレジで声を張り上げている。「伝えておきます」「それとこのカバー、どうやってかけるの? 自分でやったんだけど何だか」「よろしければ私が」本を受け取り、一度外す。竹書房から出ている「飄々と堂々と 田上明自伝」の表紙が姿を現した。

「ありがとうございます」「ああ?」怪訝そうに目を細める。「田上さんのファンなのでご購入いただけて嬉しいです」「ああ」かけ直して手渡す。「どこにも置いてなくてさ。やっと買えたよ」実用担当の女性に「Yahooニュースでも紹介されたし絶対売れる」と推したのだ。彼女の返答は「何て読むんです? タノウエ? たがみ?」だった。しかし根負けしたのか最後には三冊注文してくれた。これで売り切れのはずだ。

「全日派?」「全日派です。四天王プロレスが大好きでした」「いまも見てる?」「時々。青柳優馬選手いいですね」途端に男性の顔が輝きを帯びる。「俺もアイツ応援してんだよ。若いのに骨あるよな。いい試合するしコメントも面白い」「ええ」「宮原も頑張ってるけど、やっぱ生え抜きだよな」「青柳選手は馬場さんの薫陶を受けた秋山選手の教え子ですから」「そうそう。わかってるねえ」嬉しそうに帰っていった。ありがとうございます。深々と頭を下げた。

両肩と腰に粘りついていた重さとだるさがいつの間にか消えている。これも接客業の醍醐味だ。「飄々と堂々と」の276ページに書かれていた一節が頭を過ぎる。

「もう一回人生をやり直せるとしたら? 考えたこともねぇな」
「悔いることもあるけど、俺はこの人生でいいよ。いや……この人生がいい!」

人手不足で激務。ろくに有休を取れない。にもかかわらず最低賃金。ワイシャツと革靴で肉体労働をし、頼んでいないうえにさほど動かぬ本を一等地へ積めと強いられる。早急に変えるべきことは少なくない。それでも私は書店員でいい。いや……書店員がいい。

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