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ハードボイルド書店員日記【93】

「できるだけ在庫を減らしてください。棚下のストックは一列でお願いします」

店長の指令が出た。年に一度の棚卸シーズン。店に置かれている商品の数と金額をチェックし、データと齟齬がないかを調べる。具体的にはハンディータイプの機械でバーコードを読み取り、数を打ち込み、事務所のパソコンへアップロードしていく作業だ。

「先輩、ここの棚卸って俺らは何かやるんですか?」朝礼後、他の書店から来たばかりの同僚に訊かれた。「いや在庫を減らすだけ」「俺が前にいたところでは、仕入れ室にあるストック分は自分たちでやったんですが」「開けていない雑誌やコミック、あとは赤本とか?」「ですね」彼はまだ研修期間で、いまは学参担当の補佐をしている。「この会社ではすべて業者に任せる」「へえ。店長は朝までコースですか?」「それはどこの書店でも同じだな」責任者として夜から出勤し、朝まで業者を監督することになる。

「先輩の前の職場はどうでした?」「売り場にある文具の棚卸を自前でやったよ。ボールペンの替え芯とか消しゴムとかクリアファイルとかポストカードをひとつずつ数えて」「営業中に?」「いや、閉店した9時から始めて11時半ぐらいまで。家が近いバイトの子と一緒に」「マジすか!」マジなのだ。「でもそれって遅番だけですよね? 早番ならやらなくて済んだわけでしょ?」「まあ」「理不尽だなあ」「仕方ない。誰かがやらなきゃいけないんだから」いま思うと、よくアルバイトが協力してくれたものだ。さすがに女性陣は遅くならないうちに帰したが。

荷物を出し終わった午後。レジに入らない時間は例のハンディー端末で売り上げデータを確認し、返品を進めた。何でもいいわけではない。「○か月動いていない」の基準は棚によって変わるし、売れてなくても残すべき本がある。報奨金(全店舗の売上合計が一定数を上回ると版元から出る)や買い切りなどの理由で返せないものも少なくない。

無造作に本を抜き、データを読む。イーストプレスから出ている「あたりまえを疑う勇気」だ。私が仕入れて一冊差しておいたのだが、半年近く売れていない。一度返してまた入れるか? 棚卸業者に支払うお金は一冊いくらだから、店の在庫を少なくするに越したことはない。

ふと頭の中にある文章が浮かんだ。「志を持って何かに熱中していたり、一生懸命になっていたりする人を、『意識高い』と言ってバカにするのは間違っている」たしかこの本に書かれていたはずだ。捲ってみる。36ページにあった。励まされた記憶が蘇る。あとは何だっけ? 

見つけた。91ページ。「本って、他人の人生を、自分の人生に取り込めるじゃないですか。そういう意味では、寿命が延びたのと同じ効果があると思うんです」まさしく。読んだのは3年以上前。覚えているものだ。

終盤にも赤線を引いた箇所があった。そうここ。199ページ。「一〇〇点満点の本ってありませんよね。半分いいことが書いてあったら上出来かなって」「すべていいと思うのは宗教の信者ですよ」心の中で快哉を叫んだ。勧めたい。もっと多くの人に読んで欲しい。かつてショーペンハウエルは「読書とは他人の頭で考えてもらうこと」と看破した。一理ある。だが必ずしも正解ではない。本の内容によっては己の頭で考え、情報に流されず、何が正しいかを主体的に吟味する姿勢を育むきっかけになる。

事務所へ入り、パソコンの前に座る。「それ返すんですか?」学参担当の彼が後ろを通った。「いや注文して面陳する」「へ? いまは数を減らす時じゃないんですか?」「それはそれ。これはこれだよ」笑われた。「でも俺そういうの嫌いじゃないっすよ。常識やセオリーに縛られたらつまんないですから」思わず振り返る。「これ読んだ?」「いや」「面白いよ」「ちょっといいすか?」裏表紙からパラパラ捲る。すぐに手が止まった。「買います」

彼の開いたページを覗き見る。「世の中の問題を解決しようと努力をしたときに生まれてくる仕事は『正しい仕事』だ」

あまり知られていない名著を棚に置き、お客さんに紹介する。こういう時だからこそ、生きる活力が沸き上がる魂の一冊を。売り上げはもちろん大切。当たり前。だからこそ疑う。書店員にとっての「正しい仕事」を続けるために。

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