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【あなたへの手紙④】 カウンセラーはわたし自身。書いて、安心して、お腹がすく。

 こんにちは。お元気お過ごしですか。こちらは新緑が美しい季節です。風が爽やかで心地よくて。何をするにも良い季節です。一年中こんな気候ならいいのになぁ、と毎年思ってしまいます。


 私も「本当のことを書きたい」と思っています。「本当のこと」と言葉で言うのは簡単ですが、それが時に難しいのです。「これ、本当の気持ち?」と自分に問いかける。それが出てくるまで、何ページも日記帳に書き続けることもあります。納得するまで書き続けることもします。

本当の気持ちを書くとき、やっぱり本当に思っていることだから、確信して自信もって自分に言いかけるような時もあるし。また、涙がぽろぽろと流れることもあります。そのとき、私は書くのは止めません。泣きながらでも、それを書き続けています。「あ、ほんとうはそう思っているんだね。だいじょうぶ、書き続けてもいいよ。」と声をかけながら。


📖今読んでいる本。

「カウンセラーや周囲との対話を通して、ままならない自己を掘り進めた土門さんの約2年間の記録」もし良かったらあなたも読んでみてくださいね。

まだ途中なのですが、これを読んでいて2つ思ったことがありました。今日はそのお話をさせてください。


■だいじょうぶだ、と気づいた日のこと。

 20代半ばころだったと思います。私の心の状態がちょっと変、というか、なんかおかしいなぁと気づいて。気持ちがいつも落ち込み気味、なんだか涙が止まらない日がある。ややうつ状態だったのだと思います。心療内科だったかな?もう、すっかり忘れてしまいましたが、色々調べて、ここならいいかもと、クリニックを予約しカウンセリングを受けたことを・・・この本を読んで思い出しました。

 待合室には大きな花束が飾られていて、大きな額に入った絵画も飾られていて、これまた大きな座り心地のよいふかふかなソファに座り、ドキドキしながら座っていた私。・・・そういうことはよく覚えています。

診察室に入ると、これまで感じたことない空気感にちょっとビクッとしました。優しく微笑んだ40代後半の男の先生が、私をみて「どうぞ」と言いました。先生の前にある大きな木のテーブル、その前に椅子が用意されていて、私はそこに座りました。

何を話したのかはほとんど記憶に残っていません。けれど先生からの質問と対話のやりとりのなかで、私はだんだんと「なんでここに来ているんだろう」と頭が真っ白になりました。病院来るほどじゃない、カウンセラーさんにお話し聞いてもらうほどでもない。あの日の帰りに感じたことはそれは「わたし、なんとか大丈夫そうだ」と思ったんです。大丈夫というのは、また立ち上がれそうだって分かったんです。病院に行ったことをちょっと後悔というか、「こんな状態でも来てしまって、先生ごめんさい」と感じました。でも、行ったからそのことに気づけたんです。だから、行って良かったんだと思います。


■カウンセラーは私自身。

 私は書くことが好きなのですが、ただ好きだけでなく、もっと深い意味があることに気づきました。それは、カウンセラーになっている私がいるということ。書きながら定点観測している。自分を救えるのは、さいごはやっぱり自分自身じゃないかと思っているからです。

自分の小さな変化を含めた、自分が今感じていること、今考えていること、今思っていることを知ること。いえ、「気づく」と言えるかもしれません。わたしの書くことが=カウンセラーさんに話すことになっていて、それに対して私は丁寧に答える。そして、過去の日記をずっーと読み返して気づいたことは、最後はいつもポジティブに受け止めるか、そこまでいかなくとも、肯定的に受け止める言葉で終わっていること。そのことに気づいたんです。

わたしは、書くことを止めることはできません。無人島に何を持っていくかと聞かれてば、間違いなく、紙とペンと答えます。書かないと私は自分の今が分からなくなってしまう。分からないとたぶん苦しいのです。書いて、ときに泣いて、すっきりする。苦しいこと、辛いこと、プレッシャーやストレスを書きながら、心にあるものをすべてを溶かしていく。書き続けると、最後は気持ちも落ち着いて、今いる自分の場所がわかって、安心するんです。そして、安心したらちゃんとお腹がすきます。


📖夜の大人、朝の子ども。

「カウンセラー」という言葉で、思い出した漫画です。久しぶりにまた読んで、ちょっと涙が出ました。

「しばらくカウンセリングのお世話になった。涙ばかりでるようになり、突然世界に背を向けられたような、誰も味方がいないような気持ちになった。カウンセラーの言葉だけが救いだった。」・・・と「あとがき」のところを読んで、作家さんの思いを知りました。

「夜の日記、朝の返事。夜の大人の愚痴めいた言葉に、朝少しだけ元気になった自分が返事をする。朝の私は子どもの私だ。」・・・私も書いて救われています。だから、同じではないけれど分かりますって心の中で言った。


息子が私の日記ノートを見ている。まだ平仮名しか分からない彼には、ここに何が書かれいるかは分かっていない。そのことにほっとしつつ、私は息子にこう言った。「自分に自分で「大丈夫だよー」って思うために書くんだよ」「だから○○○くんも、しんどくなったら書くといいかもねー!」と明るく言った。
息子から返事はなかった。けれど、この言葉は自分のために言っているようにも思えた。

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今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!またお手紙書きます。