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【本とわたし】  「人生の冬は姿を変えた“春”」という言葉に出会えて思うこと。

本を読んでいると、ある言葉が「光って見える」とき ということがある。

「冬は厳しいだけではない。まだ見ることのない、しかし、確実な春の訪れを告げているという。人生の冬を君もいつか経験する。そのときにこの「偈(うた)」を思い出してほしい。冬は、姿を変えた春なのだ。

読み終わらない本

人生の中にも季節がある。あなたは今、どの季節を生きていますか。自分の人生を振り返ってみると、

ーー 私にもっとも大事なことを教えてくれたのは「すべて冬」であったと憶う。

今日は私が経験した3回の人生の冬についてのお話。どうぞお付き合いください。


◆20代 働かなければという焦りの冬。


1回目にそれがあったのは20代半ばのころ。航空会社を退職したあとだった。憧れて叶えた職業を手放すことへの気持ちもあったが、でも、当時もうこれ以上は限界だと感じていた。

「君のような賢い女性がいなくなるのはとても残念だ。」と何度かフライトをご一緒したキャプテンから、ラストフライトを控えた前日に言われた言葉が、なぜか今でも耳に残っている。

「賢い? いえ、賢くないですよ」と思っていたし、キャプテンからまさかそういう言葉を聞けるなんて、思いもよらない言葉だった。

とにかく私はここから一旦離れたかった。しかし離れてみたらみたで、本当は休みたいのになぜか心が落ち着かなかった。

ーー 当時の私は何かに焦っていた。

家にいることの申し訳なさ。社会から離れることへの恐怖と不安。当時、同年代の友人はみんな仕事をしていた。今思えば、20代らしい悩みで。休んでいたけど、心から休めてはいなかった。

ただ、何か学びたいと・・・社会人入学の受け入れている通信制の短大に入学した。きちんと単位を取得しテストを受け、時々あった公開授業にも通った。2年で無事に卒業した。卒業式には行ったか、行かなかったか。それすらも記憶はない。しかしこれだけは覚えている。

ーー 自分よりもずっと年上の方々の「学ぼう」とする姿勢には、大きな刺激を受けた。

何か次の仕事を探せねば・・・と焦りから、1年も満たないうちにすぐに仕事を見つけ履歴書を送る。面接を受ける。合格する。働きたいと思った会社ですぐに働くことができた。なんとも幸運なわたしだった。けれども、入ってから気づく。

ーー ここではないという違和感みたいなものを、なんとなく心の奥で感じていた。

次へ行くためには、通らなければならない道がある




◆30代前半、また働きたくなったら働こうと思た冬。

2回目は、30代前半。
わたしは身体を壊した。もっと正確には「声」がでなくなった。それまでに、予兆は出ていたのだろうと思う。けれど当時の私は必死に働いていた。と同時に追い詰められて、なんかイライラしていた。周りに当たり散らしていた。(ごめんなさい・・・近くにいた人はきっと迷惑だったはず)

辞めるとき上層部のリーダーと1対1の面談があった。「あなたのような存在が居なくなるのはとても残念。何かの形で残れる方法はないか模索したい。」と言われた。でもわたしの心は疲弊していた。もう、限界だった。すべてに。だからNOと言った。言えた。

最終出勤を終えて、今日からやっと休める・・・と思った。当時の私は、なんだか重荷をすべて下ろしたあとの、清々しい気持ちだった。

太陽が出たら目を覚まし、夜になったら眠る。規則正しい生活を送った。何かをしなければならないこともない。ほんとうに好きなように暮らした。

ちょっとだけ丁寧につくる食事。普段できないところの掃除。毎日の洗濯も心を込めてみる。太陽の匂いがするシーツを抱きしめる。ベッドメイキングが好きになったのもこの頃。風が心地よく吹く部屋に寝転がりよく昼寝もした。

家にいる時間が多いので、自然と暮らしに目が向いていく。季節感のある食事にお弁当作り。整理整頓、食器棚の整理、キッチン周りをどうやったら使いやすくなるか考えたり。要らないものを手放す断捨離もした。

季節とともに生きる。
このころ「暮らすこと」を心から楽しんでいた。


 
ーー「また働きたくなったら働こう」そう思った。



この頃のわたしは、よく空を見上げていた。雲の流れとか。雲の形とか見るのが好きだったし。ま、それは昔からだけれど。

身体にあたる風を感じていた、そのことに更に敏感になっていた。
あ、もうすぐ夏になるとか、そろそろ秋がくるとか。天気予報よりも肌に感じる季節を大事にした。

都会なのでそこまでキレイに見れなかったけれど、
夜になると、よく月や星を眺めた。ま、これも、昔からだけれどね。

日記を書いて、時々ブログ書いて、時々本を読んで。ラジオを聞いて。
そんな暮らし。

だからこの頃は、暮らしの本や雑誌を夢中になってを読んだ。
*暮しの手帖と出会ったのもこの頃。松浦弥太郎さんの本を夢中で読んだ。

こころの奥のどこかで「これから私どうなっていくんだろう・・・」と、ときどき思いを巡らせながら。

ーー そこには20代のときにあった焦りや不安よりは、私、これからどうして生きていきたいんだろう、という気持ちだった。

人生の季節を、味わい尽くす



◆30代後半 突然の冬。

3回目は突然やってきた。

ーー夫婦というのは運命共同体。夫の運命を、妻も背負うことになる。

夫がうつ病と診断された。2017年3月12日のこと。夜18時過ぎ、心療内科から帰宅した夫はダイニングテーブルの椅子に座り泣いていた。その姿を見つめる私。夫の見つめる視線の先に見える都会の夜景が、これまでとは全く違う景色に見えた夜。子どもが産まれ生後半年のことだった。

それからおおよそ2年は、私たちはどのように暮らしていたのか、日々のことは、ここでは語り尽くせないものがある。言葉にできないものもある。

ただ少しだけ言葉にすることができるとしたら、描いていた未来のすべてが「ガシャン」音を立てすべて砕け散った。

ガラスの破片が私の足元に落ちている。赤ちゃんをこの手に抱えながら、立ち尽くしている私がいた。


ーー「泣いてください。いっぱい泣いてください。」
ある方に、そう、言われたことがあった。
私は、この言葉に本当に救われた。


私たちは暗闇のなかにいた。これからどうしたら良いのか。どこへ向かえばいいのか。わからなかった。何度泣いたことだろう。夫の前で泣けなかった時はいつもお風呂でひとり泣いた。シャワーを浴びながら、静かに泣いた。あの頃のわたしは、泣くことでしか前に進めなかった。


ーー「赤ちゃんだった息子の存在は、ひとつの希望だった。」

赤ちゃんだった息子の笑顔や笑い声、1ヶ月ごとに成長していく息子の姿は、わたしたちに本当に多くの希望を与えてくれた。

毎日夫のいる生活。ほぼ寝ている状態。1年経った頃、わたしは夫を変えようとするのをやめた。夫を丸ごと受け止めることを決心した。あれこれ文句も、要求するのもやめた。服用している薬の数も、薬の種類も、病気のことも、もう、何も言わない。

ーー変わるのは夫ではなく、私だ、と悟った。
あるがままのあなたを受け止めます。


私はずっと光があると信じ続けた。信じるしかなかった。暗闇であるときこそ、微かに輝く光に気づけるのだと思う。そして、私はそれを見つけた。私はそれを掴んだ。掴んだとき、夫は「なんてことをしたんだ」と頭を抱えていた。

今でも鮮明に記憶している。帰宅した夫にその話をしたとき、夫が丸椅子に座り頭を抱えていたのを。でも、私は自分を信じ続けた。絶対に大丈夫。

ーーここから一歩踏み出すのは、私が変わること。私が行動していくしかないのだ、と思った。そう、わたしは強いんだから。

冬があるから、春の素晴らしさを感じる



◆冬は姿を変えた「春」なのだ。


冬 キビシ
春ヲ含ミテ

読み終わらない本 P29


「冬は厳しいだけではない。まだ見ることのない、しかし、確実な春の訪れを告げているという。人生の冬を君もいつか経験する。そのときにこの「偈(うた)」を思い出してほしい。冬は、姿を変えた春なのだ。」



本当にそうだ、とわたしも思う。人生の冬はある角度から見たら、不安や悲しみ、なのかもしれない。しかし、もっと広い視野で見てみると春の予感を匂わせる「希望」なのだとおもう。


次に迎える春に向けて、あなたの人生に、花が咲かせるための、温かな日差しを差し込むための、必要な冬なのだ。

生きていれば、必ず人生の冬が訪れる。それはすべて必要な出来事。
そして振り返った時、あのときがあったから、今の、この、わたしがいる。


ーー何かひとつでも欠けていたのなら、今のこのわたしではなく、別の私になっていた
んだろう。

だから、すべての冬に感謝。
すべての冬にありがとう。

これからも人生の季節は巡る


今週も小さな幸せに「気づき」ますように。
「ある」ことに目を向けられますように。
大切な人を「大切に」できますように。
今日も読んでくれて、ありがとうございます!


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