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大河「どうする家康」の応援のために 徳川家康について約二年かけて歴史関係には全く疎いな…

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大河「どうする家康」の応援のために 徳川家康について約二年かけて歴史関係には全く疎いながらも様々な書籍から幅広く学んで、家康という「人」としての人物像にせまりたいと勉強しました。今は松本潤さんの創り出すエンタメをより楽しめるように勉強を続けています。

最近の記事

舞台美術とは(上)~伊藤憙朔氏・堀尾幸男氏の言葉を中心に

シェークスピアは謳った。 「この世はすべて舞台なり、男も女も、みな役者」 と。どの人の人生もまるで劇のよう。人間は、様々な心模様を広げながら日々を暮らしている。 人の心が描く無数のドラマ、この世の不思議を凝縮した演劇の世界には、その世界観を支える「舞台美術」が存在する。 地球上にこんな世界が創作され、存在していたんだ。。まだまだ私は世界が残している至宝に触れていない、もっと知りたい!でないともったいない! 舞台美術家・堀尾幸男さんの作品をみて、最初に心に湧きあがった感情で

    • 演出家・蜷川幸雄さんの歩み&演技指導と変移

      「人格は地の子らの最高の幸福であるというゲーテの言葉ほど、幸福についての完全な定義はない。幸福になるということは人格になるということである。<中略> 機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。 歌わぬ詩人というものは真の詩人ではない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではない。 幸福は表現的なものである。鳥が歌うが如くおのずから外に現れて、他の人を幸福にするものが真の幸福である。」 『人生論ノート』三木清著・新潮文庫p21

      • ドストエフスキーの人生&野田秀樹さんのネット考

         ドストエフスキーは日本において周期的に読まれてきた。いわばブームが定期的に起きる人気作家だ。きまって社会が混とんとしている時であり、また読まれているとすれば今はよい時代とはいえないであろう。 彼も作家としては成長しながら作品を書いてきたのであり、しかるべき計画表や構想があって順々に書かれているのではないことは明記すべきである。 私たちは作者の死後130年の時を経て彼の人生や作品を俯瞰的に見渡すことができるのであるし、必然的な流れの上に彼の作品を置きがちであるが彼の人生は

        • 野田秀樹さんのワークッショップ(創作の現場)への想い

          「野田秀樹の作品世界はいってみれば、演劇の詩である。 それは観念から生まれ、生身の肉体で演じられることによって真の詩となる。 それゆえに紙によって書かれた戯曲を黙読するだけではコトバは飛翔しない。 舞台に立った役者が祈りをこめて懸命に発語したとき、はじめて詩のコトバとして動きだす。 そのことをもっとも知っているのは、ほかならぬ野田秀樹自身である。 舞台で転落して腎臓が破れても、右目をある日失明しても、役者をやめようとは露ほども思わなかった。 「演劇は詩と肉体の交点から生まれ

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          野田秀樹さんの歩み~幼少期の記憶

          天才にして孤独の詩人・石川啄木の小説に『雲は天才である』がある。 我優れたりと傲慢ともとれるような自負心の高い人たちに囲まれて、石川啄木は雲と語り合う時間にこそ、自然のなかに身をおく時間にこそ, 価値を見出していたのかもしれないと思う一書である。 しかし野田秀樹さんのこれまでの歩みをみると、彼はそうではない。 人のなかで生き、自ら抱える孤独や不安をも、言葉や芸術に昇華し、人と人の繋がりの場所を彼の人生の舞台として生きてきたように思える。 人のなかで葛藤し、もがき、光をみつ

          野田秀樹さんの歩み~幼少期の記憶

          建築家までの道程~田根剛さんの語録を読んで

          「植物は栽培によってつくられ、人間は教育によってつくられる。」『エミール(上)』ルソー著・岩波文庫p24 ルソーは人間形成において教育がどれほど大切か、教育の重要性を説いたが、人物を知る上で、その人がどのような教育、経験を経てきたかを知ることはとても大事だと考えている。人格形成の骨格ともいえる教育、大事である。 田根剛さんの作品を写真でみた時に、それを一番に感じ、彼の今までを知りたいと思った。 東京・六本木での松本潤さんの展覧会で、田根剛さんとのインスタントレーションの中

          建築家までの道程~田根剛さんの語録を読んで

          家康への道~大坂の陣の描き方・山岡荘八氏の書籍より

          吉川英治氏『宮本武蔵』の最後の章にこのような名文がある。 「波騒(なみざい)は世の常である。 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。 けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。 水の深さを。」 海上が荒れすさぶような時代にあって、ある者は波を利用しうまく立ち回り生きていて、それが上手く生きているようで、歯がゆいような想いをする者もあろう。 しかし、深く深く荘厳に静まり、いかなる芥(あくた)も静かに浄化していく深海の心を持つ者こそが、本当に深い人生を生きている、満足の最

          家康への道~大坂の陣の描き方・山岡荘八氏の書籍より

          脚本家・古沢良太さん語録からみる世界観&松本潤展覧会へ東京旅

          「海洋よりも大いなる光景、それは天空である。  天空よりも壮大な光景、それは実に人の魂の内奥である」 私が最も愛する文豪・ユゴーがその著『レ・ミゼラブル』で、ジャン・ヴァルジャンに語らせたこの言葉は、人間の心の大きさと、どれだけ巨大な変化をもたらすかを現代に伝えている。 その言葉のひとつの証左でもあるように思えた作品が「どうする家康」の家康の人生だったように思う。 どうすると自身に問い続け、模索し、闘争し続けた家康の人生。 人質として暮らしていた時代から、数々の戦を越え、

          脚本家・古沢良太さん語録からみる世界観&松本潤展覧会へ東京旅

          ヘラクレイトス・パンタレイ考~井田幸昌さん参加の松本潤展覧会を前に

           ヘラクレイトスは「万物は流転する」「万物の原理は火である」と言った。これは生成消滅を繰り返す生死流転の世の有り様を述べたのであろう。東洋思想の諸行無常の精神と一致する。しかし、それは万物の皮相的側面であり、その奥底には確かなロゴス(理)、法があると彼は確信している。流転の奥底にあるものに彼の目は向けられていた。ピュタゴラスに反発したのは、人間の浅い智で世の中を見ていく主観的態度にエゴを感じたからであろう。このピュタゴラス的精神は現代にまで連なる宿業的精神なのだ。  また彼は

          ヘラクレイトス・パンタレイ考~井田幸昌さん参加の松本潤展覧会を前に

          家康への道~穴山梅雪役田辺誠一さんのトークショー(メモ記録)

          「心には寛ぎが与えられなければならぬ。 心は栄養によって、前よりも一層よき鋭さを増すであろう。 肥えた畑は酷使してはいけない。つまり、一度も休耕しないで収穫だけを上げるならば、畑はたちまち不毛の地に化するであろう。 それと同じように心も休みなく働くと、その活力をくじかれるであろうが、少しでも解放されて休養すると、再び活力を取り戻すであろう。 心が休みなく働くことから生じるものは、或る種の無気力と倦怠感である。」『人生の短さについて』セネカ著、岩波文庫 人にはどれほど寛ぎが必

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          家康への道~文武への貢献&閑室元佶について

          「大いなる誠実な努力も ただたゆまず、しずかに続けられるうちに 年がくれ 年があけ いつの日か晴れやかに日の目を見る 芸術も同じだ また学問も しずかに まじめに はぐくまれ ついには永遠に模範的なものが すべての者の財産となる」 (ゲーテ全集) 川の流れの如く、自分の可能性を開くために不断なき努力をし続けた者が生み出すもののみが、永遠に輝くことをゲーテは伝えたかったのであろうか。 透徹した信念の美が芸術とするなら、その輝きの源は「徹している」ことにありと思う。 家康とい

          家康への道~文武への貢献&閑室元佶について

          家康への道~庶民からみた関ケ原&家康が「江戸」の名に込めたもの

          中国最古の詩集である『詩経』(紀元前11世紀~7世紀)の大序にこうある。 「詩は志の之(ゆ)く所なり  心に在るを志と為し  言に発するを詩と為す」(『詩経』p27) 自分が本当に言いたいこと、歌いたいことを表現する、それを突き動かしているのは「志」であり、詩とは「心」の世界の表現であることを、今も伝えてくれている。 詩以外の、表現といわれる万般に通じることでもあるように思う。 「志」、その熱い心を一番感じる日本の歴史小説家は、私にとってはやはり吉川英治氏であり、私が今回

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          家康への道~石川数正出奔を吉川英治氏はどう描いたか

          その書は、こうはじまる。 「ーー春の空の下だが、 美濃、尾張のさかい、木曽川のながれも、ひろい広野も、あらしの前の静けさに似て、耕す人の影も、旅人のすがたも、人ッ子ひとり、見えなかった。 妙な平和である。 蝶や小鳥には、ありのままな天地の春だったが、人間たちには、この真昼も、何か、不気味なものがあるにちがいない。 平和の偽もの、偽の平和ーと、まったく影をひそめてしまった庶民たちの猜疑心が、らんらんたる太陽一つを、空におきのこして、なおさら、この地上を、わびしいものにしていた。

          家康への道~石川数正出奔を吉川英治氏はどう描いたか

          寄り道~宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」感想(ネタバレ)

          酷暑が続くなか、コロナも身近で増えて人手不足が加速し、仕事が激務のなか、家でも介護が待っているのだけれど 少しだけ気分転換をしたくて、ずっと観たかった宮崎駿さんの「君たちはどう生きるか」を鑑賞。 映画館は子どもの時に福井でいとこたちとドラえもんの映画をみたこと、そこから勉強の日々だったので行ってなくて、観てなくて、次にみた映画は「タイタニック」。そこからは嵐くんの出る映画は必ずみるようにはしてきたが、とにかく介護で忙しく、父母がデイケアに行っているつかの間の、その合間に息

          寄り道~宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」感想(ネタバレ)

          家康への道~家康にとっての学問

          ソクラテスは語った。 「無知とは、自ら知らざることを知れりと信ずることである」(『ソクラテスの弁明』岩波文庫p36 不正な死刑の宣告を受けてなお、人類のある種の傲慢さ、無知への警鐘を説き、真理を求め続けることを訴えつづけたソクラテス。 彼の「勉学は光であり、無学は闇である」との言葉は、何千年経った今も、人類の課題として、目の前にあり、無知から生む惨劇を無くしたいとの古今東西の英知の人たちの努力を思う。 その英知を知ろうと、学問を求め続けた人物とは。戦国時代の信長・秀吉・家康

          家康への道~家康にとっての学問

          家康への道~碁と将棋の活用術

          こんなところまで、家康は!と驚かされることが、京都にいても多々ある。 茶のことを学ぼうと訪れた大徳寺のある坊にて、徳川家康が使ったとされる将棋の盤をみる機会があった。その時からいつか、徳川家康にとっての囲碁・将棋について学ぼうと思っていたが、ここで改めて彼にとっての囲碁・将棋を簡単に考察したい。 戦国大名が囲碁将棋を愛好していたことは多くの居城跡から盤や石、駒が出土していることからもわかり、その範囲は近畿や東海、北陸のみならず薩摩の島津の家臣の記録にも残っていたりと、広く

          家康への道~碁と将棋の活用術