ドストエフスキーの人生&野田秀樹さんのネット考

 ドストエフスキーは日本において周期的に読まれてきた。いわばブームが定期的に起きる人気作家だ。きまって社会が混とんとしている時であり、また読まれているとすれば今はよい時代とはいえないであろう。

彼も作家としては成長しながら作品を書いてきたのであり、しかるべき計画表や構想があって順々に書かれているのではないことは明記すべきである。

私たちは作者の死後130年の時を経て彼の人生や作品を俯瞰的に見渡すことができるのであるし、必然的な流れの上に彼の作品を置きがちであるが彼の人生はそんなに直線的なものではなかったことを忘れまい。

 話は長くなるので所感だけを述べねばならないが、彼の作品にはディケンズの影響が多くあることを指摘したい。都会の場末に下層民の物語が描かれる様は両者に共通している、ドストエフスキーはディケンズのような小説を書きたいと願って若い頃から取り組んできた。その後、彼の人生体験とそこから発展してきた彼の思想が小説を大きく変化させてきた。

 彼の小説はまさしく思想小説である。
小林秀雄氏が述べているように作者の体験だけをなぞらえる小説であったならばこれほど永く、また広範囲に読まれることはなかったであろう。

『罪と罰』のラスコーリニコフにせよ、『カラマーゾフの兄弟』のイワンにせよ、思想の体現者として描かれているのであって犯罪者の報告書では決してない。
思想というものの怖さを私たちは知る。これは思想的体験である。

 最後にどうしても書いておきたいが、犯罪が蔓延しているかの如く報道がなされるが、悪しき思想の蔓延こそが真に恐れるべきことである。
『カラマーゾフの兄弟』のイワンが妄想する「神も不死もなければすべては許される」という思想は悪魔的思想なのであり、この思想に私たちは打ち克つ思想を持たねばならない。
悪魔はいままさにわたしたちの身近に、いな、わたしたちの心の中に巣食おうとして存在しているのかもしれない。そういう意味においてドストフスキー作品に触れることは自分の中の悪魔との戦いになることを明記しておきたい。


ーー以上、今月のnote作成にあたり、どうしても時間がなく、兄に少しドストフスキー作品について思うことを短くてもいいから書いてほしいとお願いしたところ、ふらりと現れ、これだけ書いて仕事に戻ってしまった。彼もまた社員が次々と退職し、支店長の仕事が増えてしまった。さすがにこれでは短いので、ここからは、私なりに短時間ながらも、今考えていることをまとめたい。

ドストフスキー作品は読んだことがないけれど読もうかと私が話したとき(私はロシア文学はトルストイ派であったため未読)
「ドストフスキーを読むなら、アランの『幸福論』を同時に読んだ方が心を保てる」
的なことを兄に言われた。

フランスの哲学者アラン(1868~1951年)、
「現代における最高のそして最後のモラリスト」と評される人物で83歳の生涯を終えるまで、人間性と人間の生き方を探究した思想家である。
高校時代に恩師ラーニャとの出会いによって、哲学に目覚め、24歳で哲学の高校の教員となり、65歳の定年退職まで全うし、堅実に生き抜いた人物である。
その教員時代、そんな生徒にも「君はやれば、必ずやれるはずだ」と励まし、生徒の人格を尊重し「叱る」ことは一切しなかった人物である。自己の哲学を実践した人物ともいえる。

アランの思想的な立場は、デカルトの流れをくみ、「高邁な心」を最高の価値とするヒューマニズムである。
では、彼にとって神とはどんな存在だったのであろうか。
彼は、”神とは「完全な人間」にほかならぬ”と思索した。何か特別な天上に存在するものではなく、よき人格をもつ人間そのものに存在するとみたのである。

では、ドストフスキーという、凄まじいまでの苦難の連続の人生の彼が苦悩し、戦っていたものはなんだったのであろうか。

幼少期、気難しいロシアの軍医の父のもとで育ち、母は早くに亡くなっている。よりよい教育を受けさせたいとの父の考えから、寄宿舎の学校へ。そこであらゆる文学を読む。父親はその頃、領主である彼の傲慢な所業をよく思わない領地の農民により暗殺されるも、事故死として扱われた。

一度は公職に就くも、文学で生きようと職を辞し、ひたすら文学を書きながらも、彼は賭博や遊蕩の為に常に金欠で、借金を重ねていた。

同時に、ペテルブルグという都会にあって、虐げられた人々の運命に無関心ではいられず、正義感強き青年でもあった彼は、当時の社会主義思想の洗礼を受け、1847年頃から、革命家ペトラシェフスキーのサークルに出席しはじめる。
善良な人々がどうしてこのようなどん底の悲惨の中で苦しまなくてはいけないのか、どうして民衆は不幸なのか。その不幸の原因を探究し、彼なりに政治革命の道を選び取り、社会の革命を目指したのある。
しかし1849年、ドストフスキーたちは、国家体制転覆を謀る政治犯として逮捕され、要塞監獄に8カ月勾留。その後、裁判に連れ出され、「銃殺刑」を言い渡される。
28歳の彼は、セミョーノフ練兵場で銃口の前に立つ。彼は晩年の回想でこう述べている。
「我々、ペトラシェフスキー・サークルの同志は、処刑場に立ち、下された判決を聞き終えたが、後悔の念はいささかもなかった。我々の大多数の者が、自分の信念を否定することは恥辱と思った、そう断言しても間違っていないと思う」

しかしいざ死刑執行の前、仲間が「キリストのもとへ召される」とつぶやくと、彼は「我等は塵となる」と返し、頭巾が頭にかぶされる。その瞬間、死刑を減刑する皇帝の勅書が読み上げられたのである。
じつはすでにドストフスキーらの刑は、シベリア流刑と決まっていたのであるが、皇帝の慈悲によって、死刑を免じられたのだと強調するために、模擬死刑という芝居が打たれたのだった。

彼は流刑前に兄に手紙でこう綴る。
「僕は今日、45分間、死に直面して、死を観念していたのですし、最早これまでというところまで追い詰められていたのです。
ところが今、もう一度生きているのです。(中略)過去を振り返ると、どんなに多くの時間が浪費され、迷い、過ち、怠惰、無能な生活の中に過ごされ、時間を軽視して、自分の心と精神に反することを幾たび行ったかを考えると、心臓からどくどくと血が流れるような思いです。
生命は天からの贈り物ですし、生命は幸せです。一分が幸せの一世紀になりえるのです。兄さん、僕は希望を失わないで、純真な心を保ち続けます。」
『ドストフスキー』ヴィジル・タナズ著・祥伝社新書p71

人生を顧みて、まったく後悔がなかったわけではないが、心が清められたような強さをもったのである。

そして1850年から4年間、シベリアのオムスクの監獄へ送られ、さらに刑期を終えたあと、5年間をシベリアにて兵役につくのである。
熾烈な環境下にあっても、彼は獄中で出会った人々のそれぞれの人生経験を知り、その後の作品に生かすのである。

その後も持病の癲癇の発作や、子どもの死など、苦悩の連続の人生のなかでも、『罪と罰』が特に顕著であるが、自分が納得のいく作品を書く事に心身がすりへるほど必死に取り組んだ。それはこの『カラマーゾフの兄弟』もである。

彼は『カラマーゾフの兄弟』をほぼ書き終えた頃、手紙にこう記している。
「人類は、今日まで学問や芸術で説き得たところより遥かに多くの事を知っている。自分が今日まで作家として説き得たものより、ずっと秘めやかな事柄が、自分のうちにあるのを感じています。」
p224『ドストフスキー』小林秀雄著

彼は、何を求め続けたのだろうか。秘めやかな事とは。
小林秀雄氏はこう分析した。

「書いても書いても、彼の心のうちに問題が残った。汲み尽くす事が出来ぬと知れば知るほど、彼はいよいよこの問題に固執した、生活と痛烈に戦った人間に特有な一種の運命観を提さげて。其処にはキリストが立っていた。」

その証拠として、彼はシベリア流刑の後の手紙の文章を引用している。
「人々は『ひからびた草の様に』信仰に飢えるものだ、そして遂には信仰を見つけ出すものだ、と。
何故かというと不幸のなかで、真理は見え始めるものだからです。

僕自身はと云えば、僕は時代の子、不信と懐疑の子だと言えます。
今までそうだったし、死ぬまできっとそうでしょう。この信仰への飢えが、今までどんなに僕を苦しめて来たか、今も苦しめているか。
飢えが心中で強くなればなるほど、いよいよ反証の方を掴む事になる。」

彼はどうして不条理な不幸がこの世にあまりにも存在するのか、そしてキリストの存在とは、その答えを求めながら、『カラマーゾフの兄弟』を書き終えた後も、死の瞬間まで、その答えをもがき続けながら、それでも「キリストの側にいたい」と苦悩しながら、生きることと戦った人間だったように思う。
私は思う。
彼が求め続けたもの、それは、「真理」だったのではないか。
最初に私の兄の書いたような「神も死も~」という思考もまた、彼の葛藤の産物に思えるのだ。

『カラマーゾフの兄弟』は探偵小説とする見方もあるが、実は父親殺しの犯人を探すといった小説というよりも、

人間が未だ模索し、見いだすことができずにいる「真理」を探究する作品なのかもしれない。
前出したアランは、神を「完全なる人間にほかならぬ」としたが、ドストフスキーがその死の直前まで求め続けた答えは、今もなお、人類も迷いながらも何かをそれぞれに信じて生きていて、それを大自然が悠々とみているような光景にも思える。

野田秀樹さんが、この『カラマーゾフの兄弟』を日本の、現代の世情に何かテーマをもって挑まれて、書かれていると聞く。
しかも「僕の年齢でないと書けないことをかいている」と(毎日新聞記事より)。
そのテーマは一体なんだろうか。
その題名「正三角関係」から私も推測してみる。
正三角形は、バランスよく均等に成り立っている世界としたら、その姿は互いに均等に存在し、調和してる世界といえまいか。

キーワードは「調和」なのかも?
もしも私がこの作品を描くとしたら、そして今の世に訴えるとしたら、
この「神(真理)と、人間の心と、現実(現象)」その3つが調和して成り立っている世界がいかに難しいかを描くかもしれない。
単なる恋愛関係というよりは、
人間が求める調和の世界の実体のことを「正三角関係」として指しているのではないか。

いや、そもそも『カラマーゾフの兄弟』は未読のまま、舞台を観たいと考えており、今はドストフスキーの生い立ちと、思想遍歴などを読んでいる段階での、これはあくまでも私の浅薄な予想ではあるが、
野田秀樹さんは仮に恋人をめぐる親子関係を描くとしても、もっと奥深い人間の心理や、苦悩を描くように思えてならない。

戦争が起こっている状態は、上の3点から考えるならば、かなりいびつな三角形であるように思うし、
AIで人間が他の2点を超えようとする領域にまでいってることは、これまた一点が突出していて、いびつな形なのかもしれない。
現象を平均的にすることを優先しすぎて、人間の心や真理をおろそかにした社会もまたいびつであることは20世紀が証明している。
「調和」というものが「安定」に繋がるキーワードの一つと考える私は、この正三角関係にその3つを考えたりしている。

野田秀樹さんは一体どんなテーマをもって、あの大情熱で私たちにぶつかってくるのだろうか。

長谷部浩さんは著書『野田秀樹論』でこう書いている。
「野田秀樹は、伝統主義的なナショナリストでもなければ、無責任なコスモポリタンでもない。まして、政治的なプロパガンダ劇の作者でもない。
野田が試みるのは、この地球に生きる人々にとって、自由と人間性を確保するための困難な闘いの全面的展開であった。

寛容なリベラリストとして、みずからの立場を守ったまま、ポリティカル・コレクトネスを主張するだけでは、事態は何も変わらない。

いかなる肯定的な絶対もまたたくまに無化される時代にあって、野田の才能が傑出していればいるほど、彼に求められる未来への設計図は、複雑さを増している。

混迷する現在を演劇人として引き受けることの重みに、野田秀樹は全力をあげて応えようとしている。」p244

野田さんの作品が本当に楽しみであるし、どんな感情に自分がなるのかも、心身をフラットにして受け止めたいと思う。混迷の時代に、自分は何を大事としていくか。
エンタメはいつも楽しくもあり切なくもあり、あらゆる喜怒哀楽にのせて、大切なことを伝えにきてくれているように思う。

私はエンタメは「風」に似ているなと思っている。心が閉塞しそうなときに、窓を開けると涼やかな空気が入ってきて心を開放してくれる。一瞬巻き起こる風もあれば、突風もあろう。嵐もあるかもしれない。
その風を受けたあとに、心の大地が素敵な風景になっているといいなと思う。それは自分の仕事にも感じていることである。

誰かが、誰かの為に起こしてくれる風は、心に届く優しいものであると思う。

最後に野田秀樹さんがこの作品を発表した折に、この作品を漫画やネットで「知ったつもり」になることが一番危険と書かれていた。

それの依処となる彼の言葉、考えを本から引用したい。

「常に文明の技術とともに我々の脳っていうのは変わっていくわけで、確かに間違いなく違うことが起き始めている。(中略)
インターネットの中で起きていることは、かなり俺らの位相を変えてる。
それまで言葉については公に出す時には責任を持つという約束事ができていたけれど、今はインターネットの匿名性によって責任を持たない言葉が中傷を含めて飛び交っている。
おそらく人類史上初めて、それが犯罪にもならず、嘘も書ける状況が起こっている。
昔は書かれた言葉は歴史も含めて重要なもので、間違いないもにに近い、と思われてたんだけど、今は書かれたものですら非常に危ない。
それに事典という名前でしょ、「ウィキペディア」って。
事典というのは、昔であれば絶対に間違いが許されなかったし、出版社の編集もものすごく気を遣って作っていた。

しかし、誰れも書き込み自由な「ウィキペディア」を観てると、もちろん、どれが信ぴょう性があることかとか一応チェックはするけれども、
そこに、インターネットの知識の元を求め始めることが非常におそろしいことのような気がするんだよね。
人間が今まで作ってきたものを大きく変えていくような。
我々の世代のように本を尊敬していた時代っていうのは、やっぱりものすごく時間をかけてちゃんと作られてたんだけど、今は、ちゃんと作ろうとすること自体が馬鹿みたいに、そういうことになってるんじゃないかなぁと思う。」p150『総特集・野田秀樹』河出書房新社刊

「インターネットとやらが、流行りだした頃から、文化というものが怪しくなっているのを感じていた。
ネット上に飛び交う、情報まがいの批評、或いは批評まがいの情報を見ると、一体、誰が何の根拠を持って、何を良いとか悪いとか言っているのか、ちっともわからないのである。(中略)

「匿名性」を使って、あやふやなものを、いつまでも創っている、この日本の文化状況から、演劇の現場を取り戻したい。「実名」で発信する世界に戻したい。
演劇は、昔、「演劇の現場」だけから生まれていたのだ。こんな当たり前のことを、わざわざ声高にしゃべらなくてはいけない所に、今の文化の危うさがある。」

ネットが信ぴょう性に乏しく、あさましい人間もいることは承知であるが、やはりそこに対して諦観していてはいけないのだろう。
こんな時代だからこそ、あくまでも馬鹿みたいに、ちゃんとした書物から勉強しぬきたいとも思う。そしてもちろん近代文明も上手に使いながら、しかしそれは、人に益するような形で利用したいし、聡明にかつ厳しく対応していきたいと思う。
匿名性が怖いことは、よく感じている。70歳の野田さんの「演劇の現場」で作ろうとしておられることをしっかりと、真剣に、丁寧に受け止めていきたいと思う。

そしてまた、ウィキペディアやネット情報に頼って、それで分かった気になる危うさにも気を付けていきたい。なにかを調べる、自発的に動く、その心身の自発性、自主性までもネットに奪われないようにしなくてはと思う。
感動は、それをつかむ過程にあったり、苦労のなかから生まれるはずだ。
だからこそ、舞台の発表があったときにあのような注意書きをされたのかもしれない。

野田さんの視点は面白くて、もう人が慣れ切ってしまったような、慣れてはいけないことに警鐘をならしてくれているようで、心が揺さぶられる。
演劇に、人間に、ここまでの情熱をもっておられる方の人生や考え方にふれられていることは、自分の財産だと思っている。

最後にパスカルの言葉を。
「人間はひとつの蘆(roseau pensant)、自然のうち最も脆きものに過ぎない。しかし彼は考える蘆である。
彼を潰すためには全体の宇宙が武装するを要しない。
ひとつの蒸気、ひとつの水滴も彼を殺すには十分である。
しかしながら。宇宙が彼を潰すような場合にも、人間は彼を殺すところのものよりもなお遥かに尊いであろう。
何故なら彼は死ぬること、そして宇宙の彼にまさっていることを識っており、これに反して宇宙はそれについて何事も識らぬからである」
『パスカルにおける人間の研究』三木清著・岩波文庫p40

優れたる存在性を知る人間、そしてその人間のために闘う野田秀樹さんの舞台の成功を願いつつ。

(余談)
先月のnoteは野田さんのワークショップのことを必死にまとめたが、あの時は、実はウィルスにより嗅覚細胞が破壊され味覚・嗅覚を完全に失っていた状態で、、病後で非常に弱っていた時でもありました。それなのに書けるパワーはどこからきたのか?(笑)

この仕事はあらゆる細菌をもらう。だからこそ睡眠時間死守、栄養!と気をつかっていたけれど、GW後からの子どもたちの罹患はすごく、必死で対応していたのですが、他の同僚も倒れて、私と同じ症状に今も悩んでいる人、複数。。
5月30日のwe are!のライブ配信日の午前中に耳鼻科に診察にいったところ、検査でそれが判明し、「半年治らなければ一生治りません」と宣告されてしまい、ほぼ放心状態ながら配信をみていて、いろいろ気付いたことがあった。
それはハンデをもつことの大変さである。

世界を楽しみきれない、世界が把握できない怖さ、孤独感、それをどう乗り越えるか?
だんだん仕事にも介護にも支障をきたし、さすがに心が折れそうになっていたが、友達の励ましもあってなんとか!
最初に甘みを感じたとき、泣きそうになった。今もまだ以前ほどは嗅覚も戻ってないので、リハビリもかねて料理の回数を増やすことにしている。
当たり前だったことが、こんなに有難いなんて!!日々感動!!

そして、こうなってみて初めて、松本潤くんの大切にしている「エンタメで彩りを届けたい」の意味が深くわかった日でもあった。
配信ライブをみていて、
こんなに頑張ってるひとたちがたくさんいるんだなとか、世界は広いなとか、歌の世界観が楽しかったり、エンタメって必須栄養素だし、それをいつも楽しめていることはどんなにかありがたいか。
あのとき、確かに、宣告された直後の私の世界に、彩りを届けてくれた。ありがたかった。。

改めて、まわりの人たちを大切に守っていかないと思う。

今日は6月30日。松本潤くんのブログも終わってしまって、寂しさはあるけれど、感謝の気持ちでいっぱいである。誰かのために、と動けることって、本当はすごくエネルギーも責任も必要で、それを20年間。尊敬しかない。いいマネージャーさんに恵まれてほしいなとか、独立の心配はあるけれど、心配を応援に変えていきながら、これからも勉強をしていきたいと思う。

とにもかくにも、舞台が成功するように!日々応援をこれからもしていきたい!健康でいてくれたら万事よしー!

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