野田秀樹さんのワークッショップ(創作の現場)への想い

「野田秀樹の作品世界はいってみれば、演劇の詩である。
それは観念から生まれ、生身の肉体で演じられることによって真の詩となる。
それゆえに紙によって書かれた戯曲を黙読するだけではコトバは飛翔しない。
舞台に立った役者が祈りをこめて懸命に発語したとき、はじめて詩のコトバとして動きだす。
そのことをもっとも知っているのは、ほかならぬ野田秀樹自身である。
舞台で転落して腎臓が破れても、右目をある日失明しても、役者をやめようとは露ほども思わなかった。

「演劇は詩と肉体の交点から生まれる」

くりかえし、そう言っている。」p117『野田秀樹』内田洋一著・2009

野田秀樹さんのことを少しずつ勉強していくなかで、最初に思っていたことがある。
英国での留学経験から、外から日本という国のかたちを見直す眼をもつようになった彼は一体今回の「正三角関係」で何を世に問うのだろう?
ロシアの、寒く広大で過酷な大地が生んだ作家の集大成たる作品を携えて、ドストエフスキー思想のどの部分に光をあて、現代に何を問いかけるのか?観衆にどんな内面をみる時間を届けるのだろうか。。と。

しかし、いろんな演劇の本を読むなかで、時代は演劇の役割を変えてきていることも知る。

『演劇入門』で平田オリザさんが書いているように、現代演劇以降、「単純な主義主張を伝えることは、もはや芸術の仕事ではない」のであり、そこに伝えたいことはなく、「表現したい」という人間の欲求を形にしたものが演劇なのかもしれない。

「その欲求は、世界とは何か、人間とは何かという、私の内側にある混沌とした想いに何らかの形を与えて外界に向けて示したいという衝動と言い換えてもいい。
世界を描きたいのだ。」p38
ここでの世界とは、その人に見えている、聴こえている世界の具現化のことを指す。

そして「私たちは、生きる目的をどうにかつかもうとして、この茫洋としてつかみどころのない人生のときを、少しずつでも前に進めていくのではないだろうか。
私たちは、生きるテーマを見つけるために行き、そして書くのだ」p108

これを読んだとき、ハッとした。初めから何か訴えたいものをもっての作品ではなく、彼もまた悩む人であり、自分の心の世界を世に問いかけ、一緒に道を探究していくという、観衆も共に考えていく、創っていく時代なのかもしれないと。

その想いから改めて野田秀樹さんの書物を読んでいて、平田さんのような表現への情熱を同様に抱いておられるように感じながらも、
野田さんは「野田節」というくらい、読んでいても視点、表現が面白く、
自由でもっとのびやか。
それがどこに起因するのだろうと思ったとき、ある点が目に留まった。

彼はいつも「遊び」を大切にしている、という点である。

「演劇をおもしろくする」それが、野田秀樹さんの情熱の中心核にあるように思えて、そしてそれが成り立つためには、根底に「真剣勝負」がなければ成せないことも、彼の若き日の記録はまるで、闘争記録で、演劇の為にここまでというほど、情熱を傾けておられて涙がこぼれた。

1988年8月27日の日記にこうある。
「僕にとっては《芝居をつくる過程》しかも生半可な過程ではなく、しっかりと根をおろした過程そのつくりを捜すことが、道である」p121同著

母親が亡くなられたり、身体的な危機、それでもと努力し抜き、それに伴ってやってきた賞賛・栄光。それすらも一旦は置いて留学し、
また真っ白な道から歩きだす。

演劇をただ愛する気持ちだけを抱きかかえて、疾走するように半生を生き抜いてきた野田秀樹さんの人生を書籍で読んでいて、では彼の演劇論を語るなど、また一回も観劇したことのない私が語れるはずもなく、

ここでは、演劇初心者の私が初めて聞いた単語「ワークショップ」というものを簡単にまとめ、そこから野田さんのワークショップの特徴を探ってみたい。

「ワークショップとは、ファシリテーターと呼ばれる司会進行役の人が、参加者が自発的に作業をする環境を整え、参加者全員が体験するものとして運営される演劇のセミナー。課題やテーマが与えられ、それに対して複数人からなるグループで話し合いをしたり、共同作業をする」。。

わかるような、わからないような説明なので、具体的に。

前述した平田オリザさんのワークショップでは、主に、知らない人に話しかけるというシチュエーションの短いドラマを創り、演じさせる。
現代が「対話」という人生経験を積むことが圧倒的に減っていることを危惧する平田さんが、どうして対話を使ったワークショップを重視しているかというと、
日本の戯曲が「演説」と「独り言」でできあがってしまっており、
一般的に私たちが「演劇」とよぶのは、西洋近代の枠組みを基礎としており、それは「対話」を基盤としているからである。
対話という文化が西洋よりも希薄な日本が演劇でどうあることが自然なのかという問題も提起している(p140要旨)『演劇入門』

さて、野田秀樹さんのワークショップとはどのようなものなのであろうか。

彼は対談でこう語っている。話は彼がワークショップというものを始めた起点から。それは劇団「夢の遊眠社」を解散して、ロンドンへ行き、そこでのワークショップに参加した時のことからはじまる。

そこで彼はこう思う。
「ああ、若いときにやっていたあの姿でいいんじゃないか」(p160
『劇空間を生きる』より)と。

つまりは、芝居をするためだけに演劇をやっていたのではなくいろいろなことを自分たちで試行錯誤していた、生き生きとした活気ある姿である。
野田さんは語る。

「それを自分の中で一番強く持って日本へ帰ってきて、一番最初に言ったのは、ワークショップというのをやりたいと。
当時の日本のワークショップというのは舞踏なんかはやっていたけど、お金を取るだけの、つまり稼ぐために演劇教室の小さい版みたいなものしかなかった。
「ワークショップ」という言葉もそんなに広がっていなくてね。
だけどそこで、俺はむしろこっちがお金を払ってもいいから人を呼んで、創作の現場をやりたいということで始めた」

そして続ける
「だから「人と一緒につくる」というと、その流れが俺の中にはあるような気がする。やはり人が一人でつくるものには限界があるというか、その人の発想とか・・。(絵画は一人だからいいという話を織り交ぜ)
やっぱり演劇に関しては一人でやるより、違う発想を突然ボンと持ってくる肉体があるってことは圧倒的に強いので、その部分で言うと、ワークショップとかそうした作業は必要なものだと思う。(だから劇作家とか違うという点を述べている)」

野田秀樹さんのワークショップでは、身体を使った運動あそびなどもされている。野田秀樹さんがなぜ身体に着目されているのか。

「役者の身体というのは、自分一人では高まっていかなくて、相手の身体、リアクションがあることで高まっていく。これもほとんど偶然に近いもので、その偶然はいつも稽古場で生まれるんだけど、自分がどれだけ用意していっても相手が非常に鈍感な役者だったりすると高まっていかない。

相乗効果で乗ったり乗らなかったりする。そういうのが演劇の醍醐味としてある。それで自分の役者としての経験上、あるテンションより高くならないと相乗効果は生まれない。」p125『劇空間を生きる』

そしてこの人の間に相乗効果を生み出すことに大きな影響を与える
「7段階のテンション」理論が面白い。
1番~sleep寝ている
2番~relax朝起きてボーとしてるような状態
3番~neutral誰にも影響を与えない、人を邪魔しないテンション。
4番~alert「警戒」このあたりから演劇がおもしろくなる。
   遠くで事件が起きていて、身体が変わる、芝居が始まる瞬間。
5番~suspect「疑い」目の前に事件があり、何かがある。それに身体は
   はっきりと疑いだす
6番~passion「怒り」の感情を出すもの。
7番~panic演劇のラスト。正気じゃないもので、動かなくなってしまうもの  
   の。

6番以降のテンションは面白いがやっている方が疲れ、やり続けるのは不可能で、
「いろいろテンションは変えるが、テンションは高いほど面白い。大声だと面白いのね、人間の心理として。高いテンションというのは演劇にとって、ものすごく大事なもの。」p128
と述べつつ、演劇を志す人だったら、大きい声でシャウトできる能力は非常に大事とし、

「テンションの話は、スリープから大声のところまで、このテンション6ぐらいまでかな、すべて自分一人の身体でやっていて、これって実は人間の思い込みだけでやっている、俺は。
そうに違いない、と。
だから今のことは本当かというと、ウソかもしれない。
でも演劇というものはそういう正体で、だから他人との出会いのときに感じるものというのも、全部思い込みだけなの。

だから演劇は、非常に危ういけれど、不思議なことにその危ういものが本当のものに見える瞬間がある。これが演劇の魅力。

これがない舞台はあまりおもしろくないと、俺は思っている。」p129

彼の身体と演劇の相互関係や、人間のテンションの発想は、実に興味深い。


それを知った上で、具体的に、その野田秀樹さんのワークショップを観た方の文を紐解きたい。
時は1995年㋆。東京の劇場にて。一週間ごとに役者はほぼ全員入れ替わる。午後1時~6時まで。野田さんは演出の側というより、役者とともに汗を流す方におられたとのこと。

この『野田秀樹の演劇』の著者・長谷部浩さんはこう観察する。

「スタッフの側の席に戻って、役者の演技に指示を与えるときも、きまじめな態度を嫌い、おもしろさを優先させる姿勢が目立った。
たとえば「なんか真剣だよね、面白みがない」とコメントをもらしたりもする。
その発言からも読み取れるように、プロの役者を集めて行われたこのワークショップは、啓蒙的、教育的であるよりは、遊戯的であろうとしていた。」p62

ここで野田さんの言葉が紹介される。

「ワークショップというのは、なにか次の演目のためにやるということももちろんあるけれども、そういう目的だけが強くなると、意味がなくなると思う。
結局、役者が柔らかく漂える存在でいなければ、次の芝居の稽古で、どんなものをやろうとしたって、もう絶対にできないわけだから」p62

柔らかく漂える存在、という言葉に悩みながらも本を読み進める。長谷部さんがみたワークショップはこう流れる。

「その言葉を裏付けるように、一時にはじまったワークショップは、「遊び」に終始する。30分のストレッチで身体をほぐした後、一時間は、子どもの頃の懐かしい遊びが試みられる。
缶蹴り、鬼ごっこ、バレーボール、手つなぎ鬼など。20代から40代まで、世代の異なった役者たちが、ただ、ひたすら遊ぶ。」

野田さんは言う。
「ワークショップにもよるけどね、そういう遊びに徹しているときもありますね。あれ、遊んでいることによって、役者を少し、ふるいにかけているのかもしれない。缶蹴りを楽しめないとか、鬼ごっこに熱中できない役者というのがいるんです。もちろん、楽しめないから、だめな役者とは限らないんだけど。」

手つなぎ鬼なども紹介され、孤独だった鬼が次第に多数になっていく、そのスリリングな様も描写され、こう続く。

「ワークショップといって集められた役者は、もっともらしいエチュードや、戯曲分析などはほとんどないまま、この「遊び」に巻き込まれていく。
観察していると、誰もがそう無心に遊べるわけではない。(中略)
こうして延々と続く「遊び」を見つめていると、いったい何の役に立つのだろうかという疑問がわいてくる。」

そしてそれを野田さんに尋ねると、

「おれとしては、むきになってほしいわけだ。
何かやって、遊んでいて失敗したとか、負けたとか、そうしたら、もう一回やりたいと思うのが基本だよね。」

そして1時~6時を全部この遊びで遊んでいたいと思っていいとし、
何や役に立つこと、何かの為になることを求める人間の癖、常に生産的であろうとする無意識の傾向を「洗い落とす場としてワークショップがいい」と語気を強める。

「ワークショップは、お互いの共通項を見つけるものだと思うのね。
遊びというのはだれもが一番、入っていきやすい手段でしょう。
子どものころ遊んでいなかった人間はないわけだから。

でも、遊べなくなった人間は、山ほどいる。
遊べなくなった人間が、なお役者をやろうとすると、とっても窮屈になる。
それを最初にほどいてやることは、僕の物のつくり方としては基本だと思う。」p67『野田秀樹の演劇』

生産性へのこだわりを、あらかじめそぎ落としていくことの意味を大切にする野田さんは、自分自身が、この遊びにこころの底から夢中になって、主宰者が熱中しているからこそ、他の役者ものびのびと遊んでいる姿がある。

その遊びを通して、
遊びのグループを構成するメンバーによって、遊び方にも特徴がでたり、積極的にルールを変えようとする人や、言われるがままの人がいたり、
そこから野田さんは、その役者の「身体の癖」をみて、そして、他者、別の肉体に対する距離の意識を常に保ち続ける手助けとしているのである。

やはり野田さんは最初に引用したように「肉体」に注目されていることがわかる。

「その意味で鬼ごっこをやっておくと、役者に対して、非常に共通言語を持ちやすい。公演を前にして、稽古に入っていて二週間ぐらいして、人との距離が非常に悪い役者に、鬼ごっこだったら、この距離をとれないだろうというような話をすると、瞬間的にわかる。

ただ距離をとりなさいとか、緊張感がないという話は、わかってもらいにくい。

鬼ごっこに限らず、ワークショップというのはお互いの共通の言語を持ちやすいですよね。そのことを一緒に、一回体験しているわけだから。ほら、あの遊びのあれよ、といえる」

この「スポーツ系」の遊びが終わると、それから30分ほどは、静かな遊びに。「信号遊び」や「探偵ゲーム」など。

しかし、このようなゲームをすることの意味や意図は、役者たちに先立って説明はされない。

野田さん「ワークショップは概要がない。つまり、これからやるこれは、何のためのこういう性格のものですかとかいうことはない。
それをどうとるかはね、役者によると思うな。

言ってほしいという人もいるけれども、やっぱりそこでも自分で考えたほうがいいのかもしれないね。それがおれの考えとくいちがっても、いいんじゃないの?」

「(どうあってほしいか、その先になにがあるか)それを先に言っちゃうと、なにか非常に目的的になるし、こわばってくる。

はじめにバラさないことで、なにかもっと違う発見を役者さんたちがしてくれるかもしれない。

また次、遊びが始まるのかというふうに思ってもらえるのが一番いい。
基本的に全部遊べばいいというのが、ワークショップなんですから。」

二時間ほどこうした遊びののちに、公演予定の演目を取り扱いはじめるが、
ここでも、野田さんによって書かれた台本が、役者さんに手渡されるわけではなく、
その公演の演目の断片的な部分のエピソードが、野田さんから短く各グループに伝えれれるだけというのだ。

与えられた課題を、2つのグループに分かれて、簡単なセリフ、動き、段取りを、相談しながら組み上げていく。
野田さんもどちらかのグループに属して、この作業を。
ここからを箇条書きにしよう。

・円陣を組み、相談をまとめ、立って動きにして、意見を言い合いながら修正(スムーズにまとまる日もあれば、袋小路に入ることも)

・野田さんは、自分が属してないグループに対して、主に、見せ方についてアドバイスもあるが、野田さんも失敗を認めるようなケースも。

・最後に、10~20分、各グループが作り上げたシーンを発表(野田さんがコメントを加えるも、それはあくまでひとつの意見として。絶対的な権威でもってしてよしあしうんぬんするような態度を、周到に避けているような様子あり)

そして本番への稽古との違いについて野田さんは語る。

「最初のうちの稽古はまだそんなに自覚していなくても、本番にむけての通し稽古とか、いよいよ初日の前のゲネプロちなるうち、ある部分では役者のおもしろさが消えてしまう。
想像力を消してしまう。

もちろん、それは初日があるということによって、人間の集中力は高まっていくんだけど、緊張と集中と評価のほうにばっかり気持ちが行っていると、
いつの間にが消えちゃうものがどうしてもある。」

つまりは、想像力を広げる場として、ワークショップは圧倒的に機能するとし、感情や魂の動きを、きわめて素直に身体表現として視覚化されていく流れを大切にされているのである。

そして、このワークショップでの役者の動きから感化されて、野田さん自身の作品も構築されていく部分もあるようだ。

「現実には、次の公演を一緒にやる人間が何人か入っているでしょう。
そうすると、その人間の癖を観察して、どういうものが生き生きとして出ていくか、そしてまた、おれが舞台に乗せたことのない新しい方法は何なのかを考えていく。

このワークショップでは、たまたま、日本の歌を歌った。
けっこう我々が知らない民謡も含めて歌って、それを振付してストーリーをつくる。
そこには感動的なものが生まれてきたりしますよね。
それは景色として、人間の身体の風景として、いいんだよね。
しかも、それはこれまでの自分の舞台では見たことのないものだよね。

そういうものができたときに、劇作家としての使命として、その部分をなんとか生かしていきたいなというのがある。

そういう意味じゃ、作家としてワークショップから挑戦されることもある。

戯曲を書くときに、それをそのままはめ込むというじゃなくて、自分の中で、消化してどういうふううに芝居できるかなという場でもあるよね」p70

それぞれの演技観、演劇観をもちより、距離感や、どう違うのかを体感するワークショップ。体感というのがポイントなのだろう。
身体を使った、のびのびとした遊びの中から生まれる想像性や、関係性を重視されているのだ。

ワークショップにおいては、失敗ものびのびとしていい。年齢も立場も気にせずできる、そこから自分の思いも知れる。
「遊び」を大切にしているのだ。

そして長谷部さんはこう締めくくっている。

「「遊び」という演劇のメタファーによって、彼の演劇スタイルを役者たちに体感してもらうのが最優先となった。
野田秀樹の演劇は、野田じしんがきわめてオリジナルな演劇体を持った役者であることによって、生き生きとした表現を失わずにきたと私は考えてきたが、ワークショップはこうした仮説を、はからずも裏づけるものであった。」

野田さんのワークショップ、深い。。

そしてこのワークショップは、歌舞伎役者・中村勘三郎さん(1955~2012)ともされいてる。

「歌舞伎に書くなら、ワークショップっていうのをやらせてくれ」ってあいつに言って、最初歌舞伎役者と一緒にワークショップをやった。あいつは「何だ、横文字の何だそのワークだか何だか知らないけど・・」って文句言ってたんだけど、やってみたら、「おもしろいなあ、このワークショップ」みたいな話になったね。」p55『野田秀樹』内田洋一著

と、そのワークショップのやりとりのなかで古い歌舞伎の敵討ちの話などを知ることになり、そこから共に演劇を歌舞伎役者の皆さんと作っていき、かえがたい仲間となっていくストーリーはとても心あたたまるものがあった。

野田さんが「遊び」を大切にされているその根底になにがあるのかと、若き日の日記から、その芽生えのような思想はないかみていたら、こんな素敵な記録に出会えたので、最後に紹介したい。

「1980.06.12
今ぞ、余裕(ゆとり)である。

芝居の本来の作業は、「人間は豊かな動物である。或いはありたい」
という命題を証明する数学的作業である。

数学はロマンであり、あらゆる問いかけに必ず解答があるという前提で始まる。(中略)

数学は過程が大切である。その過程というも、ただ一生懸命苦心三昧で道が開けるというのではない。

ひとつのひらめきが、次なる勘に続いていく確かな手ごたえと共に
ああ自分は今、ひとつの解答(ロマン)に続いていく道程にある。という嬉しき実感である。

この嬉しき実感は、数学という学問に幾らかでも接した人間にはわかるのではないか。
「数学」はひらめきである。というのは、まず間違いないことである。

ただ「ひらめく」というのは
決して、先天的な脳の問題に限らないような気がする。それは後天的な環境が及ぼす影響も強い様である。

まず最初になにかを持ちうる為には、どこでもなんでも良い、
「観る」という作業を欠かしてはならない。

物を「観破する」ことが、最も、「ひらめき」に近づく作業の様な気がする。(中略)

モノゴトを「観破」し続ける力こそ、私にみなぎる自信であり、
自信こそひらめきの母である。
「ひらめいた」一瞬だけ、世界は外へ開かれている。

その間だけいくらか世界をひろげて見せる事ができる。

「人間は豊かである」という解答に向かって。

p360『定本・野田秀樹と夢の遊眠社』

豊かであるために、きっと遊びもそのためにある。ひらめきの先にある、豊かさの解答を求めて。

『哲学とは何か』でヤスパースは語った。
「今日のこの瞬間は危機一髪の状態にある。われわれは次のいずれかを選択しなければならない。
すなわち、ひとつは、人間とその世界の喪失という深淵に落ちこみ、
その結果、人間の現存在一般を否定することであり、
もうひとつは、
本来的人間とその見極めがたい好機への自己変革によって飛躍をなしとげることである。」p162

『カラマーゾフの兄弟』を描いた巨人を生んだかの大地をはじめ、世界を見渡たしてみても、決して楽観視できない現在。

人間の本来もつ、「豊かさ」を希求する野田さんの作品を楽しみにしつつ。


(余談)
推しである松本潤くんの生配信が先日あり、最初の画面をみた瞬間、仕事に全力投球していることが、その瞳からわかって、その真剣さに心から感動した。鋭利というか、かつての生配信では見られなかった眼光の鋭さ。

もちろん大事な決断をしたことの発表直後であり、それを丁寧に私たちファンに説明するという重大なことがあるからだとは思いながらも、
第一回のホワホワした雰囲気とは一変している。。

あの時とはあまりにも状況が変わりすぎたことも、ここから感じて、切なくもあり、しかし「変化」というのは、時がもたらすさけがたい宿命のようなものでもあり、
だからこそ、その変化のなかでも、懸命に生きよう、自分の道を創ろうとしている潤くんの姿に、自分もまっすぐ応援していきたいなと改めて思い、また強くあろうと決意した次第です。

というのは、実は流行り病になってしまい、この数日は本当にちょっと生きて生配信みられるかな、くらいのしんどさで、自分の寝言?なのか、うなされてる声にびっくりして目覚める悪夢な高熱の日々、、しかし介護も家事もしなければで、ふらふら、、正直、生配信をみた瞬間は
「自分、生きてた~」と一人で感動していました。
ここで勉強をはじめてからこんなことが数回あったような、、もっと強くなります!!

直近は、まずは大阪ドームのライブが無事故で終わるように、みんなケガなく、楽しい時間になりますように。そして、こんなすごい野田さんと仕事されていること、応援しながら、
自分も「豊かさ」を心にもてるように、まだまだ勉強したいと思っています!
筆舌に尽くしがたい悩みの渦中にあったはずの松本潤くんが、あの笑顔でいられているのは、きっと周りに素敵な人たちがいて、そして、優しいファンがおられることが大きい。最後に紹介されたファンの方々のメッセージが素晴らしかったので、本当に感動しました。
元気で、楽しく充実した日々であられることを日本の片隅で願いつつ。
まだ我はゴホゴホしつつ、記録!!
(ドストエフスキーはしばし!!超難解!!!)

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