脚本家・古沢良太さん語録からみる世界観&松本潤展覧会へ東京旅

「海洋よりも大いなる光景、それは天空である。
 天空よりも壮大な光景、それは実に人の魂の内奥である」

私が最も愛する文豪・ユゴーがその著『レ・ミゼラブル』で、ジャン・ヴァルジャンに語らせたこの言葉は、人間の心の大きさと、どれだけ巨大な変化をもたらすかを現代に伝えている。

その言葉のひとつの証左でもあるように思えた作品が「どうする家康」の家康の人生だったように思う。
どうすると自身に問い続け、模索し、闘争し続けた家康の人生。
人質として暮らしていた時代から、数々の戦を越え、江戸幕府を開き、戦いを必要としない制度に社会構図を変えた彼の心の内奥にはどんな戦いがあったのであろうか。

家康という人物を、今、この現代で描くとしたらどう描くことが魅力的であり、今の人の心に響くのか?
歴史や大河ドラマを愛する人にも理解してもらいながら、一方で、あまり歴史に興味のないであろう人たちや、老若男女、幅広い世代に受け入れられるようにはどうあるべきか。
新しいエンタメを常に求め続ける現代の人たちを、如何にして惹きつけるか。実に難問である。

社会をいかに表現するか、それが作家の戦いであるとするならば、古沢さんの脚本は喜怒哀楽を織り交ぜた、色とりどりの感動を描く人のように思える。
この考察を書くにあたり、そもそも脚本というものを知らない、ドラマを観てこなかった私が語る資格もあるはずもなく、いろいろ書物を探した。
今回は考察というよりも、古沢さんの語録をまとめるような形としたい。

『テレビドラマ代表作選集2009年』日本脚本家連盟編
から最初に引用。まずはじめに日本脚本家連盟理事長・中島丈博氏の言葉。

「読むべし、味わうべし~
ぐいぐいと引き込まれる。時間を忘れ、我を忘れて読み進む。デリケートな描写力、ほんのりとオーソドックスな味わい、視点の確かさと新しさーー(ここで選ばれた作品は)いずれも素晴らしく、これだけの脚本が与えられれば、さぞかし見ごたえのある印象的なドラマに仕上がった筈と、今更ながら未見を悔やまれる。(中略)
今回選出された作品群は強靭な筆力に裏打ちされた作家の際立ったオリジナリティによって、突出していると言えるだろう。」

なるほど、脚本家というものが現代日本ではあまり脚光をあびなくなってきていることや、扱いが低くなっていることもこの先生のはじめにの箇所から知れた。

そして『ゴンゾウ』で向田邦子賞を受賞した古沢さんの脚本が載っているのだが、その章の「作者のことば」で古沢さんはこう語っている。

~「見るドラマがないの。新聞欄見ても脚本家の名前も出てないし。誰が書いてるのかも分からない」
先日お目にかかる光栄を得られた、向田邦子さんの妹御、和子さんがおっしゃられた言葉である。
「オリジナルドラマが少ないので、仕方ないです」
僕はそう答えながら、改めて感謝した。
オリジナル連ドラを0から起想し、時間をかけて練り、情熱的で脂の乗っているスタッフキャストと1クール七転八倒しながら駆け抜ける脚本家の至福を享受させてもらえたことに。
それを味わえる脚本家は決して多くなく、僕も次があるとは限らない。
一方でテレビドラマは混沌の時代を迎えている。いつの間にかエンターテインメントの最前線から脱落しかけ、過去の成功体験に基づくメソッドは通用しなくなっている。
しかしそれだけにビックバンの予兆も感じられる。
「またテレビドラマが面白い時代が来ます」
こんどお目にかかれることがあれば、そう言おう。
そして来るべきその時代に、脚本家の至福に恵まれたなら、精一杯七転八倒しよう。」p176

このやりとりから、古沢さんの心根がとても前向きであることをまず感じた。負の状態だからこそ、ここから飛躍できるという考え。素敵である。

そして脚本を読ませてもらって、他の方のを読んでないので比較検討できないが、言葉のテンポのよさと、人間の小さな哀しみ喜びをささやかな光景から描いている点や、
なんでもない物にも何かを語らせている(おみくじの紙片であったり)、
そつない人が実はすごく人間味があったり、つまりは全体的にとても人間くさい人たちばかりで、人間そのものが感じられる印象をもった。

そしてこの脚本というものを初めて読んで、ここから自分がどう演じていくかを考える俳優さんたちの凄さも感じた。

古沢さんの言葉が載っているもうひとつの本。
『ゼロからの脚本術~10人の映画監督・脚本家のプロット論』誠文堂新光社2010年発刊

そこで古沢さんが一体どのようにして脚本家になったのかを知れた。
もともとは漫画家を志していた古沢さん。漫画家になるためには、物語を作らなくてはいけない。それで脚本の勉強をはじめ、
20代の頃に脚本家の学校にも行ったものの、脚本を描く上での心持ちなどのことばかりだったようで、
倉本聰さんや山田太一さん、向田邦子さんのシナリオブックを読んでのほぼ独学とのこと。20代半ばでテレビ朝日のシナリオコンクールで大賞をもらってデビュー。しかしほぼ素人同然の状態で連ドラ「動物のお医者さん」の脚本に抜擢され、そこから原稿のスピードや要求されるものなどで葛藤し、現場で苦労してきた軌跡を知ることができた。

ここからは古沢さんのこの本で話している語録を抜粋し、記録しておきたい。

・脚本の学校に行っていたときに、初めて書いた脚本が褒められたんですよ。そのとき先生に言われた良い点というのが「セリフが面白い」と「無駄なシーンがない」。
僕は「面白いセリフを書こう」とも「無駄なシーンを省こう」とも思ってなかったから驚いたんですけど・・その「無駄なシーンがない」ということが、スピード感に繋がっているんだと思います。でも僕はそれを自覚なくやっていて・・。たぶんそれは、僕が「つまんない」と思うシーンを書くのが苦痛だからだと思うんです。p22

・前のシーンの逆を行くっていうのは、けっこう意識しています。セリフもそうです。基本的に、前の人が言ったことを、次の人で否定したい。だって「ナントカだよね」「そうだよね~」って、そんな会話、なんか気持ち悪いじゃないですか?「そうだよね~」じゃない何かはないのか?と思う。
だからこまめに相手の言うことを打ち消しあいたい。そういうことが「セリフが面白い」に繋がっているのかもしれないですけど。
あと、ストーリー展開でいうと、右に行くのかと思ったら左に行く、みたいに、こまめに切り返すこともあります(笑)p23

・『ゴンゾウ』の構成的には、アメリカのドラマ『LOST』の影響を受けているところもあります。『LOST』って、突然、観たこともない小さな子どものシーンから始まったりするんです。いったい誰の、いつのシーンかもわからない。でも観ていくと、「あ、この人の子どもの頃の話なんだ」とわかっていく。
『新世紀エバンゲリオン』のイメージの中にありました。構成的に時間を入れ替えたりしているところが近いかもしれない。

・脚本にはいろんな要素、いろんな目的があるけれど、僕にとっては、とにかくキャストとスタッフを燃えさせることが大事。それができれば、あとはもう良い作品になるに違いないんです。

・『60歳のラブレター』は、豪華キャストのおかげもあって、世間で言われてたより、かなりヒットしました。でも僕はもっと、ヒットしてほしかったです。それこそブームになるくらいに。この映画もまた、
「これで世の中を変えてやる」くらいの気持ちで書いていましたから。p29

・僕はいつも、構成的に美しい、ウェルメイドなものを作りたいと思ってるんですが、そうじゃなくてプロデューサーが「これはもっとゴツゴツしてていいんだ」と言う。だから『外事警察』は僕にとって、「いびつなものを作る」っていうチャレンジでもありました。
そして優秀なスタッフ、キャストに助けてもらって、「日本のドラマも、また一歩先へ行ったよ」と言えるものにはなったと思う。
誰もやっていないことをやれた、と思っています。p37

・子どもの頃から「一秒たりとも見逃せない」と食い入るようにドラマを観ていた経験があるから、「ながら見してたらわらかない」っていう作品を作っていかなきゃいけない」って思ってるんです。p40

・「これをやると視聴者が離れる」っていうことにチャレンジして成功してこそ、嬉しいじゃないですか。それでも惹きつけることにやりがいを感じる、というところはあります。

・「これをやったら台無しかな」というようなことも、監督が判断してくれればいいやと思って、とりあえず書いておくこともできる。で、面白がってもらえたら採用してくれたらいいし、「これはないだろう」と思ったら削ってくれればいい。気楽だからいろいろ冒険もできるんです。あと、自分で撮らないから、完成作は、思い描いた通りのものにはならない。それも楽しいんです。想像以上のものになったりもするから。p41

・ドラマや映画って、観るより作る方が絶対に面白いんですよ。
 自分が作ったもので、世界中の見知らぬ人たちが笑ったり泣いたりするんだから。すごく楽しい仕事です。p42

・僕は、脚本を書くという作業自体は全然苦痛じゃないんです。『外事警察』のプロデューサーに言われましたね。「苦痛じゃない人は珍しい」って。
プロデューサーや監督がホン打ちで意見を言うのは、けっこう勇気がいるらしいんです。でも僕には、それが必要ないらしい。「すごくラクだ」と言われました(笑)
僕は意見を言ってもらって全然大丈夫。むしろ、もっといろいろ言ってほしいんですよね。もっと、みんなが気に入る脚本にしたい。だから、あまりぶつかったりもしないです。もし「わからない」とか言われても、それは、僕のせいですから。

・「これで世の中を変えてやる」と思いながら脚本を書いていると言いましたけど、そう思えるのは、この『三丁目の夕日』があったからだと思います。
映画は廃業というか、それがあろうがなかろうが、現実は何も変わらない。
だけど、それを観たことによって、人の生き方が変わったり、その変わった人の集合体で、世の中が少し変わったりすることがあり得る。
そういう感触を、この作品で得られた。今でもそれが、自分にとって大きな財産になっていると思います。p15

書物からの引用の語録はここまでとしておこう。感謝。

残念ながら、私は古沢さんの作品は「コンフィデンスマン」のひとつしか観ていないが、それでもその作品がすごく気に入って、その主題歌の「laughter」の歌詞にあった「サーチライト」という言葉が気に入って自分のポストでの名前に一部使わせてもらったほどである。

ひとつしか観れてないながらも、あの作品の爽快感とワクワクは忘れられない。そして、なんともいえない安心感があった。
この中のひとたちを絶対誰も不幸にしないという人が書いている、という漠然とした感覚からの安心感。
それはまさしく、この「どうする家康」でも感じたことでもあった。

どうする家康の関連書でもなかなか古沢さんの生の声を知ることが少ないように思えたが、最終話を前に雑誌にインタビューが載っていることを知り、なんとか手に入れることができた。

そこで語られた「どうする家康」への想いを抜粋したい。
・僕が描きたかったのは、一人の普通の子がどうやってこの乱世を生き抜いていったかという物語でした。
そうするとおのずと日本史上大事な出来事と、私人としての彼の人生にとって大事な出来事は違ってきて、やっぱり家臣たちとの絆や家族との物語をなるべく重点的に描きたいと思ったんです。

・家康は(天才ではなく)普通の人だったから、普通の人が運営できる体制を作り、秀忠にも継がせ、それが続いていったんじゃないか・・と僕なりに解釈してみました。
だとすると、家康のことはか弱い凡人として描くのがいいと思ったし、このドラマのテーマになる。
そういったところからスタートして、彼の人生は本当に艱難辛苦の連続なので、その過程で変貌していく、ということをやりたいと思っていました。

そして最終回放送日の静岡でのスペシャルトークショーで語られた内容も記録しておきたい。

「本当に松本さんが一番大変だったと思います、誰よりも全身全霊で、その情熱と責任感をもって、現場を引っ張っていく姿に、僕も引っ張られて、僕も書ききることができました。
全てのスタッフキャストがそうだったと思います。
たぶん今日で、このドラマはおしまいですけれど、松本さんの家康公は多くの人の心の中にずっと生き続けると思います。
全てのスタッフキャスト、観てくだったみなさんん、本当に同じ思いだと思います。お疲れさまでした。ありがとうございました。」

以上、古沢さんの語録を主に振り返ってみて思うことは、
古沢さんが脚本家となられてから不変のところかなと思うことは、

尊大ぶらない謙虚さ。
しかしそれは卑屈などではなく、作品をよりよいものにしたいという一つの想いだけで、自分も周りも「自由に楽しく」させている部分があるからこそ、のびのびとした作品が作れているのだと思った。

最終回放送を前に語られた「どの人物も自分の想像を超えた働きをしました」と感慨深く役者の皆さまの演技を讃えられているところにも感動であった。やはり松本潤さんの「えびすくい」には、特に感銘を受けたとのこと。

「第26回で家康が一人で信長に披露したえびすくいは予想外でした。
反抗心のようなものも見え隠れしながら踊る一世一代のえびすくいという感じになっていて・・。いろんな意味が込められたあのえびすくいも松本さんだからこそであり、想像を超えたところだったかもしれません。」

と、松本さんが繊細に役を作って、家康の成長段階を踏まえた上で緻密に計算もして役に挑んでいることを述べられている箇所もまた、古沢さんが役者をのびのびとさせながら、リスペクトをもって共に作っていく仲間として、大事に見ておられたのだなと胸を熱くした。

そして現場の大変さを知って共感しているからこその、ねぎらいの言葉が多いことであろうか。感謝を常にスタッフキャストの方々にもっておられるというのは、誰もが成しえることではないように思う。

そして「人の顔」がよくみえる作品。人の心というものを最優先にしているのは、人を大事にするような社会への転換を望んでいるからこそのように思えて、
だからこそ、「人が、人の心をみようとする時間」をつくろうと、その作品でしているように思える。そしていつもその視点が優しい。

それが古沢さんが言う「社会を変えてやろう」という意気込み、その根っこにあるもののように思えるのだ。それが今回、彼の語録から感じたことであった。

人の心をもっと大きな空に連れていくような、
誰もがその空を飛べる翼をもっていることを伝えるような、
そんな古沢さんの作品をこれからも楽しみにしている。
天空よりも壮大な心をもつ人だからこそ、必ずできる。
日本のエンタメのこれからに期待しつつ。

(余談)
「松本潤展覧会へ東京旅」(東京の感想のみ)

羊のショーンという外国のアニメがあって、いつもドタバタ劇を繰り広げるのだが憎めないかわいい羊くん。
私もまた羊のショーンよろしく、かなりのドタバタ劇を東京で繰り広げた旅となった。
東京は三度目か、一度目は20歳くらいで、大学の同級生が東京に帰省しているときに東京案内してくれるというので東京駅で待ち合わせして、「これからどこに行きたい?」と聞かれ、電車の駅の名前たちをみながら、「うーーん、国会議事堂みてみたい!」となぜか最初に行ったのは国会議事堂で、友達と並んで写真を警備員さんに撮ってもらってキャーキャーしていたら、
「あ、、これは国会議事堂の裏側ですよ」と言われ、
裏表わかりにくい!!と赤面したことを覚えている。そのあとは、彼女のおうちに行ったので、ただ電車の中で「あ!あれ東京タワーやん!!」とワーワー話していたら、とんでもなく車内が静かで、まるで関西人のおのぼりさんのアホな会話を静かに清聴しているかのような東京人が印象的であった。

二度目は友達の結婚式。私がとんでもない方向音痴であることを熟知している友人はタクシーを勧めたのでタクシー移動。その時「あれがとらや本店ですよ」と言われ
「え??とらやの発祥は我らが京都ですよ?!でも綺麗~!東京でがんばってはるのやねぇ」と、スマホで撮影してそれをポストの画面にしている。

そして三度目の東京。
もともと展覧会は全国展開してくれることを信じているので申し込む気持ちは皆無であったところ、次々とあがる素敵な公式動画にすっかり魅了され、この日なら有給もらえるやも??という日にポチっと申し込みをしてしまって、当選しないだろうし、とのんびりしていたら、まさかの当選で、アワアワである。
12月中旬には過労から帯状疱疹でかなり大変な状態になり入院もしたのでこれはもう介護もあるし行けないな、申し訳ない!と内心諦めていたためにまったく準備せぬまま日々が過ぎ、
数日前まで「もう今回は行けない~松潤ごめんだよ~」と友達と話していたくらいで全く用意せず、介護と仕事に明け暮れていて。

そんな私をみた兄上が、行ってる間は介護しとくからということで急に優しくなり行けることに。
石川県の震災のこともあって、松本潤展覧会に設置されている募金箱に寄付を少しでもできるようにお金節約のため、往復夜行バスで行くことにしてチケットを取り、
仕事あがり帰宅して家事介護を最後の瞬間までやりきって、夜行バスに乗り込むと、まず「リクライニング事件」である。

前の座席の若い女子がとんでもなくリクライニングしてくるので、座席と座席の間でプレスされた私。まるでクッキーサンド。私もリクライニングしたらいいと少ししたものの、これは私がリクライニングすると、後ろの人もプレスされる状態に??と思うととてもかわいそうで、
結局座席間プレスの状態で、約10時間。。
降りた時の感想は、新宿感動もなにも一反木綿状態のヘトヘト(笑)
駅員さんに全部聞いてなにか地下鉄のような?いろいろ乗って、六本木駅に着いたとき、ちょっと自然の木々を癒しにないかと彷徨い(道に迷いこんでいる状態)、野生の嗅覚で自然があるような気がする方向へ歩きに歩き、青山をこえて、外苑あたりに行っていたようで、ちょうど行事もあったようで、たくさんの警備の方々がおられ、それでも外苑の木々にしばし癒されていた。。

ハッ!私は11時からの松本潤展覧会にきたのだ!
慌ててまた地下鉄のようなものに乗って六本木駅に帰還し、潤担さんとおぼしき若い女性の後をついていくと、綺麗な建物のなかに。
5階で降りられたので、私も5階で降りるが、店も閉まっていてどこにも展覧会的なものがない。。
携帯で位置情報をという知識はあるものの、以前そういうアプリを使ったらどうやら車のカーナビアプリだったようで、起動しながら街を歩いていたら

「目的地、200先、右です」
など大きな声でスマホがいうので、恥ずかしくて止めたいけれど止め方が分からず、恥ずかしい思いをしたので、どうにもナビが怖い。。
そして2GBという縛り!
あまり使うと、使えなくなる?という不安から、一応印刷してきたマップの紙を広げて、今どこにいるのかを探すも不明。
東西南北めちゃくちゃやん!東京やばいな??京都は東西南北きちっとしてるさかいに?どないなってるんやー!と思いつつも、超絶綺麗な建物のホテルのようなトイレにて関心しながら心を落ち着けるというロスタイム満喫。

そして、警備員さんを発見。
「六本木ミュージアムはどこですか?」と聞くと、そこをぐるっと回ってあるとのこと。
ワクワクして着くと
そこは「森の美術館」とあり、、そこのスタッフさんに聞くと、とにかくこの建物ではないから外に出てと、外に通じる階段のようなところに誘導され、ガラス張りの綺麗な階段に目を細めている間にあと40分で着かないといけなくなり、焦る!!

そうだ!私にはタクシーがある!!と外に出てひろうも
「それ、反対側だから、向こうの道でタクシーひろって!」とバン!!消える。え?向こうの道ってどう行くの?なんか上に高速道路?首都高?なにこのカオス。
うろちょろ、まさしく迷子の羊さん!!めぇ~~

なんとか対岸に着くも、誰に聞いても知らない六本木ミュージアム!
そうだ!
そうだ!私にはタクシーがある!(節約はどうした)
と、つかまえたタクシーに乗り込むも、高齢のドライバーさんが知らないという。
「カーナビに打ち込んでください!六本木ミュージアムです~!」
「えーっと、六本木、、み?みがないよ?このカーナビ古いんだよね、ごめんねぇ」
え・・そんな!登録されてない機種いつの?!常に生まれ変わる街、東京対応してっ!!涙。
仕方なく、2GBの携帯を起動して住所を調べて伝え、ようやく案内が始まり、ほどなくして到着。
「あー、ここか知ってた知ってた(笑)」ってドライバーさん!

そんなこんなで疲労困憊状態で展覧会。
もっと長く居たかったのですが、、嵐会のメンバーから頼まれていたグッズを買い忘れたら怖いのと、うっかりFacebookに東京いくよー!と書き込んだために、ランチしよ!と友達が予約してくれているレストラン、この調子だと絶対に着かない自信があり、
ほんと言うと、かなり駆け抜けてしまった展覧会。。それでも感じたことはあったので、今、パンフレットを未読の状態で感想を紡いでいる。

今度は、じっくり3時間くらい観たい!!と駄々こねしている心境。

松本潤くんは、すごかった。。ドーム規模をあの空間に凝縮した感もあり。
思えば、「どうする家康」を世界トレンドにして、作品が盛り上がってほしいというオタクな想いから、日曜夜はカンペキな布陣で挑み、自分が感じ取れるすべてをかけるように、A4コピー紙を毎回20枚は使いながら、所感を書き留め、それをポストにまとめ、毎回20ツイはしていたので、他にも大河ドラマ館にもいってつぶやいたので、となると単純計算1000回以上はどうする家康でつぶやいてきたことになる。。
人生でここまでオタク魂を発揮したことがあったろうか。。

23年間大野智くんをメインに応援してきたけれど、仕事メインの私はその歌声を聴いてそれだけでほぼ満足で、彼のドラマなども老後の楽しみにとっておいてあり、応援してきたといってもCD買ったり、雑誌買ったりの。。

ここまで自分がするというのも、自分でもびっくりだし、友人も私があちこち行ってることに驚いている。なんだろうな、嵐くん愛がここまで自分のなかで強いことにびっくりだし、嵐が活動休止の今こそ、なにか力になりたいのかもしれない。大変なときこそ、友でいたい。

松本潤くんの展覧会すごかった。。これもまたトレンドを目指しているため、感想はここでは割愛。

東京旅は、楽しかったけれど、やはり私は羊のショーン。。
スマートには行けなかったけれど、どたばたもまた、楽し!
東京旅、後半は友だちたちに会えて、ずっと案内してくれたので、なんなら東京を発つ23時発の夜行バスに無事乗り込むまで見送ってくれたので、優しい友がいるから、東京も優しく感じた旅でした(そして2日後には浜松大河ドラマ館に行くという猛者の私)

きっとまた、いつか。
展覧会が最後の一瞬まで、無事故で成功して終わりますように。
そんな願いを今日はMAXもちながら過ごします。

松本潤くんのエンタメは最強でした!!(*^^)

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