家康への道~穴山梅雪役田辺誠一さんのトークショー(メモ記録)

「心には寛ぎが与えられなければならぬ。
心は栄養によって、前よりも一層よき鋭さを増すであろう。
肥えた畑は酷使してはいけない。つまり、一度も休耕しないで収穫だけを上げるならば、畑はたちまち不毛の地に化するであろう。
それと同じように心も休みなく働くと、その活力をくじかれるであろうが、少しでも解放されて休養すると、再び活力を取り戻すであろう。
心が休みなく働くことから生じるものは、或る種の無気力と倦怠感である。」『人生の短さについて』セネカ著、岩波文庫

人にはどれほど寛ぎが必要であるか、それを最近しみじみと思う。
寛ぎの中には、エンタメをゆっくりと楽しむ、
それはまるで美味しく淹れられたコーヒーをゆっくりと味わうような、そんな時間が明日への元気にもなっていくことを感じて、
行事も続き激務ではあったが、初めて大河ドラマ「どうする家康」のスペシャルトークショーに参加させてもらった。

まず驚いたのは整理券配布が12時からなのに寒い朝から並んでおられ、配布12時には長蛇の列であったこと。ちなみに講演は16時30分からという長い時間待つことになるにもかかわらず、苦労を厭わない。
長い列に長時間並んででも、大河の息吹に直接触れたい人たちの想いにあふれかえっていて、初めて見るその光景にまず圧倒された。

芸能人の方たちは、ここまでの努力をして観衆の皆さんが楽しみにしていることは知っておられるだろうけれど、本当にすごい仕事だと思う。

この期待を受けとめて、丁寧に返していく仕事でもあるのだから。

そう思って、大学構内の秋の風景をみたり、平山優先生の講演も拝聴できて、なんとも贅沢で幸せな時間を過ごさせてもらえた。平山優先生が事前に用意された資料はすごすぎて、これを無料でもらっていいのだろうかと思うほど。

そして主催される京田辺市のスタッフの皆さまが一生けん命にこのイベントを盛り上げようとされてる姿。
大河ドラマのイベントは運営、計画、警備、準備、役割、構成、手配、片付け、、それはもう無数の人の多岐に渡る努力によって成り立っていて、、
それは市長あいさつを聞いたときにも思ったけれど、これで少しでも自分の町のことを知ってもらいたい、地域活性したいという願いもかけておられて、大事な役割を担く「大河ドラマ」の大事な側面をみせてもらえた。

家康公はこうして今なお、人の心を動かす力をもっていることも、みなさんからの熱意から感じて感動した。

前置きが長くなってしまったが、ここからが、いよいよ田辺誠一さんと制作統括の磯智明さんのトークショー!
ほぼ全文書き留めたものの、解読できない文字などもあり、抜粋になりますが、書き残しておきます。

NHK京都のアナウンサーの方が司会進行され、はじめに、
司会「今日は起こし頂きありがとうございます」に
田辺「京田辺市のどこへ行っても、田辺、田辺とあり、初めて来た気がしない(笑)」
磯「京田辺市は田辺家発祥の地なんだよね。田辺誠一とは運命だね」
(ここで過去の田辺誠一さんの大河出演の作品の映像が流れる)
1998年徳川慶喜
2007年風林火山(穴山と同じ武田方の役)
2021年青天をつけ
2023年どうする家康

磯「2007年もぜひ田辺誠一さんで、とお願いした。田辺誠一さんのもつ、穏やかだけど、どこか影がある。ミステリアスだけど、その目に力がある。新鮮で楽しめることが想像できた。」
田辺「今まで演じた役が結構徳川家康関係の役が多くて。改めて本当に徳川家康ってすごいなって。個人的には徳川慶喜が大変だったから、10年は大河いいやって思ってて(笑)、そこで風林火山が大変だったけど面白くて。青天をつけをして、次にこの穴山の話がきたときに、「これはやらなきゃ、やらせて頂かなきゃ」って思って。
歴史がどんどん年齢もあるのか、どんどん惹かれる。こういう骨太のものを演じるもの楽しい。

(どうする家康の登場シーンの映像)
田辺「オファーがきたとき、穴山は歴史上であまり知られてはいないけれど、深い、太い。でもその一筋縄でいかない人生を、演じてみたい。
あと一番大きいのは武田家から離れるので裏切者のレッテルをはられてる。
でもそんなシンプルではない、誤解があったら解きたい。
ひとつの彼の人生を貫きたいと思ったから受けた。」
誤解を解きたいという言葉に対して

磯P「田辺さんにお願いしたのは、武田を裏切り、徳川になぜ変わったのか、小沢さんはキーマンとしてやろうとしている。」
司会「キーマンとして依頼。キャスティングとして前の風林火山の印象が強くて、でも今回は違ってて、忠義しながらも、ところどころ心が欠ける、穴山という人で。武田家と知的、策略を司る、それを田辺さんに演じてほしいと?」
磯P「風林火山のにおいをひきずりつつ、武田家のカラーを俳優さんで出せるといいなという。はじめから勝頼まで仕えて。タイミングは決まっていた。古沢さんがいい感じで描いてくださってた。」
田辺「今日はじめてそれは聞きました。作品って、くる役をどういう風にってやはりすごく大変なことだけど、うまくいったときの喜びはすごい。
声をかけて頂いた、うれしいです。」
磯P「恐縮ですよね」

司会「二人の主君に仕えて思ったことは。武田信玄と勝頼。勝頼に「引くよりほかない」など、勝頼はどんな人物だったのか」

田辺「信玄に対しては忠心がすべてである。実は武田信玄役の阿部さんとは、18歳の時モデルをしていた時からのお付き合いで、頭が上がらない。すっと背中をみてきたので、もう信玄でした(笑)
ピリっと背筋はのばしておられて。怖くはないけれど、楽しい方ですが、ピリっとします。

勝頼は尊敬の念は年下だけどある。風林火山で勝頼役のゴードンくんのお父様千葉さんが楽しくも厳しい方で、一緒にものをつくってきたので、
その息子ゴードンくんなので、「息子さんだ」と。「信玄の息子」「千葉さんの息子」というのが意識にありつつ、この人もなにかすごいものをもっている、実践でも残している勝頼。
基本的には武田に対する想いはあって、自然に思うことが演技に出ていた。この二人なら、穴山梅雪はこう演じようと。

二人とも人の上に立つ人で、いかにサポートできるか、舵取りに似てて、うまく風にのせて船をすすめるか。
僕は上に立って、人をひっぱるタイプではない。穴山もそうなのか。何か自分の信じるものに対して、自分の信じる人を生かしていく、そうがっちり思える二人でした。」

磯P「大河ドラマは、徳川、武田、織田とあり、撮影期間は順番ではない。
一か月後に集まったり撮影の合間があく。それをあたかもずっと演じてきたかのように演じる。みんなが集まったとき、きちんと毎日顔を合わせていたかのように演じている、それは全家。

そしてどういう人を組み合わせるといいのかな?というのはテーマとしてあって、阿部さんとの関係と役者同士の関係性をしっくりさせていくことになる。」

司会「印象的なエピソードは?」
田辺「ゴードンくん。年下なのに年上かと思う。落ち着いてる。
あと特殊メークで3時間くらいかかる。ヒゲなんかは一本いつけていく。途中頭は坊主になったのでそこはなかったけど、大変。
ヒゲは一本一本二時間はかかり、じっとしてます。」

磯P「家康は特殊メークに3時間。撮影技術が発達して、つくりものってわかる。丁寧ですごく時間がかかる。」
田辺「やってるのでしゃべれない。心の中で、いろいろ考えてた。阿部さんとはいつもの感じで、食堂とかオススメの食べ物あるとか、話してました。」
「家康にとって脅威の武田。今放送しているのは家康はそうとう強くなっているが、この頃はいつ倒されるか常に脅威。どこからか、「学ぶ相手」として描かれている。学んだことは多く、家康も積極的に武田のやり方を取り入れている。織田は同盟者、兄弟だが、武田は家康が絶対勝てない現実の人。
三河をひとやま越えたらいる恐怖。いつ攻めてくるかわからない。強敵。
自分がいつ殺されるかわからない、常に畏怖しつづける存在。」

映像(穴山と千代が、築山を訪れ、瀬名のはかりごとに感銘していくシーン)

田辺「梅雪にはすごく大きな一歩。現実をみて受け入れないといけない状況、でも受け入れたくない。何ができるのか、瀬名の泰平の世をつくる、これが一番現実的に、生活を守るための道に思えた。
ただの夢ということも正論だけど、実現できるような現実的な裏付けがあって、穴山がのった。
説得力を感じたんでしょうね。心境の変化。ここの場で確信するしかない。
勝頼のところに判断を仰ぐが、私の気持ちはここでかたまった。

しかし勝頼は父を越えたい気持ちが強かった。
その気持ちもわかる。大変ななか、家督を継いでいる。親が去り勝利の判断を受けられない、自分にこうと見立てられない、そこにドラマがある。

司会「葛藤のある人物をして制作したのですか?」

磯P「穴山がなぜ裏切ったのか、武田信玄がなくなり、武田に見切りをつけたのではなく、徳川にシンパシーを感じたという動機づけがしたい。どうやったらできるのか。
瀬名と信康が武田と内通していたという事実に、仲介した人を穴山とし、メッケイという中国医師の名にした。
メッケイは瀬名の不倫相手とか、一定の史料にしかでてきていない。

穴山をメッケイと同一人物にして、瀬名に接触した、ということにした。
田辺さんはだからこそ、穴山梅雪という、この二面性、深さを演じてくれる人で。
どうしたら、徳川にシンパシーを感じるか、瀬名が穴山を動かせる言葉とは。瀬名の夢物語というのは、元ネタがあって、平山先生の知恵をかりました。
今川義元、武田、北条、三国同盟時代があり、その時代は領土を侵さず、協力しあっていた。この仕組みを、徳川、武田とその周辺に適応できないか、という発想を瀬名がもったらどうか?
織田で世の中はぐちゃぐちゃになっていた。瀬名が再構築をしようとし、学のある穴山が同意したという。」

司会「穴山のキャラクターは徳川との盟約に繋がる?」
磯P「シーンや成り立ちが大切で、大きな分かれ目、転換期にあった。泰平の世を築く、このあたりに、幕藩体制の基礎もでてきていて、穴山は、その思想の成り立ちのキーたる人。」

司会「松本潤さんとの初共演はどうでしたか?」
田辺「あ、家康だって思いました(笑)いやむしろ潤くんとは20年ぶり、久しぶりで変わってない部分もあって。大河は撮影入って、半年は会わなかった。武田家は毛むくじゃらで、黒沢映画ですかっていう感じなのに(笑)、徳川家は、綺麗、さわやか!光ってて楽しそう。。
徳川軍がバッときた劇中で、家康と対峙して、ピリッとした中で「家康だ」と思った。」

司会「そして主君から離れ、徳川へ。徳川三大難事の伊賀越えですよね。」
田辺「伊賀越えの本当に最後のシーンは、スタンバイ、4時間。なんでしょう、大河は、いろんな人物、いろんんな見方がある。断片的ながら、どこまで表現できるか。セリフひとつにも想いを込める。役者として穴山を演じきらせていただいた。
「我こそは徳川家康!」と穴山が言った。感無量です。
裏切者のレッテルをはがしたかった。これでなんとかはがせた。現実はわからないけれど。」
磯P「裏切りとか、あまりいいイメージがなかったから」
田辺「イメージを変えてくださった」
磯P「古沢さんの人間性が一番よく出ている人物。どの登場人物も、
なぜこういう行動をとったのかを、ちゃんと、こういう考えだからこうした、と。誠実な脚本家さん。古沢さんは、この人物をちゃんと描こう、それをやることによって、武田と徳川の関係も今までと見え方が違ってみえた。

田辺「セリフ「家康とともに」で自然に涙が。それは家康に頭を下げて、勝頼に謀反をした、無念の涙で、演じているときに自然にでた。
本来はこれからつく家康にみせてはいけない涙なのですが、なんですか、
潤くんの演技は、嗚咽している自分を受け入れてくれた。
でもこういう生き方をしていくんだよねとちゃんと受け入れてくれてる。

主君の裏切って得た平穏はむなしい、これは自分のことを言っていた。
潤くんの目をみて、信長にうちとける計画をどこか穴山はみすかしている。それを家康に言う。表情だって、一つの台詞。自分のこの役割で、なにかどこかへ繋がる。」

司会「穴山梅雪の墓参りにいかれたと」
田辺「やっとこれたと、感慨深いものがありました。その方に失礼のないように。レッテルをはがせたら、それを報告しました。感謝と。
磯P「すごい長い時間、手を合わせてたよね。放送前の取材で伊賀越えを、あれは2021年5月。古沢さんと、わかっている所だけでもと。新鮮な気持ちで描くためにゆかりを回る体験をしました。そのなかに、伊賀越えコースの体験で、京田辺市。船つき場は、川を渡った向こう。ここが伊賀越えの入口と。川の向こうは京の街並み。伊賀は山しかない。
この山を越えて三河に帰るのはものすごい恐怖。ここで分かれるのは、一生会えない。覚悟をもってこの山に飛び込んでいった。
京の街から、山の闇にいく。すごい。車もつかって、スタッフと全力でいきました。

司会「会場から事前に質問をいただいていました。どんな気持ちで演じましたか?」
田辺「実際の歴史上に生きていた人物なので、失礼のないように。史実は少しだけど、精一杯誠実に。」
司会「どの戦国武将が好き?」
田辺「溝端くん、かっこよかったですよね。切ないトラウマをかかえている強さ、影のある二番手。心惹かれますね。」
司会「穴山梅雪のどこが好き?」
田辺「正直なところかな、と思います。これ語弊があると申し訳ないですが、なにか信じているものがある。武田。でも違うと思ったら、そこから離れる。それが裏切りといわれたら、そうというより、信じるものの方向が変わる。領民の命を背負っているのだから。裏切ることも正しかった。穴山の正直さが前面にでていますよね」

以上ですが、肝心のところが、、文字が解読できず、うる覚えでまとめたので、完璧なものではありません、、すみません!!どなたかきっともっと正確に残されていると信じて。。

ただ田辺誠一さんの謙虚さ、尊大ぶらない優しい佇まいにすごく感動しました。芸能人をそんなにはみてきてないので、こうして悩みながら、丁寧に仕事に向かう同じ「人間」なんだな、と。そして磯さんの大河への情熱や、古沢さんへの想いを伺って、古沢さんの脚本の根幹はなんだろうと、これはかなり深いテーマかも、と思いながら帰途につきました。

11月5日の日曜日、大河放送日で、バタバタした一日ながら、なかなかまとめられず今日になりましたが、演じておられる方、制作されてる方からの視点を聴いてからの視聴はまた、深く、そして大事に思えました。この画の背景にこうして悩んで、思索して、一生懸命つくっておられるからこそ、大事にみたいなと。人の努力を、大事に思って生きていきたいです。

「どうする家康」も残すところ、あと3話!最終回の最後のシーンはどんなでしょうか、そして自分はどんな気持ちになるのかも、想像つかないです。

最後まで、愛するこの作品を応援していきたいと思います。

このまとめの最後に、吉川英治氏が作品のモチーフをどこに置いたかを。それは「希望的」「積極的」という点。
こう述べています。
「一日の生活に疲れた挙句に、読む小説、例えば夕刊や雑誌の小説が虚無的な、消極的な、或いは自暴自棄といったような小説であったら、それは決してその人の興味にも、心の糧にもならない。だから自分は何時でも希望的であり、そうして明るいことを心がけている。」

高校時代、通学の電車のなかで読んでいた吉川英治氏の「三国志」に感じた、熱い心と、希望。気のせいかもしれないけれど、古沢さんの作品にも、庶民の視点や、生き生きとした躍動感あふれる描き方に、吉川英治氏の情熱の継承のようなものを感じているから、私はこの「どうする家康」が好きなのかもしれない。

格闘の最後には希望がみえる結末と信じて。

(余談)
介護、仕事で目が回るような日々で、なかなか家を長くあけることが厳しいながら、ようやくようやく、駿府に。
静岡駅に到着したとき、あまりにも嬉しくて、気が早って、大事なリュックをベンチにまんま忘れるという失態もありながら(駅員さんが保管してくださっていた)、まっすぐに向かったのは、駿府城があった跡地。
ずっと、ここに来たかった。家康がみていた風景の山々と思うだけで、踏みしめた大地と思うだけで、愛おしい気持ちでいっぱいになるって、、これは完全に「家康オタク」になってしまっている。。確か、松本潤くんを応援するために勉強はじめたのに(笑)

今は公園になっているその場所に腰かけて、空を見る。学生さんたちが、なにか運動練習していたり、親子連れの楽しい笑い声、散歩する人たちの声。
「平和だな。。」
きっと家康がここにいたとき、平穏ばかりではなかっただろうし、様々な苦闘や人間の悔恨もあったかもしれない。
それでも今こうして、太陽が雲間から輝きを届け、優しい空気に響く次の時代のひとたちの笑い声。その中に立つ家康像。それで充分、家康は幸せ者なんだろう。

ずっと居たいような気持ちもありながら、友達との待ち合わせ時間もあり、名残おしい気持ちでいっぱいで、大河ドラマ館のあと、
友達親子と科学館やプラモ館、ランチなど行ったあとハグで見送り、確実にもう時間はないのに、久能山東照宮へバスにかけ乗る。せっかくここまできたからには!!
でももう4時前。。千以上の階段をのぼってしか行けないなか、自分の力を信じて必死で5時の閉門までにと登る。
海がひたすら綺麗だった。静かで壮大で、豊かで、美しい。それが日没とともに色合いを変えていく。
結局到着したものの、目の前で閉門してしまった。
静かに、心をよせながら、暗い階段をくだりつつ、残念だったけれど江戸時代の人たちはここをどれほどの想いでのぼったのか体験できて本当によかった。
慕う気持ちがなければ、挫折するような急階段がどこまでも続くのだから。ながく人が歩いてきた道を自分の足で歩けてよかった。
彼らの心を感じられた。それがそのまま家康のような気がする。

もっと静岡家康旅を計画していけばよかったのだけど、友達が神奈川から親子で私に会いにきてくれることの方がなにより大事で、小学生の息子さんが喜びそうな場所を雑誌やネットで探すことばかりしていた結果、、いけた場所が少なかったかも。それでも静岡市美術館の展示もみれたし、そのスタッフのみなさんもとても優しくて、幸せだった旅。

そのもらった優しい気持ちを持ち帰って、今日はまた新鮮な気持ちで仕事に向かえた。旅っていいな。

大事な推しの松本潤くんが元気にしていたらいいな、と日々思う。きっとすごくすごく大変な撮影だったと思うから。だってこれほどの人物を演じるって、、どれほどの「覚悟」をもって挑んだのかと思うと。。

本当は大河ドラマをみていても、一番心の底にある感情は「大変な努力をして、ここまでありがとう」その想いだけで。でも、純粋に作品を楽しまないとね!と、どうもエンタメの経験値が少なすぎる私は、こう、流れていく作品が本当は苦手で、じっくり読み返したり、文字を味わうことが元来好きだから、結構な苦戦している、応援ツイート目指せ世界トレンドの戦(笑)

次、次!!と求められ、消費されていく時代だけれど、潤くんのこれからが、豊かで実り多いものになっていきますように。あせらず、じっくりと歩みをすすめる姿をこれからも応援したい。

いろんな人に、感動をありがとう!!!!!

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