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『生物の世界』ーある文化人類学教徒の聖書

わたしはイスラム教徒のフィールドワークなどしているので、しょっちゅう改宗をせまられたりすることもあるのだが、
とりま改宗の予定はない。

世界にあまたある宗教のなかで、”真の神”(イスラムではよくいわれる)がどこかにいるとも思えなかったし(それが偽物だと思っているわけでもない)、日本の宗教観というか、お地蔵さんがあればおがみ、どこの檀家でもないけど気にもせず(指導教員も亡くなってから”なんか自由っぽいの選んだった”と宗派をえらばれて逝ってたっけ)、なゆるゆる状態が身にあっていないとも思っていない。

先日フィールドワークの帰りに経由で1日だけ仏教国に寄ったのだが、そこの人々のふるまいは決してイスラムの民に劣っているとは思えなかった。

そんななかでわたしは時々自分のことを”文化人類学教徒”などとうそぶいたりしているわけなのだが、

その理由は、さかのぼれば『生物の世界』にいきつく。

本書は「住み分け」理論の創始者の今西錦司氏による和製進化論の書ともいわれている。今西氏には、いくつかの誹謗などもなくはないが、わたしは氏が本書を破綻なく書ききっている点で評価している。


で、これでどうして文化人類学教徒になったのかというと、ここには生物が生きるということとは何かが実に淡々と網羅されているというか。
ひさびさに読み返してみて、やっぱりすごいなと思ったのが、今西氏は、宗教あるあるの霊魂と肉体といった二元論を、以下のようにぶった切る。

いやしくも生物という以上はその具体的な存在のあり方として、つねに生きているということを前提しないでは、もうなに一つ考えられないのではないかとさえ思われる。

今西錦司2002『生物の世界』p34

生命をさえ、これを一種の物としてでなくてはその存在を考えることができなかったというところに、二元論の幼稚さもまたその誤謬もあったのであって、これからひいては肉体は仮りの物、あるいは肉体は滅びるが霊魂は不滅であるなどといったような考えも、導き出されるようになったものであろう。

今西錦司2002『生物の世界』p34-35

しかし生きた生物をはなれて生物の身体なり構造なりの存在が考えられぬ以上、そしてまた生物の身体なり構造なりがもとは一個の細胞から生成発展したものであることがわかった以上、かくのごとき二元論の成立しうる余地はもはや寸毫といえども残されていないのである。

今西錦司2002『生物の世界』p35

ここで氏の述べるのは、生物とは足の本数やとげの形状といった博物学的特徴にあるのではなく、そうした体をもって、どう食べ、どう敵を避け、どう動き、どう泳ぎ、どう「生きて」いるのかこそが、その生物の生物たる本質であることを指摘する。
この「寸毫」の書きっぷりには、わたしはいつものけぞる。

魂のないところに肉体はないし、肉体なくして魂はないのである。その一致にだけ「わたし」はある。

だから、わたしの「霊魂」などというものは存在せず、それが行くであろう天国も地獄も審判もなく、わたしという有機物的生命は、死すれば無機物的生命に変わり(解体していく)、それによってまた世界の「生きる」に参与していく、そういうことなのだろうと思う。


でも動いて「生きて」いることって、どうやって「みる」ことができるの?という問いに対してこたえになるのが生態学的なものの見方である。

これについては梅棹忠夫と吉良竜夫による『生態学入門』がよくまとまっている。

問題に接近する道に、2つの型がある。1つは発生論的位置づけであり、1つは機能論的位置づけである。
発生論的geneticな接近とは、生命の遺伝的geneticな連続をたぐることである。何から何が生まれ、それから何が出たかをいう。それは、自然における人間の系譜つくりgenealogyである。

梅棹忠夫・吉良竜夫1976『生態学入門』p25-26

機能論的functionalな接近とは、ものとものとの関数的functional関係をたぐることである。何は何を動かし、それがまた何に関係するかをいう。それは自然における人間の役割、人間における世界の他の構成要素の役割をあきらかにする。その立場は、より具体的であり、より総合的であり、より動的である。

梅棹忠夫・吉良竜夫1976『生態学入門』p26

主体と環境ーすなわち生活体と生活の場との関連は、相互的である。環境が主体におよぼす作用を、われわれはアクションactionとよび、主体が環境におよぼす作用をリアクションreactionとよぶ。アクションとリアクションとは、つねに相互的かつ同時的に作用する。生活の場を構成する諸事物は、その場に生活するものに働きかけて、その生活の内容をあたえるとともに、それを制約し拘束する。同時に、生活する主体は生活の場の個々の事物に働きかけて、その存在の意義をみとめるとともに、それを変形し、改造する。

梅棹忠夫・吉良竜夫1976『生態学入門』p35-36

相互作用の過程はとどまるところがない。変形され、改造された環境は、新しい仕方において主体に働きかえす。すでにして場の影響をうけた主体は、さらに新しい仕方においてまた環境に働きかえす。アクション・リアクションの作用様式は、相互的・同時的であるばかりでなく相加的・漸進的である。あらわれた現象は、その物理学からの借用語がしばしば誤解せしめるような力学的な均衡系ではない。それは、つねに矛盾をふくみ変化をはらみつつ動いていく運動系である。

梅棹忠夫・吉良竜夫1976『生態学入門』p36

たえず環境に働きかけ、環境をみずからの支配下におこうとして努力しているものが生物なのである。

今西錦司2002『生物の世界』p78

これらの文が何を意味しているのかというと、環境に対し、すべての生き物は主体性をもって相対しているということなのである。
それは、環境決定論の批判でもある。だからこそ、繁殖行為を生物の環境にたいする投機とみなす自然淘汰の論はここでは否定される。

わたしの研究は、この環境と取っ組み合っている主体、というみかたで、人間の暮らしを読んだらどうなるのか、食べ物と人、住居と人、宗教と人の関係を、力学的に均衡しない「運動系」としてとりだすことができたらどうよむことができるか、というところを意図してきた。

だいたい『生物の世界』では、民族についてはまったく書かれていない。

生物は住みかをひろげ、生活の仕方が変わったときに別種をつくりだしているようだが、人間はなぜ別種をつくりだすのではなく、民族をつくることで、異なる環境への適応をはたしてきたのか(いまだ相互交配可能)。
民族とは何だろう。
これが位置づけられていない。


それは残念なことだが、もとより本書のタイトルは『生物の世界』なので、そのへんは自分でやればいいということなのだと思う。

人間には意識があるから他の生き物より高等だ!と思いがちだが、
人間には、意識で制御できていないのにできている、ということが実はとても多い。
たとえば暑いから汗がでること、
意識的に汗を出そうと思っていなくても出てくる、
しかもそれは体温調節にとって、とっても重要だったりしている。
まるで植物の蒸散である。
そういった意識をともなわないけれどクリティカルなこれらの現象を、今西氏は人間の体の「植物的部分」と呼んでいる。
こういうふうに考えれば、植物だって「意識」をともなわずに、周囲の気温を認識し、必要な対処をしていると考えてまったくさしつかえなくなってくるのである。

だいたいわたしの「意識」というものだって、「類縁の近い」(自分が認めた価値あるものとの比較でしか)ものしか認識できていない「ポンコツ」なのである。
わたしは、人類は、植物や動物やほかの人類のいとなみは辛うじて「みえる」が、星の運行もバクテリアも何もみえてはいない。

どうでもいい話だが、わたしは生まれは関東者なので、ネギといえば深谷ネギのようなぶっといネギだけがネギだと思っていて、それ以外まったく目に入っていなかった。最近出た料理書に「コネギ」を使うべしと書いてあって、なんだそりゃ、そんなもんそのへんで買えるのか?と思ったらどこにでも売っていて愕然としたことがある。

学問とは、社会の、わたしの、せまい視界を、普通じゃない手順をふむことによってすこーし広げる行為なのだろうと思う。

そしてわたしは「みりゃわかるよ」とか「忘れたりしないって」とかいわずに、目の前にあるものをせっせと端から端までノートに書きとったりして、あとで「こんなデータあるんじゃん!」と自分で驚いたりすることをくりかえすのである。

わたしの「認識」がもしも森羅万象をとらえられているのなら、異文化に接した際の「えっ?」など存在するはずがない。わたしの認識が一部しか民族の世界をとらえられない仕組みになっていることに気づけるからこそ、わたしは調査に行く。

形態の本来の意義はその生物が生き、自然に生活している状態において求められねばならない。

今西錦司2002『生物の世界』p89-90

そうしてわたしはフィールドでさまざまな家族に出会った。そこには子供があふれかえっている牧畜民の世帯もあった。
次の世代や次の人類学の学生たちということを考えたとき、わたしはまた『生物の世界』にかえった。

親の身体に無限な生活力・適応力・想像力がないからこそ、子供の身体に変わるのである。

今西錦司2002『生物の世界』p166

最近反出生といった思想にふれる機会などがあったのだが、ほかにも「産まれてもこんな時代じゃ幸せになれない」「こんな目にあわせるくらいなら産まないほうがいい」というものいいもあった。そうしたものいいは、実は昭和の時代からすでにあった。
人はいつもそういった思いを持つものなのだろうか。それとも今は極めつけにわるい時代なのか、それは、わたしにはわからない。

子供がいると、今の世の中こわいわよう。公害に異常気象に資源危機……もうこの地球、特に日本は長いことないんじゃないかって気がしてならないの。私だけなら、たとえ死んだところでもう長いこと生きてかなり楽しいこともあったんだし、まあいいじゃないかと諦めもつくから、別に今更決定的にこわいものはないけれど、幼い子供が飢えや寒さに泣き叫ぶ事態を考えるとたまらないわよ。

桐島洋子1983『りんごの木の下で』p60-61

しかしこれに対する今西氏の返答はすごい。

もとのままの繁殖率をつづける場合には、この世がいわゆる生存競争の修羅場と化するだけであって、それも無益な抗争を好まぬ生物にとってはふさわしからぬことであろう。だからこの矛盾の生物らしい円満な解決というのは、その生物社会が食うものと食われるものとの分業に発展することによって、繁殖率を減退させずともその飽和状態を持続することにあるだろうと思う。

今西錦司2002『生物の世界』p126

う~ん、これは人間の場合はどういうことになるのだろう。

いずれにしても、生物のなかで妙な動きをとりつづけている人類の未来に、民族の未来に、明確な答えはない。
親も、わたしを産んだときはそれが氷河期世代などというとんでもはっぷんの時代だなどということは想像もしていなかったと思う。
わたしの指導教員は…とはいっても、わたしは望んで院に入ったので、その後におこることは教授に問う類のものではない。が、ある晩皆でだべっているときに急に研究室やってこられ「もう皆研究なんてやめちまえ!」と荒れておられた時期があったなあ、とか。
でもまあわたしはとりあえず楽しくやっているので、なんだかなぁとは思っている。

しかしどうもわたしは幼少のころに「南極物語」などみて育った世代なので、人間のほうは殺してくればよかったなんていってても、犬は元気に極地に生きていることもある、と思っている。
死ねといわれたって、生きる。
生命という他者には、その強さがあることもある、とわたしは思っている。

生きるということこそは生物という有機的統合体における指導方針でなければならぬ。生物においては生きることそれ自体が目的となっていなければならぬ。

2002『生物の世界』p58

それにしても越冬隊長(西堀栄三郎)が南極に行く前からすでに宗谷では無理といわれていたのに、それでも宗谷で行ってああなったわけで、犬も日本的なお役所仕事のとばっちりを食っただけ、という気もしないでもない。

私は南極行きの準備をしているときに、この宗谷という船の青写真を持ってオーストラリアへ行きました。メルボルンにキャプテン・ディビスという船長がおり、この人は南極へ何べんも偉い学者を運んだ船長で、南極については最高のベテランです。このキャプテン・デイビスに「宗谷」の青写真を見せたのです。「宗谷」は大きな船です。私は自慢のつもりで、こうして、こうなって、ああなっておりまして、鉄板の厚さはこれだけありまして……といって説明したら、彼は「こんな船はいかん」というのです。

西堀栄三郎1972『石橋を叩けばわたれない』p43


さて、死後の霊魂のゆくすえを考える必要はないとわたしはいったが、わたしに特定の宗教がないとなると、そこに審判などの生前の善悪などを裁くシステムはないことになるのだが、宗教がなければわたしたちには良心のよってたつところはないのだろうか。
今西氏は次のようにいう。

生物の生活ははたして浅ましい畜生道に終始しているであろうか。そもそも生物がそのようなものであるとしたら、花はなぜ美しいのであろうか、蝶はなぜ奇麗なのであろうか。

今西錦司2002『生物の世界』p175-176

生物が意図するとしないとを別として生物が次第に美しくなっていった。よく引き合いにだされる例でいえば、中生代の海にすんだアンモン貝の貝殻に刻まれた彫刻が、時代を経て種が成長するにしたがい次第に緻密に繊細になって行ったというが、そこにいわば、生物の世界における芸術といったようなものが考えられはしないであろうか。もちろんわれわれ人間の場合と同じではないが、そこにいわば生物の世界における文化といったものがあるのではなかろうか。

今西錦司2002『生物の世界』p176-177

というわけで、わたしはわたし以外のものにはなりたくないと思っている。

そういうわたしのまなざしから、世界を、その生物の主体の一つ一つを、敬意をもっていますこし見守りたい。

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