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往復書簡 限界から始まる【読書記録】

さかのぼること10年以上前。大学生の頃に、ジェンダー論の授業を取っていた。

その授業はシンデレラのような、これまでの物語で描かれてきた受け身な女性を批判的に見る内容で、「女性も男性と同じように生きるべき」「弱くて守られる存在ではなく、女性も強くあるべき」というメッセージ性の強いものでした。


けど、単位のためになんとなく取っただけの授業ということもあり、当時はジェンダーやフェミニズムというものがあんまりしっくりこなくて、

「ふーん、そういう考え方があるんだな」

「女性は弱くても別にいいんじゃない?」

なんて、漠然と思っていました。




そんなわたしがフェミニズムに関心をもつようになって数年が経ちます。
きっかけは、TwitterなどのSNSやインターネット。
それらを通じて、これまでの女性の生き方や扱われ方について、声を上げている人たちの言葉を何度も目にしてきました。


女性の置かれている立場や、これからの生き方についてまだまだ学びたいし考えていきたいし、理不尽だと思うことにはどんどん声を上げていきたいと思っています。


これからもっとフェミニズムやジェンダー、女性学の知識を増やしたい。
そう思っていたところで知ったこの本、ずっと気になっていて、ようやく読み終えました。



上野千鶴子さん・鈴木涼美さんの『往復書簡 限界から始まる』という本です。

「母と娘」「自立」「男」など、12個のテーマについて、上野さんと鈴木さんのふたりが、往復書簡でやりとりしていく形式。
鋭く緊張感のある言葉のやりとりを前に、少し読んでは考えさせられ、を繰り返していたら、読み終えるまでにすごく時間がかかってしまいました。

けど、そうやって読みながら考えるのは好きです。脳が刺激を受けて、思考が整理されていく感じがする。



互いが自分の過去を引き合いに出しながら、論理的に、クレバーに、静かな熱をもって、心の奥底にある思いをさらけ出しているような感じ。少し考え方の違うふたりが、お互いを尊重しながらも違うと思うことははっきりと伝える。

とても明晰なふたりの、こんなにも重厚な対話を文章で読めるなんて本当に幸せなことだな、と思いました。



とくに印象に残ったのは、「結婚」「自由」「男」の章。

結婚による経済的な結びつきは古いというような感覚が確かに育つ中、結婚の持つ絶対的な求心力はそんなに損なわれていない。それは結婚以外の相互扶助の選択肢があまりにも少ないからなのだろうと思います。
p.92


そう、今の世の中の仕組みでは、結婚することくらいしか、公的に助け合えるパートナーとして認められる手段がない。恋人や事実婚では認められない部分もたくさんある。

わたしがフェミニストのなかでは少数派にあたる「表現の自由」派に属するのはそのためです。「想像力は取り締まれない」と思うからです。
けれど、そのことは、わたしがある表現を不快に感じることを妨げません。あなたが不快な表現をすることをわたしは妨げない、それどころかあなたが不快な表現をする「自由」をわたしは擁護する、だがその表現をわたしが不快であると感じ、それを表明することも「自由」だ、と。
p.296


この考え方、すごくしっくりきた。自分がぼんやり考えていたことに、形を与えてくれたような文章だと感じました。


ところで、どうして性暴力の問題を解決しなければならないのが、被害者側である女性なのか、わたしには理解できません。
男の問題は男たちが解くべきではないのか、なぜ女性からの信頼を失墜させる痴漢男性に男たちは怒らないのか、なぜ痴漢撲滅の運動を男性たちは起こさないのか、それどころか女性からの告発を不当な訴え扱いして「痴漢冤罪」説ばかり主張するのか、セクハラ男に最初に怒ってよいのはセクハラしない男たちなのに、なぜ彼らは怒る代わりにかえってセクハラ男をかばおうとするのか、風俗を利用する男たちはなぜそれを恥だと思わないのか……
ほんっとに男って、謎だらけです。
p.320,321


本当にこれ。言いたいことを全部代弁してくれている。この一連の文章に、全てがつまっていると言っても過言ではないとすら思いました。


女性をとりまく12のテーマ。
世の中には、変えていかなければいけないところが、まだまだたくさんある。
だからこそ、このふたりのように、女性として生きていくことをこれからも深く広く、何度でも、考えていきたい。

きっと、わたしにもできることはあるはずだから。

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