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泥ついた雪

札幌の冬も終わった。雪解けと共に放り出せるもの何かあるかな。 俺が音楽をかけたい時、哀しみや、陽気さに隠れた不器用な痛みを分かち合いたいと思ってる時だなと思う。そんな場合、あまりDJに向いていない。 最近の主語が「札幌」「若者」になってて、いまだにnot for meと思ってしまうことへの執着ばかり考えている。ずっとこうだったし、ずっとこうなのだろう。荒れた唇が気になって仕方ないけど、どうしようもないから薬をつけて気にしないことにした。 焚き火ストーブのある家に暮らした

    • party

      用意されている世界とは、自らが無意識に用意した世界のことであり、逆を言えばそれ以外を疎外したことによって初めて肯定できた、限られた境界のことなのだと思った。 青春性とか、瑞々しさとか、ひりつきとか、そんな言葉を掲げてきたけれど、みんなが大人になっていくなか自分はずっと男の子をしている。いや、周りも大人になっていないのか。一回性、有限性、村上隆が絵を描く理由を尋ねられたとき、スタッフを食わせるためと言っていたとTwitterで見たことがある。もうXか。 ありとあらゆる種類の

      • 111723(秋の風)

        恋人と付き合ってから2ヶ月が経過した。 言葉にするのが多少躊躇われるが、今でも天使みたいなひとだなと思っている。無邪気で脆い、きれいな心の部分が彼女にはあって、その脆さに持っていかれないようにか幾重にも客観のプロテクトをかけているように見える。 そのせいか彼女の好きなところを考えた時すぐ頭に浮かぶのは不機嫌さの滲む口角で、いつも複雑な感情を示すようにうねりを湛えている。おれはとりあえず笑顔が先に立って、それから不満を漏らすことがコミュニケーションにおいて絶対不変の礼儀だと

        • 雑記 (10.25)

          ・村上春樹が書いたノルウェイの森が好きなのだけど、その中の台詞に「なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。」というのがあり、その感傷的な決意を自分と重ねて読んでいた頃もあったのだけど、改めて読み直すと数ページ後には“ヒロイズムに溺れた主人公には見えていなかった無様な注意欠陥、により傷つく他者”みたいなものを物語は意地悪く配置していることに気づいた。 ・言葉にするのも野暮ったいことはたくさん

        泥ついた雪

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        • 雑感
          2本

        記事

          9/21.4 日記

          身体に刺さるような冷たさを感じている。秋の到来はもうすぐなよう。 だらり時間を持て余した朝のお供に小袋成彬の「Strides」を再生したのだけど、ちょうどこのアルバムがリリースされた時の温度感もこれくらいだったなと思い出した。寒さの中にいた方が暖かさを特別に感じられる。 今年の9月は毎週のように全然違う感情が自分の中に現れては翻弄してくる、不思議な時間が流れていた。これまで夏になれば全て溶けて楽しげな風になると思っていた。だけどその曖昧さを疑えるようになったし、季節を信仰し

          9/21.4 日記

          9/10 日記

          あなたの可愛い後輩ですよ、とか、みんなの気の良い兄ちゃんですよ、とかは好き勝手言えるし、何ならそのオレはGOODBOYだと思う。オレのことをオレが救ってやりたいが、どうしたらいいのだろう。いつもここで立ち止まってしまう。誰かについて考えていたら自分も救えてしまっていた、という遠回りが1番分かりやすいけれど、ズルじゃないかしら?ズルしてでも幸せになりたいとか、救済のための自己破壊も厭わないぞとか思っていたけれど、そういうのに白けてしまった。 オモコロの編集長である原宿とテレビ

          9/10 日記

          9/6 日記

          これまでずっと自分はファム・ファタールの到来を待っていると思っていたけれど、いざ現れると暴力性に驚いてるうちに全てが終わっていた。またしても対岸の火事をただ眺めていた。夏の終わりは訪れたけれど、意思によって覆せるはずだ。 おかしなことばかりだし、悪役にも悪役なりの都がある。だからみんなの都合をちゃんと理解してやるせなさの中で誠実に生きようとしていた時期もあったけど、やめた。それなのに今回に至っては悪役まで自分のもとに相談に来ていて、混乱している。全てのナイーブを引き受けた先

          9/6 日記

          9/1 日記

          人生5回目くらいの「ノルウェイの森」を読み終えた。長編小説と呼ばれる類の中では一番読み直した回数が多い作品だ。今のいのちに生まれ変わるちょっと前、世界の仕組みや禍々しさについて本当に訳がわからなくなって、何も手につかなくなってしまったひとときがあったのだけど、そんな時にふと読み直して、その物語世界にひどく引き込まれてしまったことがあった。 主人公と違い僕のリアリティの中では幸い誰も死ぬことはなく、だけどコロナウィルスの流行や身の回りの人間関係など様々な混乱が目くるめく現れて

          9/1 日記

          同じところをぐるぐるとしているため、書くようなことはない 思ってることは波のようにいつだって形変えながらずっとある

          同じところをぐるぐるとしているため、書くようなことはない 思ってることは波のようにいつだって形変えながらずっとある

          逃げる / 日記

          忘れたくないなと思っても、ほとんどのことは忘れてしまう。それでも忘れたくなかったという気持ちの形くらいは覚えていたい。一人称を「オレ」にしたのは小西康陽リスペクト。あまり整形していない文章。 1/17 本当に眠たい。頭が働かないし、動けない。沈み疲れている。動かない体に鞭打って荷造りをする。 リュックにパンパンの衣類とコーヒー道具を詰め込んで大学へ。ポートフォリオを作る授業、どのくらいちゃんと作ろうか迷う。こういうところで手を抜けるのはオレの愚かさと賢さだ。5限の英語は

          逃げる / 日記

          Sometimes Life (doesn't) go on | 日記

          あけましておめでとうございます。これは最近考えていることや音楽のリンク。 名言集であったり、人生を変える言葉botみたいなものが好きだった5年前くらい。そのほとんどを忘れてしまったけど、それらを読んで感じていた真実めいた寂しさは自分のなかにずっと残っている。俺はずっと何かが欠けているような思いで生きていて、ないものねだりばかりしてしまう。こんなに楽しいことばかりなのに? だいぶ酔ってしまった。成人式のために友人の多くが帰省していて、お祭りのような年始だった。記憶がなくなる

          Sometimes Life (doesn't) go on | 日記

          you cut your hair but

          自分を含む、親しい友人たちに向けて書く。 正解も、居場所も、大丈夫も、ただあるものではなく作るものだな。ここ数年はnot for meと感じる場所ばかりだった。その寂しさと、どこかには自分の居場所があるはずだという(半ば幼稚な)期待が、様々なことのモチベーションだった。 最近気づいたのは、人と人は完璧には分かりあえないってこと。違う教えで育って、違うものを大切に思っているのだから、どうしようもない。 だけど時々、お互いのことを強烈に、完璧なほどに分かり合える瞬間がある。

          you cut your hair but

          Cayendo

          春から初夏にかけて残してきた言葉の捉え直しと、そこから続いてきた今までについて。 いつか報われて救われる、という気持ちの厄介さ。自分の中のそういった気持ちを見つけて自己嫌悪に陥ること、何度も繰り返している。 生きていると嫌なことがたくさんある。クソみたいな人や出来事に出会ったり、嫉妬や劣等感で心を満ちたり。だけどそれを人に向けたり、なりふり構わずぶちまけるような人たちには辟易している。どこもかしこも汚い。みんな頑張ってるんだろうなって思ってるけど、実はあまり分かっていない

          Cayendo

          Amsterdam

          下書きに書いてあったことたち --- 叶わなかったいくつかの約束に思いを馳せる。9月の海にはとうとう行けなかった。髪を染め直して、部屋掃除で見つかった線香花火を幼馴染と一緒にやって、夏を納めた。一瞬だけアッシュブラウンにしたのだけど、本当に誰にも気が付かれることがなかったな。一人でそうかと頷いていました。 --- 思い出も感情も、消えていくものだと思っています。残って欲しいから私は写真にしたり、動画にしたりするけれど、それでも残るそれはやっぱり実物と少し違くて(だけど

          Amsterdam

          c

          「コーヒー」という飲物を中心とした文化体系が、私のアイデンディティの大きな1つの要素になっている。 コーヒーを飲み始めたのは小学5年生くらいから。スーパーで1L100円くらいで売っている微糖タイプの紙パックコーヒーを牛乳と1:1くらいで割って飲む習慣が私の家にはあった。元々は見栄を張って、無理をしながら飲んでいた。香りの良さに胸を惹かれていた一方、苦味やコクを楽しめるほど味覚が豊かではなかった。 きっと無理して飲んでいたのが一目瞭然だったのだろう。それを面白がった父は私を

          she

          意味のないことごとを積み重ねているように生きている。 生活とは繰り返しの連続だ。繰り返す毎日が確かにあるから、私たちは「じゃあまた明日」を別れの言葉にできる。 「言葉こそが苦しみの原因で人間を俗世に縛るものだ」という考えが仏教にはある。強く頷いてしまう。それと同時に、俗世に生きる私(たち)にとってそんな真実は気に留めるまでもないなと思う。 みんな別の人間なのだから一生かけたって分かり合えない。そう思う。相手の考えていることどころか、自分が考えていることさえ分からない(だけ