9/1 日記

人生5回目くらいの「ノルウェイの森」を読み終えた。長編小説と呼ばれる類の中では一番読み直した回数が多い作品だ。今のいのちに生まれ変わるちょっと前、世界の仕組みや禍々しさについて本当に訳がわからなくなって、何も手につかなくなってしまったひとときがあったのだけど、そんな時にふと読み直して、その物語世界にひどく引き込まれてしまったことがあった。

主人公と違い僕のリアリティの中では幸い誰も死ぬことはなく、だけどコロナウィルスの流行や身の回りの人間関係など様々な混乱が目くるめく現れては翻弄してきて、鬱のような気分になっていた。藤井風の「死ぬのがいいわ」、曽我部恵一の「There is no place like Tokyo today!」それらを聞くとその頃の感覚を思い出す。淡く引き伸ばされた、ほんとうの悲しみ(がもしあるとしたら)。

対岸の火事をただ眺めていて、何もできない無力感。家庭の暴力や不可解な孤独に晒された友人にセーフティー・スペースを与えるためのあらゆる余裕を自分は持っていなかった。せめて足掻けることは高校を休んで曇り空の銭函へ行ったり、色んな先輩に怒られながら冬夜のビジネスホテルに二人で逃げ込んだり、、それでも性愛的な全てを自分は否定し続けていて、それを卑しく思っていた感情は今でも歪みとして残っている。「私がいつまで元気だったらみんなは満足?もう辛いよ」と淋しい苦笑いで問われた瞬間のことを、まだしばらくは忘れられない。

僕が見知らぬところで果てしないくらい、悲しいことは起きてるんだなと思った。誰かに虐められた人がどこか歪んで、その歪みが誰かを傷つける。それは圧倒的な悪者がどこかにいるわけでなく、みんながちょっとずつだらしないから起きてしまっていることで、仕方ない。(ウクライナ侵攻もミャンマーの内紛も全て僕のせいと言ってしまえるし、誰も悪くないとだって言えてしまう。)だけどやるせない。全ての人間関係は加害性を持つし、人間のしょうもなさはチャーミングだし、つまり、救いはない。(真に平和な世界にポップスは必要ない。しかし真の平和が訪れることなど地球に隕石が降ってくるよりありえない。つまり、)

そういった混乱や、対岸の火事がいかにして落ち着き現在に至ったか、半分くらいはよく分からない。いくつか泣き言を共にして聞いてくれた友人の顔は浮かぶ。(改めて大きな感謝と不気味なキスを。)だけどおおよそ全ては時間の経過と、勉強による構造化によって滑らかになっていったように思う。悲しくもないけど、それがひどく悲しい。

「俺とワタナベの似ているところはね、自分のことを他人に理解して欲しいと思っていないところなんだ。」とノルウェイの森より引用。この登場人物は別の場面で「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」 という台詞も残している。今回読み直していて変に胸に残ったのはそれらの節だった。

ここ3年くらい、色んな人が僕の前で正直な話をしてくれる。それこそ歪みや混乱についてとかね。はじめは何か応えようとしていたけど、あまりかける言葉も見つからないので、なるべく誠実にからかうように接している。みんなそれぞれ解決しない悩みに、不適切な欲望に戸惑っていて、そりゃあ世の中も混乱しているよな、なんて思う。僕らなんて大きな流れから見れば一握の砂でしかない。(ここで一応、「じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他におこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。」という太宰治のステキな言葉を引用することでシニカルからの逃走を。)

僕の周りを強迫観念的につついてくる「頑張りたい」という気持ちはおそらく、そうやって無力ゆえに何もできなかった悔やみからあらわれている。そこで何もわからなくなったことにより失ったもの、結果として得たものは数えきれないほど多いと思う。人生という線路の大きく捻じ曲がった瞬間。

この文章を書くとき、どうしても一人称にオレを使えなかった。きっと自分にとって心の柔らかい部分なのだろう。そこからいくつかの時間が経ち、上手な世の中との距離の取り方、からかい方をなんとなく掴んで、多少の満足と欠乏を揺らしながら生きている。夏も終わる。ほんとのことを言うなら今でも社会って言葉が何を指すのか分からないし、徐々にみんなが周りからいなくなっていくのは寂しいし、あまりに今の自分は彷徨っているし、なあなあに誤魔化してきていた、なんとなく満足な日々がつまらなくなっていく恐怖があるし、ずっと孤高ぶって淋しさの中ひとりで生きていく未来は安易に想像できることはもっと怖い。今日もコーヒーを飲んで音楽を聴いている。

がらんどうになった狸小路、bossaのトルネードポテト、しようもない記憶の集積に見えた美しさへ取るべき態度は苦笑か感動か分からない。けど失われてしまった。

人生って物語じゃないから色気のない時間が存在していて、それに抗おうとするのはもうやめた。無事帰ったり トンカツ食って過ごそう そしてそばにいて

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