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9/21.4 日記

身体に刺さるような冷たさを感じている。秋の到来はもうすぐなよう。
だらり時間を持て余した朝のお供に小袋成彬の「Strides」を再生したのだけど、ちょうどこのアルバムがリリースされた時の温度感もこれくらいだったなと思い出した。寒さの中にいた方が暖かさを特別に感じられる。

今年の9月は毎週のように全然違う感情が自分の中に現れては翻弄してくる、不思議な時間が流れていた。これまで夏になれば全て溶けて楽しげな風になると思っていた。だけどその曖昧さを疑えるようになったし、季節を信仰しているよりも自分で進んで行ったほうがピースサインを取ったまま中指を立てるように、曖昧な表情をしたまま抗えるということを知った。今夏は不機嫌な顔をした友だちが幾人かできて、彼女らのアンニュイな眼差しには大きな刺激を受けた。

頑張りたいよ、頑張れないよを往復をしてきた。そうぐらついてしまうのは、どちらにおいても明確な理由がないからだと思う。救われたかった自分を半ばほど慰めてやれた一方、これ以上にじり寄るのはとても難しいともわかってきて、移ろう街や暮らしを呆然と眺めていた。ずっと一人で生きていくのかと思って、救いという言葉にも白けてきて、だけど諦められないから疎外感のことを睨み続けていた。

だけど突然、ジェットコースターから頼りない天使が落ちてきた。”It’s all over now”だとか、”I’m ready for the blue”だとかを歌う音楽を聴いていたのに、初秋を弾けんばかりのポップスと甘いネオソウルの季節に変えてしまった。言葉が崩れては色んな表情をすることにこそ「ほんとう」だったり、詩性だったりが宿ることを知った。僕が戸惑ってる間に彼女はいろんな理由に棲み初めて、お返しに自分も乗り込んでやったのだけど、ちゃんと嬉しそうな顔を返してくれて、、そんなこと今までなかったから、また戸惑ってしまった。

世界には分からないことがたくさんあって、負けちゃいそうになることばかりだけど、そんな中で「ほんとう」みたいなものを知りたい、触りたいと思うのはとても険しくて、美しいことだと思っている。なるべくそれ(だけ)を信じたいと思っているのだけど(僕の書いていることってずっとこの堂々巡りだなと思う。コーヒーや音楽、交感に魔法が宿ると思っているのもそう)、彼女も少し俯きながらそんな顔をしていて、たまらなく嬉しい。

これまでの季節でいちばん、秋や冬の訪れを喜んで受け入れられそうだ。たくさん胸に残らない映画を見たい。つまらないウィスキーを、当てのない散歩を、知らなくていいことを。形あるものに意味はなくて、そこからきらめきをグッと掴むんだ。もっとわからなくなりたい。

ここで恋人のことを天使って描写するのはいかにもでつまらないし、セカイを類型化させれば僕らはつまらないのかも知れない。けど、そんなのは何も重要じゃなくて!

つまり、僕らの意志があれば夏はまだまだ続くし、落ちてきた天使と出会えるし、全ての欲望は許されるし、世界はここにしかない。

P.S.


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