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Amsterdam

下書きに書いてあったことたち

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叶わなかったいくつかの約束に思いを馳せる。9月の海にはとうとう行けなかった。髪を染め直して、部屋掃除で見つかった線香花火を幼馴染と一緒にやって、夏を納めた。一瞬だけアッシュブラウンにしたのだけど、本当に誰にも気が付かれることがなかったな。一人でそうかと頷いていました。

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思い出も感情も、消えていくものだと思っています。残って欲しいから私は写真にしたり、動画にしたりするけれど、それでも残るそれはやっぱり実物と少し違くて(だけどそれが素晴らしくもあると思っています。強がりではなく!)。

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弱い男 への嫌悪みたいな気持ちがずっとある。男たるもの強くあれ、みたいな考え方が好きなわけではない。強くあるために踏み躙られた権利とか、機会とかって果てしなくあるのだろうから。それでも、吐く血の詩性しか信じられない。強がらないでねって、女の子の友達には心から思っているのにね。男女差別の思想が自分の中にあるのかもしれない。性について何も隔てずにいられている自信はない。

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見えている景色はまるで異なるのに、心ふるわす瞬間が重なることが多い。違いはそのまま恐怖へと繋がることが多いけど、あまりそうならない。その信頼と、これまで築いてきたものの豊かさに驚いてしまう。

漠然とした“世間”のためではなくて、自分や身の回りの友達、いつか未来で出会うはずの愛しい人々、そういった想像力の向こう側にあらわれる優しさは、本当に美しい。

喋りたいことは山ほどあるのに、それよりも心地よい沈黙を優先してしまうのは、確かな信頼がそこに在るから。

 そう、信頼。誰かを信用はできるのに、信頼することがひどく苦手だ。この二つの言葉の違いについて、辞書を引いてみた。以下、大辞林より抜粋。

しんらい【信頼】
(名)スル
ある人や物を高く評価して,すべて任せられるという気持ちをいだくこと。「部下を―する」「―を裏切る」「―性」「―度が高い」「―が置けない」〔類義の語に「信用」があるが,「信用」はうそや偽りがなく確かだと信じて疑わない意を表す。それに対して「信頼」は対象を高く評価し,任せられるという気持ちをいだく意を表す〕

何かを捧げられる/捧げて構わないと思えるような関係性があること、幸せだと思う。しかしそこにはちゃんと個と個である約束があって。改めて、社会に生かされている実感はないけれど、友人に生かされているなぁと思う。非存在がいる、数少ない貴重な人です。いつか星と海を見に行きましょう。

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小袋成彬の「Strides」、ドレイク的だと僕もすごく思っています。前にPodcastで「ドレイクのファン(の女の子)はみんなどこかドレイク(の女々しさ)にイライラしてる」みたいな話をしていたのだけど、今回のアルバムにもその印象がある。だけど一貫した寂しさのフレーバーがどうしても心を掴んで離さない。以前ラジオで、最近は筋トレを超頑張ってるという話を彼はしていたけれど、音や言葉にしても今作は身体性が抒情性よりも先にあるように感じる。それがまた一層深く、切なくて繊細な感情を想起させる。歌詞の書き方が過去2作と違うという指摘がTwitterにいくつかあったけれど、「茗荷谷にて」、「Turn Back」などで示されてきた歌詞世界の描き方と違いないでしょう。また「Formula」の歌詞は「Piercing」以降の、同じ地平の話に感じる。音像の解説等はできないけれど、歌詞やムードについてはどんなTwitterの論客よりも僕の方がわかってると思っています。みんな聞いて!書けたらちゃんとnoteを書きます。歌詞についても7曲全て語れるよ〜〜〜 (追記、書いてみています!

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仲が良かった人たちは気がつけば遠くに行ってしまったように感じる。何についても、当事者意識や先端にいられている自負が失われてきている。
久々にもらえもしないからコンビニで買って、ベランダもないから公園の芝生で息を吸い込んで、とろとろした雲を眺めながらジャケットを焦がした。


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