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意味のないことごとを積み重ねているように生きている。
生活とは繰り返しの連続だ。繰り返す毎日が確かにあるから、私たちは「じゃあまた明日」を別れの言葉にできる。

「言葉こそが苦しみの原因で人間を俗世に縛るものだ」という考えが仏教にはある。強く頷いてしまう。それと同時に、俗世に生きる私(たち)にとってそんな真実は気に留めるまでもないなと思う。

みんな別の人間なのだから一生かけたって分かり合えない。そう思う。相手の考えていることどころか、自分が考えていることさえ分からない(だけど、自分でさえ理解できないのだから、誰も私を理解してくれないという考え方は否定したい。だって分かり合おうとすることに正解/不正解を持ち込むのは色気がないじゃん)。

ただ、大好きな音楽が部屋中に鳴り響いていて、みんなが楽しそうで、それを見て胸いっぱいになる瞬間。様々な記憶を経た関係性が、大きな夕日を見て共に感動する瞬間。そのような、心が溶ける一瞬間はこの世界に絶対に存在する。そしてそれだけは、いつだって生を、愛を、肯定してくれる。そう信じている。

何事も繰り返すと癖が生まれる。考え方にも、珈琲の焙煎にも、言葉にも。

人はどうしたってひとりだけど、そのひとりである自分を知る唯一の方法は、他者の輪郭を触ることだ。そして他者が自分にとって必要だと“思い込む”こと。その思い込みが生む、単調な繰り返しからの飛躍こそが人生の醍醐味だと思っている。

私が私のことを愛せている大きな1つの理由は、自分の構成要素に自信と愛があるからだ。もちろん、そこにはあなたも。

少しずつ、途方もないように感じられていた虚脱感(≒生ぬるい喪失と冷笑の感覚)を解体し始められている。きっとそれにはあなたの存在が大きくて。だから、感謝している。

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