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111723(秋の風)

恋人と付き合ってから2ヶ月が経過した。

言葉にするのが多少躊躇われるが、今でも天使みたいなひとだなと思っている。無邪気で脆い、きれいな心の部分が彼女にはあって、その脆さに持っていかれないようにか幾重にも客観のプロテクトをかけているように見える。

そのせいか彼女の好きなところを考えた時すぐ頭に浮かぶのは不機嫌さの滲む口角で、いつも複雑な感情を示すようにうねりを湛えている。おれはとりあえず笑顔が先に立って、それから不満を漏らすことがコミュニケーションにおいて絶対不変の礼儀だとしていた節があったため、不機嫌がそのまま浮かぶ彼女のある種においての素直さに驚いてしまう。そして親密な時間の果てに不機嫌さが破顔し満面の笑みに変わる一瞬間とは、何度出会っても見惚れてしまう。

彼女はわからないことだらけで不安だとさらりと言えてしまう人で、外が戦場であるとき、自分のための城を作るのがとても上手な人だ。手を伸ばせる範囲の生活を目一杯に愛でている。その上で手を伸ばせない範囲についてある程度の諦念と若干のいじらしさを抱えていて、それが生きづらそうに見える反面、とても素敵だなと思う。並行する(していた)あらゆる可能性へ目配せをできることは、どんな頓珍漢なことも信じられるということだ。

時々その瞬間の煌めきように驚いて目を見開いたり、甘美なひとときにいる自分をいつか訪れる終わりの時間感覚から俯瞰して悲しくなったり、かと思えば下らない冗談を口にして自分で爆笑して眠れなくなったり、彼女の表情や情緒はころころと変化する。

「刹那は、誰の罪でもない。誰の責任でもない。それは判っている。」私は、旦那様のようにちゃんと座蒲団に坐って、腕組みしている。「けれども、それは、僕にとって、いのちのよろこびにはならない。死ぬる刹那の純粋だけは、信じられる。けれども、この世のよろこびの刹那は、――」

少し前におれがあらゆることでうまくいかず、何も思い通りにいかなくて軽いパニックに陥ってしまったことがあったのだが、その苦しみの沼に嵌り彼女の手を求める自分の様を見て恋人が「あぁ、私ってあなたに好かれてるんだな」と初めて実感したように漏らすひとときがあった。しかし鬱屈としたぬかるみの中にいたおれの耳は「私ってあなたに疲れてるんだな」と聞き間違え、ひどく絶望した気分になった。

結局聞き間違いだったことに安堵しそのやりとりは終わったのだが、そこで気付かぬうちに自分らしさやフレッシュさの源泉を彼女に託しすぎていることに思い至った。彼女とおれは抽象化された感情とその捌き方について近いものを抱いているように思うが、それを構成する具体性や、結果として至った現在のリアリスティック / ロマンティックの傾倒加減は恐らくまるで違う。それを見比べて何かを知ったり感じたりすることは非常に新鮮だが、彼女に寄りかかりすぎてはいけないなぁと思う。実際最近の自分はあまりにふやけている……一方で彼女は生活や仕事をとても頑張っている。彼女の可能性を全て刈り取っておれだけのものにしたい訳じゃない。一緒に彼女としたいことが明確にあるわけじゃないけど、一世一代の賭け、みたいなデカい気分を一緒に5回くらいやりたい。できるおれでいたい。

映画などでも生活と対比する形でよろこびの刹那、劇的な物語は配置されることが多い。意味さえ持たずに続くものと、意味を目一杯に含みすごい速さで燃え盛るもの。誰かと一緒に長くいるということは非物語的な時間を共にたくさん過ごすということだ。それを飲み込むことを「落ち着く」みたいな言葉でまとめたくない。非物語に色気や煌めきを見出すことの方がスリリングな体験だ。

確かにおれは彼女のことを好きなおれのことも、おれのことを好きな彼女のことも含めて彼女のことが好きなのだろうけど、それが前景化する季節は秋と一緒にある程度置いてきた。

彼女は「がんばんなくたっていいんだよ」とよくおれに言ってくれて、実はその意味を未だにちゃんと理解できていないのだけれど、それでもその言葉をかけてもらうたび少し泣きそうになる。

裸足で氷の上を歩くようにしか人を愛せないなと本当に思ってきたし、誰も自分を愛してくれないならせめて自分だけは自分のことを愛そうと思うあまり、要求するハードルを超えられなかった時の自分のことを何も好きになれなくなっていて、常に生活に緊張感が張るようになっていた。若干の天然を抜きにすればおおよそのことはうまくやれるようになったが虚しさも付き纏っていて、それぞれの人生にテーマや物語、嵐のような体験が迫り来る様を眺めながら対岸の火事でしかないことに虚脱することの繰り返しで日々は過ぎていった。誰かと関係を持って傷つくよりもパーソナライズされたsnsやおすすめ欄から出会う映画や言葉などのコンテンツの方が感傷的な気持ちを手っ取り早く気持ち良く自慰できたし、それで良かったし、ずっとひとりだなーと思ってた。

生活とか野望めいたものとか、愛するってこととか、ずっとそうなんだけど最近は改めて魂を込めてマジでやってる。じゃないと日記もこんなnoteも書けてない。分かんないけどこの先にマジメにまっすぐ至れるなら、明るい未来とか、救済とか、成功とかが全部待っているような気がする。そう思えるのって結構すごい。言ってしまえばこれも、長生きしてれば良い景色に出会えるかもしれないからもう少し生きてみるか〜という生き延ばしの変種なのだけど、にしては優しい質感を湛えている。それをここに記録できただけでも、彼女と付き合えてからの2ヶ月は本当に良かったなと心の底から思える。


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