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Sometimes Life (doesn't) go on | 日記

あけましておめでとうございます。これは最近考えていることや音楽のリンク。


名言集であったり、人生を変える言葉botみたいなものが好きだった5年前くらい。そのほとんどを忘れてしまったけど、それらを読んで感じていた真実めいた寂しさは自分のなかにずっと残っている。俺はずっと何かが欠けているような思いで生きていて、ないものねだりばかりしてしまう。こんなに楽しいことばかりなのに?

だいぶ酔ってしまった。成人式のために友人の多くが帰省していて、お祭りのような年始だった。記憶がなくなるくらい飲んだ次の日、自分がしたためたり、誰かに送ったりしている文章を読んで苦笑いする。無邪気に、乱暴に、子供のように愛されたがっている。もし自分の本質はそこで、普段はこれを飼い慣らしているのだとしたら、なんて惨めなんだろうと思う。それは愛くるしくもあるのだけど、やっぱり落ち込んでもしまう。

俺は俺に興味がある人が好きだ。

藤井風の歌詞がずっと好きなのだが、「帰ろう」という曲に「わたしのいない世界を 上から眺めていても 何一つ 変わらず回るから 少し背中が軽くなった」という歌詞があって、聞くたびにすごいなと思う。わたしのいない世界が何一つ変わらず回ること、少しずつ気づいてきているが、知らないふりを続けている。

人のセックスの話、本当に興味ない。なんでだろう?ここ最近やっと交感と性愛の繋がりが少し分かったけど、性的なものを俺は過度に恐れている。誰も嫌いになりたくないけど、色んなものが変わっていくし、時々うまく生きれない。

ずっと「社会」みたいなものがわからなくて、というか分からないことばかりで、本当はずっと混乱している。世の中の7割が興味がないことと分からないことで、2割はnot for meなことで、1割くらいの好きなことだけ考えられるよう、いろんな手段で自分を麻痺させたり、鎮痛剤を打ったりして生きてる。だけど、最近はその上でも、ズルをしたくないと思っている。だって俺はズルをしている人のことが好きじゃないから。なるべく良くありたいんだ。

かわいい自分を守るためにやってること、全部やめたい。着ている服が重たくて身動きが取れない。自分の引き出しには自分のものばかりが詰まっていて、それを上手くなぞれば80点みたいなことができるけれど、つまんない。自分の周りに渦巻くドロついたものたちを少し整理したら遠くが見えるようになってしまって。懸命さや無茶が前よりできなくなった。徐々につまらなくなっていく裸の自分を誤魔化すためにカルチャーなるものを必死に摂取しているなら、それこそ本当につまらないだろう。破壊されたい。

ちょっと気分がよかったり、嬉しいことがあったくらいで「みんな大好きだよ」とか言わないでほしい。みんなのことが大好きなわけない。自分にとって都合のいい人がすごく好きで、そうでもないひとはそうでもなくしか好きじゃないはず。嘘はやめて。
青松輝「所感20こ」

11月に自分が「ほとんどの場合で救いとは混沌の整理、再解釈に他ならない」とツイートしていて、確かにと思った。去年の俺は人からグッドボーイだねと言われることが多くて、それはとても嬉しいことだし、確かにそんな頑張りをしてきたと思う。だけど、言葉でも、生活でも、グッドなことより大切な何かがある気がして、どこか居心地が悪かったのも事実だ。全部知った上で無責任にいたいな、今は。

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
谷川俊太郎「かなしみ」

ずっと楽しいなんて嘘じゃないか。だけど嘘はほんとに良くないの?分かり合えないことに、痛み以外の何かを感じたい。青春が終わっても大丈夫な自分になりたい?なりたくない?予想してなかった楽しさが現れて、誰かもそれを感じていて、その高揚を分かち合えた瞬間とたくさん出会いたい。けど、自分を含めて誰かに仕組まれたものに乗っかるのは嫌だ。今年もたくさん暗い顔をするぞ。

か細く揺れるロウソクの火のような光を信じられる強さ、を持ちたいと最近は思っている。


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