9/10 日記


あなたの可愛い後輩ですよ、とか、みんなの気の良い兄ちゃんですよ、とかは好き勝手言えるし、何ならそのオレはGOODBOYだと思う。オレのことをオレが救ってやりたいが、どうしたらいいのだろう。いつもここで立ち止まってしまう。誰かについて考えていたら自分も救えてしまっていた、という遠回りが1番分かりやすいけれど、ズルじゃないかしら?ズルしてでも幸せになりたいとか、救済のための自己破壊も厭わないぞとか思っていたけれど、そういうのに白けてしまった。

オモコロの編集長である原宿とテレビ東京の大森時生が対談している記事が公開されていた。近年のホラーの質感は「もうとっくにだめです」という感覚を宿しているという指摘があったのだが、自分の周りに漂う空気感が、気がつけば「もうとっくにだめです」という爛れ方をしてしまいそうで怖い。いくらオレが一生懸命に頑張っていても、「君たちはどう生きるか」でインコ王子が世界をサクッと崩壊させたように終わる時はあっけなく終わってしまう。I'm ready for the blue(ほんとうに?)

オレはオレなりに信念だったり思惑があって人のことを好きになったり警戒したりしているけれど、それを他者に強要することは出来なくて、だけどグロテスクな引力にみえる場所に好きな人たちが集まっていくのを眺めるのは胸が痛い。痛みに自ら近づいて行きたくない。

「楽しかった時が終わって 気付いてみたら寂しい人だった」から始まるフィッシュマンズの曲。今感じてるこのオレンジの質感が朝日なのか夕焼けなのか分からない。どちらにもなりうるなぁと思う。の子は本当に天使みたいだった。壊れながらも背負っていた。佐藤は壊れることなく背負おうとしていたように思う。全然ひとりで肩を落としたいわけじゃないんだけどなー。

これを書く際にちゃんと確かめたいのは、昨夜は本当に良い瞬間だったってこと。負けねえって思った。色んなクソみたいなこと、ダルいことがある。殺すぞって思うことが近頃多い。けど、ちゃんと確かめたい愛はあるし、cube gardenを出てすぐみちかちゃんを見つけられたのは救済が現実に宿った瞬間みたいで本当に感動したし、ズルをしないで輝いてる人たちもいる。みたいなことを考えるときオレはsummer eyeのこと結構好きだなと思う。この街でマトモでいるのは楽じゃないけどちょっとこだわりたいんだ......

だけどあらゆるインフルエンスには負の側面もあって、きっとそういうことをこれからも考えさせられるんだろうなって思う。いいよ、だけどちょっとは欲張らせてほしい。欲張れるようになりたい。とてもむずかしいことだなって思う。

負けねえ......って気持ちと、もうとっくにダメなんですって気持ちと、何と戦ってるんだ?何なんだ?って気持ちと、救われたいけどないのかもなー。。の気持ちと、、、の中に揺れてる。夏を抗いの季節とするなら、夏はこれからだと昨夜のパーティーで感銘を受けてくれた友人が言っていた。

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