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戸羽れい
2022年3月29日 19:15
夕焼黒姫山と妙高山の間に日はしずむその時みかん色の雲がすうっとわたしの目の前を通る一日の出来ごとをのせて雲は動くわたしが学校で勉強していたのは見ているだろうかこれは、上田閑照が『場所―二重世界内存在』のなかで引用した当時長野県野尻湖小学校4年生だった小学生の詩です。なぜ、この詩が紹介されたのでしょうか。今このとき「すうっと目の前を通る」みかん色の雲。それは「一日の出来ごとをのせ
2022年3月24日 21:47
昨年末、一人暮らしの母がホームに入居したので、結婚してからこのかた30年住んでいた横浜を去って、実家のある福岡に帰ってきました。自分がこれまで生きてきたなかで、一番時を過ごしてきた横浜。私の大好きな横浜。自分の出身地にもかかわらず、語尾もアクセントも福岡弁に戻ってきつつあり(帰省した時には、しばらくいると戻ってはいましたが)、食べ物の安さ、おいしさ、魚介類の安さ、新鮮さに幸せ~と思いながらも、
2022年3月24日 21:20
わたしたちが、自己というとき、その定義は大体において、デカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り(cogito ergo sum コギト エルゴ スム)」を前提としています。この「思う」とは、フランス人であったデカルトの言葉を借りるならば、penserで、日本語では「考える」という意味になります。それは、デカルトが感覚も知性も想像力も、夢か幻かもしれないと疑ってみても、疑う「私」が在らねばならな
2022年3月24日 21:10
夫が亡くなって10年経ちました。この間、夫がいない空虚さを抱えながら、それにどんな意味があるのか、問い続けてきました。その問いは、まだ続いています。幸い、夫が亡くなる前から大学院で哲学を学んできたこともあり、その問いを哲学とリンクさせながら考え続けていくことができ、今思えば、それが私の生きる支えになっていたようにも思います。私の体験を通じて哲学から、大切な方を亡くされた方々へ、何か少しでも気持
2022年3月21日 12:50
「止まれ」の標識。自動車に乗っているとき、この標識を見たら、最初に頭によぎるのは、停止線の直前で車を一旦停止させなければいけない、ということ。「~ねばならない」というのは、私たちが世の中で生きていくのに欠かすことのできない、車と人とが共存していくための倫理に基づいたルール。 だが、その前に、この「止まれ」の標識を、停止線の直前で一旦停止する標識として認識しなければならない。つまり、車道に
2022年3月21日 21:20
中原中也「一つのメルヘン」小林秀雄が最も美しい遺品だと賞賛し、大岡昇平が異教的な天地創造神話だと評した、美しくも優しい永訣歌。この作品は、一つの哲学である。それを「一つのメルヘン」で語ってしまうところに中原中也のすごさがある。秋の夜は、はるかの彼方に、小石ばかりの、河原があって、それに陽は、さらさらとさらさらと 射してゐるのでありました。 陽といっても、まるで珪石か何かのやうで、