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「夜叉神峠の亡霊」〜跳躍〜9

我々は完全に追い詰められていた。
だからと言って、警察から逃亡しているわけでも、下手を打った挙句、対抗勢力から追われているわけでもない。
生まれて初めて超がつくほど真剣に逃げていた。
得体も知れない白い靄から私たちは追われていたのだ。

水場を後にした我々は、下山の選択に至った。暫く歩いていると、突然村田が何かを察知して、溜息まじりに振り返った。
つられて私も続いた。
目を擦らさずともわかる。
肉眼で目視できた"それ"は、不自然に揺らめくあの白い靄だった。
それは私たちと補足を合わせるように約15メートル後方を揺れながらこちらに降りて来ていた。不思議なことに、私たちが歩き出すと動き出し、止まると同時にそれも止まった。
だるまさんゲームのような不気味さがあった。
もはや、あの薄毛の男に擬人化することもない。小屋で見た白さよりも数段に濃いクリーム色が、夜叉神峠の闇の中で際立っていた。
「いつから?」
私が呟くと、
「もう10分も前からついて来てる」
村田は応えた。
お前たちにはもう山は登らせない、そんな意思を感じずにはいられなかった。
「急ごう」
必然的に、私たちは足速になった。
一心に入口のロッジを目指した。
もう背後など気にしてはいられない。
だが、行手を阻むとばかりに、あり得ようのない光景が眼前に立ち憚る。
「村田!ストップ!!」
私の叫びが村田を止めた。
「あれ!なんじゃありゃ?」
私と村田は目を凝らした。
2メートル先に懐中電灯を当てる。
なんだ、あの蠢きは。
幅4メートルほどの登山路を横断している巨大な畝りを目の当たりにする。
幅1メートルほどの大蛇が路を塞いでいるようにも見える。
だが、蛇のような邪悪色ではなく、赤身を帯びた桜色に近い。
すると村田が震える口調で言った。
「むっち、ありゃミミズじゃないか?」
その言葉と眼前の光景とのギャップに、瞬間的に脳内が錯乱したが、更に目を凝らすと理解できた。信じられないことに、太さ3センチ、全長50センチほどのミミズ群が右から左へと路を横断していたのだ。
その数、目視で約1000匹以上か……?!
見たこともない巨大ミミズの大群の畝りが、グニョグニョと蠢き、40センチほど路が盛り上がっていた。
私は思わぬ衝撃に腰の力が抜けた。
そして、その場にヘタリ混んで込んだ。
私の肩を優しく叩いてくれた村田が言った。
「むっち、後からあれが来たぞ」
私は半泣きで振り向くと、20メートル後方に白い靄が揺れている。
村田に肩を借りてなんとか立ち上がる。
「むっち、跳べるか?」
私は半泣きで頷くと、3歩ほど下がり気合い入れた。
「シャ!」
村田が先頭を走り、私もそれに続く。
ミミズ群を跳び越えに成功した私たちは、勢いそのままに叫びながら走った。
くだり道だから、勢いを殺すのは惜しい。
500メートルほど走っていると、前を行っていた村田が急に減速をしたものだから、私は走りながら尋ねた。
「どした!」
村田は振り向きもせず、前を指差して言った。
「マムシ!!なんじゃあの大群!!」
私は前方を睨んだ。
確かに20メートル先に、見慣れた黒光した塊が蠢き、またもや路を塞いでいるではないか。
太いのも、長いのも、一つの塊となって幅1メートルほどの路をブクブクと泡立ちながら横断しているように見えた。
村田が失速し、私が村田を追い抜く格好になった時、すれ違いざまに私が喝を入れる。
「村田!跳ぶよ!!」
私は跳んだ。
もうその時にことはあまり覚えていないが、とにかく必死だった。
記憶があるのは、後方で村田が歓喜の雄叫びをあげた声だ。あのタイミングで跳躍し着地も成功したのだと分かった。
そのままの勢いを持続しながら、さ 更に1キロほど走って脚を止めた。
息がややあがっていた。
体力と言うよりは、耐力が限界に近づいて来ているのがわかる。並の人ならもうとっくに根を上げて、白い男やマムシの餌食になっていたに違いなく、自分で言うのもなんだが、身体を鍛え、苦しい修行に耐えて来て本当に良かったと思えた。
そこで私の頭が冴えた。
「村田、一ついいか?」
村田はペットボトルの水を飲み干していた。
「もし、あのマムシの大群が、行きの獣道に遭遇したあの大群だったら、出口は近いんじゃないか?」
村田は少し考えながら夜空を見上げた。
月光の淡い光がいくらか薄らいでいた。
「なら、あの山神の祠があるかもな」
私は、空になったペットボトルの底を叩きながら、2.3滴のの水を舌先で掬った。
2人はそこからゆっくり慎重に歩いた。

私たちは程なくして、村田の思った通り、山の神の祠に辿り着いたのだった。

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