僕は、あなたのいいところを100個、いえます。①【僕らは奇跡でできている】《140字の感想文+ 》
火曜放映「僕らは奇跡でできている」第7話
https://www.ktv.jp/bokura/story/07.html
僕は、虹一くんのいいところを100個、いえます。虹一くんは、お母さんのいいところを100個、いえます。それに僕は、水本先生のいいところを100個、いえます。僕は僕が嫌いでした。でも、僕は、僕のいいところを100個、いえるようになりました。すごくなくっていいんです。僕は僕が好きです。
相関図 https://www.ktv.jp/bokura/chart/
#140文字小説 #感想 #感想文 #日記 #エッセイ #コラム #エンタメ #コンテンツ会議 #140字 #140文字 #テレビドラマ #僕らは奇跡でできている #生きづらさ #障害 #自己肯定 #いいところを100個いう # #
《140字感想文集》のマガジンもあります。
https://note.mu/beabamboo/m/m22b64482adf9
《ガチ、もしくは長い記事まとめ》も、よろしかったらご覧ください。
https://note.mu/beabamboo/m/m7f0f18508c2d
「僕キセ」、とうとう佳境に入ってきた感じです。いつも脚本に感心してしまうのですが、今回は、ドラマを見ながら気がついたことを書きとめておきたいと思います。
今回、セリフとかストーリーとかを、あまりきちんと覚えられなかったので、いささかの勘違いや覚え間違いもあろうかと思いますが、ご了承ください。
以下、ネタバレしてます。
まだ見てない人はご注意を!
・◇・◇・◇・
①人間が分類しても、生き物の生活は変わらない
このドラマ、導入部分では主人公の相河一輝の講義のようすが出てくるのがお約束です。そして、その講義がドラマのその回のテーマを示しているパターンが多いようです。
で、今回のテーマは「分類」。
「ハムシ」という昆虫がいて、《トゲ付》きのやつは
「トゲハムシ」。
だけど、《トゲの無い》トゲハムシが発見されたら、そいつの名前は
「トゲナシトゲハムシ」。
だけど、トゲナシトゲハムシの《トゲ付き》が発見されたら、
「トゲアリトゲナシトゲハムシ」。
分類すればするほど名前が複雑怪奇になっていくのが面白く、ドラマの中の学生たちだけでなく、視聴者である私たちもぐっと引き込まれるシーンです。
そこへすかさず、一輝がこんなふうなことを言います。
人間がどう分類しようと関係なく、かれらは生きています。
あれだけ長くめんどくさい名前を噛まずに何度もくりかえして笑いをとったあとに、そんな意味のセリフです。
ドキッ……としました。
だって、このドラマがはじまったばかりのとき、「一輝は発達障害ではないか?」という推測がネット上を騒がせました。
五百蔵もそう推測しましたし、はじめのころなんか、ストーリーがすすむにつれて、そのへんが明らかになってくるのでは、なんてことも予想していました。
だけど実際は、発達障害の「は」の字も出てこないし、それどころか、そんなことすっかり忘れて、一輝の人間的な魅力に引き込まれてました。ドラマの中の登場人物たちも、いま、すこしずつですが、一輝への眼差しが変化していっているところです。
でも。
五百蔵の心のどこかでは、「一輝はやっぱり発達障害あるよなー……」なんて思っていることを、このセリフで見透かされたような気分になりました。
障害の有無で「分類」するよりまず、その人自身を見ること
口でいうのは簡単だけど、実行するのはなかなか難しいですね……。
・◇・◇・◇・
②生きづらさは障害の有無をとわない
さらに今回は、一輝になついている虹一少年とその母親との親子関係が、転機をむかえます。
塾をサボったことがバレて、大切なスケッチブックを取り上げられた虹一は、学校を仮病で休み、しかも、母親に黙って家を抜け出し、一輝のところにやってきます。
当然、母親もやってきて、虹一を家に連れ帰ろうとやっきになります。
それだけでなく、他の子と違う行動や発想をする虹一が目立つことや、そのために笑われたりバカにされたりすることの辛さを訴えます。
虹一は、第1話で、日本中の視聴者を「あっ……!」と絶句させた、斬新な「ウサギとカメ」の解釈を披露してくれました。あの、「ウサギが競争したのは、カメを見下したかったから」というやつです。だけど、その解釈が担任やクラスメイトに笑われてしまった、それが母親としては恥ずかしかった、というのです。
https://www.ktv.jp/bokura/story/01.html
なぜ、我が子のオンリーワンの発想を母親自身が肯定してやれないか、ちょっと責めたくもなってきます。だけど、その気持ちはそっとおいておくことにしましょう。
なぜなら、彼女自身が、他人のまなざしを気にしながら生きる「生きづらさ」に悩まされていたのです。
そんな虹一の母親に対し、一輝もまた、自分の経験を打ち明けます。
ずっと、ダメな子だった小学校時代。
だけど、中学校に入って初めて、自由研究でみんなからスゴいと思ってもらえたこと。
だけど、次もまた自由研究でスゴいと思ってもらおうとしたら、全然楽しくなくなってしまったこと。
それに対しては、イヤなことを忘れるおまじない(寝る前に、「イーッ!」と言う)も一切、効かなかったこと。
一輝もまた、他人のまなざしを気にしだしたとたん、楽しかったことまでが楽しくなくなってしまったのです。
そういえば、このドラマのストーリーの柱のひとつは、ヒロインの水本育実が、「他人から認められること」を求めるがゆえに自分が苦しくなっていることを、一輝の言動を通して気がついていくことでした。
他人のまなざしを気にし続ける人生。
それは生きづらいものである。
歯科クリニックの経営者、という「エリート」の育実でも、ごく「普通」の人である虹一の母親でも、「変わり者」の一輝でも、同じ人間であるのだから、同じことで同じように生きづらさを感じるのは当たり前です。
ここに、一輝の講義の一節、
人間がどう分類しようと関係なく、かれらは生きています。
このひとことが、この回の通奏低音として奏でられているのが静かに聴こえてくる気がします。
それだけではありません。同じ人間であることを置き去りにして、障害の有無で人と人とを区別することを痛烈に批判しているようにも聴こえます。
そして、「障害」という差異のまえでたじろぎ、どう接したらいいのかわからないままフェードアウトしてしまう私たちの弱さに対し、「見つめるべきは差異ではなく、互いの同じところ」であることをやさしく教えてくれているようにも思えます。
一輝を「普通」と違うと分類しようとどうしようと、一輝は生きている。
世間の「まなざし」が「ダメな人」と分類しようとどうしようと、育実も、虹一の母親も、虹一も、みんな生きている。
生きているから、みんな、同じことに生きづらさを感じることにかわりはない。
幸せになりたいと願っていることにかわりはない。
なぜなら、その人がどう分類されようと、根本においては同じ人間であることにはかわりはないのですから。
・◇・◇・◇・
③ただ、いいところを100個、あげていくだけ
先の、一輝と虹一の母親との対話のシーンで、母親があたまから虹一のことを否定し続けたのに対して、一輝は、
僕は、虹一くんのいいところを100個、いえます
と、数度繰り返して宣言します。
この「いいところを100個いう」ことがドラマの後半のテーマになります。
結局、母親は、「家に帰りたくない」という虹一の希望どおり、一輝の家に泊まることを許します。
夜、一輝はいっしょに部屋で寝る虹一に、おそらくほんとうに、虹一のいいところを100個、いってあげたのだと思います。
だから、家に帰った虹一は、母親に「お母さんのいいところ」を100個、いってあげました。
そしてシーンが変わり、一輝は育実に「水本先生のいいところ」を100個、いってあげます。
だけど、「歯科クリニックを経営しています」とか「子どもたちに歯の教室を開きます」とかと数えていく一輝に、育実は、
それってぜんぶ、ふつうのことでしょう?
みたいにツッコみます。
ですが、一輝は平然としています。
スゴくないといけないんですか?
みたいな感じでこたえます。
(ごめんなさい、このあたり、記憶があいまいです……)
テレビを見ているこちらにも、ちょっと衝撃が走ります。
あ、そうか……「ふつう」でいいよね、「ふつう」を積み重ねることだって、実はスゴいことだよね!、と。
それに気がついた育実は、自分で自分のいいところを数えはじめます。
「早起きをします」「ちゃんとメイクをします」……そんなふつうのことをいいところとして数えていくうちに、育実がどんどん笑顔になっていきます。
この育実を見ていると、かつて一輝も、祖父の義高に、「一輝のいいところを100個」いってもらったのではないか、という気がしてきてなりませんでした。
一輝も、お祖父ちゃんに「いいところを100個」本当にいってもらって笑顔になれた。
そうしてもらったことで、自分で自分の「いいところを100個」いえるようになったのではないか。
そのことが、いまの一輝の笑顔のもとになった。
だから、その通りに、虹一や育実にしてあげただけのような気がします。
・◇・◇・◇・
さて。
ちょっと涙がでそうになりながらこのシーンを見てたら、五百蔵も「いいところを100個いう」というのをやってみたくなりました。
ということで、
やってみた編
は、次回↓に。
この記事が参加している募集
いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。