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「グレーな発達障がい」について考える〜やさしさを感じた言葉

noteのお題企画で「#やさしさを感じた言葉」というのを見つけまして、こういう企画参加したことないのですが、私も考えてみました。

ふと思いついたのは、次男が「発達障がいかもしれない」と言われたタイミング。後にも先にもあんなに落ち込んだことはなく、その後の育児だけでないいろいろな価値観が変わった出来事でした。

子どもの発達障がいという少しセンシティブな話題にはなりますが、我が家の場合、という1つの例として読んでいただけたら幸いです。ちなみにこの話題に関しては書きたいことがたくさんあるので、別でまた記事を書こうと思います。

「発達障がいの恐れがあります」

「お子さんは発達障がいの恐れがあります。療育センターに通うこと前提で、入園を許可します」

次男に対して、幼稚園入園テストの際に別室で副園長先生から言われた言葉です。長男がお世話になっていた信頼する幼稚園、今でもとても感謝していますが、あんなに冷たいと感じた台詞はありません。突然崖に突き落とされたような絶望感を感じさせる言葉―『障がい』。頭をガツンと殴られた気分でした。

幼稚園からの徒歩15分ほどの帰り道、泣きながら帰りました。人に見られて恥ずかしいという気持ちも起きないくらいショックで、ただただ涙が溢れて止まらなかったのを、まるで昨日のことのように思い出します。

原因は私の育て方?

結論から言うと、検査の結果、次男は発達障がいとは認定されませんでした。ただ、「障がい」呼ばわりされてから数日は、何をしても涙がはらはら出てきて情緒不安定な状態になりました。

障がい児と向き合っている養育者、とりわけ母親は、自分を責めてしまう傾向があるそうです。なまじ十月十日お腹の中で成長を感じてきたわけではありません。お腹の中にいるときに何か悪いことをしたんじゃないか?成長過程で気づかないうちに大きなミスをしたんじゃないか?と気負ってしまうのです。かくいう私も、療育センターのカウンセラーの先生から「あなたは何も悪くないんですよ」って言ってもらえるまで、悪いのは自分かも・・・と考えていました。

次男より2歳年上の長男(先日卒業しました!)は、昔からそれはそれはおしゃべりで、幼稚園時代に喋りすぎて喉を枯らした経験を持つ猛者です。次男が生まれてからはやたらと世話を焼きたがり、「次男くん、○○したいの?ちょっと待っててね!」といった具合で全部先回りしてやってくれました。

微笑ましい兄弟愛だなあと見守っていたのですが、それが原因だとは何となく分かっていました。長男が何でもやってくれる環境で、次男は喋る必要がないんですよね。言葉を発さなければ語彙が伸びないのも当然で、3歳児検診で「知能がやや遅れている」と言われたのも、まあそりゃそうだよねと。でもそれって子どもによって語彙に違いはあるものだし、言葉数は少なくても意思表示はちゃんとできてきたので、そのうち話せるようになるだろうと思っていました。

それがまさか、障がい扱いされることになるなんて。幼稚園の先生に悪意がないのは分かっていても、(おそらく健常者であろう)我が子を障がい児扱いされたことが許せず、またショックでした。

「悩んでも仕方ないじゃん」

夫からは「まあ、悩んでも仕方ないじゃん。これから何とか頑張っていこうよ」と言われました。うん、悩んでも仕方ないことなんて私知ってる。もはや今頑張ってどうこうできる話じゃないことは一番よくわかってる。それでもね、それでも悩んじゃうんだよ、おなかの中からず~~っと一緒にいたんだもん。だから涙が出るくらいショックだったんだもん。「仕方ない」と私が自分で思えるようになるまでは、金輪際私の前で「仕方ない」とか言うなよ絶対!?と、心の中で思いました(口には出していない)。

念のため言っておくと、うちの夫婦仲は今も昔もすごくいい方です。よく話をするし、自分にとって一番の理解者だと思っています。そして、夫の言葉が何一つ間違っていないことも、ちゃんと理解しています。それでも、そんな関係性の相手からの言葉であっても受け付けられなかったのが、当時の私の精神状態だったということなんだと思います。

「それは辛かったですね」

私は昔から、非情緒的な人間です。感情的になって悲劇のヒロインみたいに自分の世界に入りたくても入れない。今回の話でもそうで、涙が出て落ち込んではいたけれど、頭の中では「週明けすぐに療育センターに電話しなきゃ」「子どもの成長にいい習い事探そう」と冷静に考えていました。泣いていても時間は待ってくれない。この一刻一秒が、次男の今後を左右するかもしれない。どうすべきか、どうしたいのかをものすごく考えていました。

土日が明けて月曜日の朝イチ、憂鬱ながら療育センターに電話をかけました。幼稚園の入園テストで「発達障がいかもしれない」と言われたこと、「療育センターに通うことを条件に許可します」と言われたので電話をかけたことを、開口一番で矢継ぎ早に説明しました。「療育センター」という場所がどういうところか知らなかった私にとって、そこは魔境のようなイメージ。「わざわざそんなことで電話かけてきたんですかあ?」みたいな冷たいリアクションされないだろうか・・・と恐々だったのです(どんなイメージだ)。

私の緊張を察してなのか、電話口の女性の声はとても暖かく優しく、心のこもった声で、「お母さん、それはとてもお辛かったですね。お子さんのために頑張って電話をかけてきてくれて、ありがとうございます」と言ってくれました。その言葉を聞いた瞬間、私は電話口にもかかわらず大声で泣きました。電話の相手は本当にビックリしたと思います。ああ、私が言ってほしかったのはこういうことだったんだ。そうだよ私、これでも頑張ったんだもん。

診察結果は「限りなくグレー」

泣き止んだ私に、電話口の女性は相変わらず優しく、初回カウンセリングの案内をしてくれました。なんと予約が埋まっていて3か月待ち(!)と言われましたが、スムーズに手続きをしてもらい、予約を取ることができました。

3か月待ってようやく受けられたカウンセリングで、次男は知能テストを受けました。予想通り「年齢の割に低い」とは指摘されましたが、「発達障がいと言えるほどには低くない、限りなくグレーだけど」と言われました。つまり、「療育には通っても通わなくてもいいよ」と。

こうなった原因は分かっているので、これからの日常生活で取り返していこうと心に決めていました。だから私の結論は、「療育には通わない」。反省があって今があるなら、今を一生懸命頑張るのが正解だと思いました。

おわりに:言葉に宿る「優しさ」に触れて

4月で5年生になる今の次男を見て「この子、発達障がいかもしれない」とは、おそらく誰も思わないでしょう。そのくらい、彼はとても頑張って成長を遂げました。同時に私も、とても頑張りました。でもその頑張りの背中を押してくれたのは、間違いなく、あの電話口の女性の言葉でした。あの女性の声、トーン、雰囲気、やさしさ、そのすべてに救われたのだと思います。

「やさしさを感じた言葉」というよりは、「私を救ってくれた言葉」のほうが話のテーマとしては正しかったかもしれません。でもいいや。今も私の心に宿る、大切な宝物になった言葉のお話でした。

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