なぜ、「リベラルアーツ」なのか。
リベラルアーツ、ってなんでしょうか。
私の所属していた学部ではリベラルアーツの概念をもとに、授業が構成されています。
最近になってよく聞くようになった言葉だと思いますが、
大学受験間近の私は、意味もよく理解しないまま、ただ教養学部の分野を絞らなくていいという利点と、当時の学部長のプレゼンに心を奪われ、受験しました。
リベラルアーツとはそもそも、「職業や専門に結びつかない教養のこと」と辞書では記載されていて、というのも、主に”文系”と呼ばれる学群を、多岐に渡って学ぶ学部です。
大学によって教養学部も様々だと思いますが、GISではその名の通り、Interdisciplinary Studies の概念に沿って、商業学から心理学、社会学、経済学、教育学、文学、言語学、国際学、映像学、美術学、、、書ききれないほどの学群から、クラスを選んでいきます。レベルが100から400と決まっており、1年から4年生になるに連れて、より専門性の高い授業を履修する仕組みになっています。
私が教養学部の魅力を感じたのは1年生が終わる頃です。
先ほど例に挙げたように、一人一人の履修によって、4年間で学ぶ分野には大きな差が出ます。そして、教養学部の授業を通して、”物事の見方”を学ぶのだと思いました。例えば、ビジネスの授業で、例を元に分析をするケーススタディでは、社会学や心理学で学んだ、その国や地域の文化的特徴や人の心理を生かした解決策、またはアイデアを思いつくことが出来ます。単にビジネスと一括りに言っても、日本と海外では大きく違いますし、一つの観点だけでアプローチしようとするよりもずっと創造性やクオリティの高い”物事の見方”が出来るようになったと感じました。特に、商業学の分野では、グローバル化が進む世の中で、相手の国の歴史的、文化的背景を尊重したアプローチは必要不可欠であると言えると思います。この”教養”というのは、いろんな場面で活きています。映像学を学んだ人の思いつくマーケティング、発達心理学に理解のある教師、社会学で女性の権利について深く考えた人の政治政策...など、将来の可能性は無限大です。
日本の大学の受験では、大きく”文系”と”理系”の2つに分かれますが、私はこれまでずっと、この教育制度に疑問を抱いていました。海外の大学にはダブルディグリー(時にドゥアルディグリーやダブルメジャーと呼ばれることも)という制度があります。例えば私のようにコンピュータサイエンスと、ビジネスの両方に興味があって、勉強したい!という学生が、両方の学位を大学生活4年間x2よりも早く、同時進行で取れるシステムです。高校の時に、数学に懲りて文系を選択したものの、デジタル社会のAIやロボティクス、IoT(大四次産業革命)の波がどんどん迫ってきて、今となっては”理系”に分類されている学群を学ぶことの重要性はかつてないほど高まってきていると感じました。文部科学省が2020年度から小学生のプログラミング授業を必修化するとし、将来の”当然の知識”に大きな変化が生まれる中、これから就職活動に直面する私たちは何を学ぶべきなのか、考えさせられます。
そこで、私は”教養”を深めるために今回、シドニー大学に留学し、コンピュータの授業も履修することに決めました。
長くなってしまったので、ここで終わりたいのですが、映画;ジュラシックパークから好きな言葉を引用したいと思います。
"Your scientists were so preoccupied with whether or not they could that they didn't stop to think if they should" - Dr. Ian Malcom
”あんたの科学者たちは、出来るかどうかに没頭しすぎて、「すべきか」どうか考える事をやめたんだ" という意味のマルコム博士の言葉です。
恐竜たちを蘇らせた事で起こってしまった悲劇を描いたジュラシックパークですが、これから新しく生まれるとされるテクノロジーの中にも、モラルを問うものがたくさんあります。
そこで、教養学によって培われる、社会や経済、心理などより多くの分野の観点から、起こりうる影響を予測することのできる人材は、これからの将来にとても重要なのではないかと日々、強く感じます。
長くなってしまった中、読んでくださって、ありがとうございました。
*派遣留学制度やSA(Study Abroad)で海外の大学に留学出来るのはもちろんのことながら、法政大学では、グローバルオープン科目といって、他学科の授業を履修する制度もあります。*