あやた

8歳小3男児と3歳女児の母。出産時のメンタルの思い出や母乳育児の思い出。 そして昔から…

あやた

8歳小3男児と3歳女児の母。出産時のメンタルの思い出や母乳育児の思い出。 そして昔から弱弱だった自分自身のメンタルについて書いていきます。 同じような誰かの、ほんの少しの灯になれれば幸い。 #産後メンタル #母乳育児 #メンタルヘルス #休職 #適応障害 #気分変調症

最近の記事

一つずつ積み上げて 自分を褒める要素を増やす

ご無沙汰しております。 年度終わりと始めはいつもながらバタバタですが、今年は力強い味方がいたので何とか乗り切りました。 昨年大失敗をやらかした件も、オペレーション期間が短かった割に冷静に処理ができて、自分の失敗はほぼありませんでした。怒られることもなくホッとしました。 そんな忙しい年度末、私は日曜日に品川にいました。その前は神田。学校外での教育イベントの方に顔を出させていただき、お手伝いなどを行ってきました。体は疲れているのだけれど、メンタルにおいては異常に充実感があって、

    • 子どもの不思議

      子どもは早生まれ7歳の小2息子と、3歳半の娘がいる。 2人ともとにかく寝相が悪い。私や夫が寝る場所がないなんて事はザラにある。もう起きようが構わずに、抱き上げて各々の布団に置いておく事にしている。大体起きない。 寝る時、娘は私の腕をひっしと掴んで、袖口から手を突っ込んでひたすら肌に触れる。 息子は、私は娘に取られたと思っているようで、夫の近くに行くのだが、体も大きくなってきて布団に潜り込むとシングル布団では足りない。それでいつも嫌な顔をされて悲しそうに寝る。 息子も赤ちゃ

      • キャリアと子育ては両立できるのか

        キャリア形成と子育てが話題になり始めた頃に、息子を産んだわけなのだけれど、年功序列・終身雇用な職場に身を置く私には、正直関係のない話だと思っていた。 キャリアというのは一流大学を出たバリバリのキャリアウーマンを指す言葉で、そういう人は結婚も子育てもハイクラスで、有楽町のマンションに住みながら日銀の前を通って銀座でネギ買ってる人たちで、色々と大変なんだろうなと漠然と思っていた。 それがこの数年。夫に引っ付くように色々なイベントに参加し、自分もオンラインで会議やセミナーに参加し

        • 疲労と共に、また来たよ。

          年が明けると私の仕事はここから初夏までノンストップで忙しくなる。気も張るし、パソコンに張り付きっぱなしだったり、頭も使う。 特に2月の頭は、「2月の勝者」という漫画そのものの世界の「あっち側」になるので8連勤とかになるし、管理職の要望するデータをいち早く出さなきゃいけなかったり、それはもう疲れる。 特に40過ぎて、今年は初めてチオビタゴールドを飲んでから、追いモンスターエナジーをするというくらい疲労感がヤバかった。 働いている時間は普段と同じ8時間なはずなのにどうしてだろう。

        一つずつ積み上げて 自分を褒める要素を増やす

          痛みは比べるものじゃないから

          職場は学校なのだけれど、ここ数年、自分も含めてメンタルをやられる先生が増えた。 なんと言っても業務量が膨れ上がって、掛け持ちに掛け持ちを重ねた結果もあると思う。 とある先生が復職された。 分掌が一緒なので、仕事を手伝ってもらったお礼も兼ねてデスクまで行って話をした。 彼は前職全く違う仕事をしていて、コロナ禍でメインの職を失い、掛け持ちだった非常勤のうちで本格的に講師をやる事になった人だ。 だから前の職に未練もあったんじゃないか、そんな風に私は勝手に想像していた。 話しかけ

          痛みは比べるものじゃないから

          久しぶりに夢で祖母と再会した話

          中学入学してすぐのころ、札幌に住んでいた祖母がすい臓がんで亡くなった。70歳になっていなかったと思う。 札幌から父と暮らすために上京した母は、ウマの合わない姑(父方祖母)を頼ることなく、専業主婦で市役所職員の集合住宅で同じママ同士助け合いながら生活していた。 唯一の息抜きが、私たちが夏休みの40日間を札幌で過ごして、子育てを祖母や姉、甥に相手をさせて友人に会ったり買い物に行ったりすることだった。 私たちもお兄ちゃん(従兄弟)の部屋にある漫画を読んだり、野山に行って取ってきた

          久しぶりに夢で祖母と再会した話

          小学生低学年の子育てはワーママの試練

          以上! と言いたくなるくらい、この1年と8ヶ月と今現在、辛すぎる事が多い。 何が辛いって、とにかく小学校の「土曜は家にいるよね?」「あなたのお子さんなんだから、宿題も明日の支度も責任持って監督してくださいね」感の強さ。 「息子くん、こんなことできるようになりました!」と子育てに伴走してくれていた保育園と次元の違う世界に戸惑うばかり。 電車で泣いた赤子と親に対し、叱責した爺さんを皆で嗜めるような甘い世界の始まり?で生きてきた子育て世代的には、爺さんよりも厳しいのが小学校入学だ

          小学生低学年の子育てはワーママの試練

          気分変調症と41年間の私

          先日の通院で、担当医に「私の病気ってなんなんですか?」と尋ねたところタイトルの病名を告げられた。 そして子育てが落ち着くまでは、通院も投薬も続くとはっきり言われた。 気分変調症とはなんだろう。 という事らしい。 そして別のクリニックの解説では、思春期にも発症しやすいが思春期ゆえと思われがちで、治療に漕ぎ着けず大人になってから抑うつなどの精神疾患を併発し、重複うつとして症状が重くなることもあるという。 私は暗黒期と呼んでいる高校時代がある。 近いから(徒歩3分)という理由

          気分変調症と41年間の私

          私の学歴コンプレックス

          今日は病気の話とは別の話を。思いついたので書いてみる。 私は酷い学歴コンプレックス持ちである。 大学生なんぞ働くのを2年延長したいが為に行った奴らじゃないかと言って憚らなかった20代。氷河期世代の私たちにとって、高学歴者すら職にありつけない、選ばれしものしか給料を手にできない現実があった。偏差値56程度の高校で底辺を彷徨っていた私は、到底大学に行ったところで職にありつけると思えなかった。 更に高二病も発症。中高生で何かのプロになって金を稼ぐという漠然とした思いだけがあった。

          私の学歴コンプレックス

          適応障害から約11か月の今

           ご無沙汰しております。 前回お正月あたりの記事から止まっておりました。 noteを開くんですけど、筆というか何を書いていいか分からなくてアプリを閉じてしまう、そんな日々が続くうちに仕事も再開し、 気づけばこんなに空いてしまいました。  日記は昔から三日坊主な私です。  精神科への通院は2週間から1か月に間が空きました。 薬は増えているんですが……その時その時にあったものを 出してもらっている感じなので嫌な感じはしていないです。  カウンセリングも最近2か月に1回に減りまし

          適応障害から約11か月の今

          少しずつ溶けてきた私の塊

          あけましておめでとうございます 年末年始は保育園児の娘が持ち込んだ感染性胃腸炎で家族全滅していました。 直前まで大晦日のご馳走(ステーキ、寿司、刺身)を食べていたのに、翌日には刺身を想像してしまって吐き気を催す事態に。 自宅にある薬で何とか治して復活とともに仕事始めもしました。 死にたかったあれからひと月。死ねなかったと泣いていた翌日に月のモノがきたらケロッと気分が持ち直しました。 と同時に、あの止められない衝動と冷静になれなかった昂りはホルモンかと思ったらスッと肩の力が

          少しずつ溶けてきた私の塊

          死ねなかった

          死ねなかった。 あんだけ自分はライン超えたから次は行けると思ってたのに、変に自分の認知が歪んでいるのを自覚した直後だったせいか死ねなかった。 夜の霧雨の中、たどり着いた荒川河川敷。 首都高下の一般道を渡って階段を上がればそこには煌々と輝くスカイツリーにビルの灯り。 そして花道のように街灯が照らす、正面に延びた川まで降りる船着き場への道。 それを見た瞬間は、今日死ぬんだと思って涙が止まらなかった。 なのに、隣のグラウンドを通って川の水面が見えるところまで行って、逃げていく水

          死ねなかった

          揺り戻し?また「死にたい」が顔をのぞかせた

          どうもスッキリはっきりしないまま1週間が終わってしまい、体調的にもメンタル的にもどん底。 落ち着きのない息子を見て、とうとう目と耳を塞いで固まってしまった。 私の適応障害は二つ。1つは職場の陰口蔓延る対人関係の悪さと仕事のミスを絶対に許せない自分。そしてもう一つは息子だ。 適応障害はストレス源から離れれば回復するとよく言われるけれど、身内がストレッサーの場合そうはいかない。 息子の場合、幼い頃から怒鳴りつけて育ててきた反動が今出てるのだろう。兎に角落ち着きがない。とはいえ、

          揺り戻し?また「死にたい」が顔をのぞかせた

          希死念慮と自殺企図には明確な線がある

          適応障害になって早くも2ヶ月が過ぎようとしている。 在宅勤務はバリバリできる日と、朝から「嗚呼今日は無理」という日で振り子のように体調も変わる。今日は無理な日なので息子の見送りもできなかった。 死のうと思ったあの日あの瞬間、腹を括った感がすごかった。 それは、娘が産まれる直前、彼女の頭が私の骨盤にハマる音が胎内から響いてきたくらいはっきりわかった。あの瞬間、私は一線を踏み越える決意を持ってしまったのだと思う。 昔から死にたいは口癖みたいなもので、結婚してからは優しい夫はよ

          希死念慮と自殺企図には明確な線がある

          適応障害、在宅勤務中。意外に上手くいってる

          明後日で40歳を迎えるのに、20歳から働き続けてきた(計9ヶ月は転職準備期間あるけど)私は、今家でゆるゆると仕事をしている。 ここにきて新たな症状が出てきた。 食欲がない。なんなら受診前の方が「さぁご飯食べよ!」だったのに、今は朝ご飯でうーん…どうしよう、要らないかな。昼ご飯はお菓子だけとか。夕飯も白いご飯を抜く事が増えた。 案外食べ始めてしまえばペロっと食べたりもするんだけど、量は減ったと思う。痩せないけど。 右耳の閉塞感と、疲れた時に幻聴が聞こえた。幻聴だと思うんだけど

          適応障害、在宅勤務中。意外に上手くいってる

          あれから

          先日、初めてのカウンセリングを受けた。 正確には初めて、ではない。区の保健所やそのずっと前にもカウンセリングというものは受けたことがあったけれど、今回こうなってからは初めて。 薬が効き始めていたのか、カウンセリングの日は割と絶好調の日だった。 なんていい日なんだ!小峠さんが絶対に言わなそうなそんなセリフが出るくらい、私の気持ちは割と落ち着いていた。 死にたい、ではなく死のう。 そう思って首にかける紐を用意し、職場に行けなくなってからひと月が経った。上司は在宅でもデザイン仕事

          あれから