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希死念慮と自殺企図には明確な線がある

適応障害になって早くも2ヶ月が過ぎようとしている。
在宅勤務はバリバリできる日と、朝から「嗚呼今日は無理」という日で振り子のように体調も変わる。今日は無理な日なので息子の見送りもできなかった。

死のうと思ったあの日あの瞬間、腹を括った感がすごかった。
それは、娘が産まれる直前、彼女の頭が私の骨盤にハマる音が胎内から響いてきたくらいはっきりわかった。あの瞬間、私は一線を踏み越える決意を持ってしまったのだと思う。

昔から死にたいは口癖みたいなもので、結婚してからは優しい夫はよく困っていたし、泣いていた。いわゆる希死念慮状態は、素直に「助けて」「優しくして」「かまって」を言えない事や、私はストレス溜まってるんだぞーという捻じ曲がってひん曲がって手のつけられない自己主張だったんだと思う。
でも希死念慮だから「はいはい構ってちゃんね、どうせ死なないんでしょ?」と甘くみてはいけないのもあると思う。
呪いのように「死にたい死にたい」呟き続けた延長線上に、自殺企図はある。言わない人は周りに迷惑をかけてはいけないとか、嫌な気持ちにさせないとか、そういう気持ちが強いだけで心では叫んでると思う。
そうして死にたいなって呟きが、叫びに変わった先に「ここから先は本当に死にます」というラインが引かれている。もちろん希死念慮の状態で、ちょっと自殺のマネでもしようかなで失敗して本当に亡くなった人もいるとは思うのだけれど。
ここから先は死にますのラインを超えた後でも、戻れる事がある。私はぶら下がったままの洗濯物を片付けなければという義務感だった。カウンセラーに言わせれば、それは「戻れる強さ」なのだという。頭の無意識の領域の中で、強く腕を引っ張って止める自分がちゃんといたんだという。恥ずべき事じゃない、それはあなたの強みだと言われた。
投身自殺を選ぶ人の多くが携帯電話を握りしめていたという記事を読んだ。その瞬間、取引先のビジネス電話でもいい、実家の母でもいい、勧誘の電話でもいい。鳴ったら止められた人もいたと思う。

自殺企図の2度目の企図と死亡率は50%くらいあるとどこかのメンクリの記事で読んだ。
実際そうだと思う。
死へ、一度腹を括ってしまった私は何かのきっかけでまた死にたくなったら今度は躊躇しないと思う。怖い。今は怖い。でも怒りや悲しみで頭がいっぱいになったら、次は遂行してしまうと感覚で分かってしまう。
だから怖くてお酒を飲んでいない。
フラフラと楽しくなって「今ならいけちゃうんじゃーん」なんてプラットホームや屋上から身を投げかねない気がするから。

10代の頃から、死にたいなぁは口癖だった。口癖と共に呪いでもあった。
何がそんなに苦しかったのだろう。何がそんなに寂しかったんだろう。自分を傷つけたくて、利用されるだけでいいから価値を感じたくて若さを売りに誰とでも寝てた時期もあった。
あんなに愛されて育って、何が不満だったのだろう。
愛してくれる伴侶と出会って、一体何が苦しいのだろう。

でもどんな理由があったって苦しいのだ。
だから今は甘えて休みながら、私の価値を失わないだけの仕事だけして息をするのだ。
コタツでぬくぬくしながら、淹れたコーヒー飲んで、仕事したくなくなったら寝転ぼう。したくなったらまた仕事しよう。そんな感じで今日は生きよう。

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